第39話 お前の勝ちだ




「古き時代のエレメントよ——————」

 (ここで、大詠唱だと!?)

 エンターの奇抜な手に、リューリは驚愕した。

 そも、詠唱とは隙であり、今までの攻撃の応酬を繰り返してきた"早い"バトルと比べて、あまりにも"遅"過ぎる。

 確かに、詠唱をして発動する魔法は無詠唱や身体動作による詠唱代理で放つ魔法と比べ威力は跳ね上がるが、敵の真ん前で数秒以上の隙を晒すなど、殺してくれと言っているようなものだ。

 (けど、エンターは勝負を投げるようなヤツじゃない。ヤツの行動には必ず勝利への道がある。)


「まぁ、罠だよな……」

 そう、エンターは誘っているのだ。『来なければ最強魔法で圧殺してやるぞ』と。

 だが、エンターに近付けばさっきの氷地雷や、とんでもない奥の手が待っているだろう。

 進めども、留まれども、地獄。


「なら——————進む地獄を選ぶとするぜ!」

 リューリは自身の背後に四つの火球を展開し、突撃した。

 彼我の距離は10メートル。向かい風に前髪が揺れる。

 そして、四方八方から氷柱が突き出る。

 ——————ははっ、完全に読まれてるって訳だ。


「うおおおおおおおおおおおお!!!」

 瞳を見開き、更に加速。

 上や横からの氷柱は火球と相殺し、下から突き出た氷柱はリューリの腹部を抉った。

 だが、リューリは更に歩幅を広げる。


 (あと数歩でヤツの槍の間合い……二、一、零ッ!)

 上体を前に倒した姿勢で踏み込むリューリ。

 しかし、エンターは詠唱を続けていた。

 槍は構えているが、その切先は未だ動かない。

 (くそっ、何考えてんのか分かんねぇ。頭じゃ勝てねぇ。)

「——————だから、最強の威力でぶち破る!」

 風魔法と炎魔法の複合によるジェット噴射と、それによって加速したリューリの拳。

 名付けるならば、龍砕拳ドラゴンブレイカー

 現状最高威力のリューリの攻撃は、エンターを打ち砕いた。

 そう、比喩ではなく、打ち砕いたのだ。


「お前、まさか——————」

 エンターは、制服の下に氷の鎧を纏っていた。

 否、首から下全てを氷漬けにしていた。

 砕けたエンターの四肢は辺りへと散らばり、胸像のようになったエンターが転がる。

 顔面にコロッセオの砂を付けながらも、胸像は詠唱を止めていなかった。


「僕は貴方と比べてまだまだ痛みに弱いし、前は勝っていた魔力量も今では負けている。だから、削り合いをしたら勝ち目は無い。」

「だから、砕かれても痛みを感じない、出血もしない氷になったってのかよ……お前、俺以上に無茶苦茶野郎じゃねえか。」

 体温の殆どを氷に奪われ青い顔をするエンターと、そのエンターのおぞましい策にまんまとハマって青い顔をするリューリ。

 性格も格好も属性も、似ても似つかない二人が、この場では何故だか似ていた。


「だがよ、お前の最強魔法を避けりゃあ動けなくなったお前を蹴っ飛ばして終わりじゃねぇか?」

「避けれるのなら、ですがね。」

 そして、古き時代に終わりを告げた、あの氷河の体現——————白き嵐がコロッセオに吹き荒れた。

 瞬間、コロッセオの客席を守る魔法障壁に霜が付き、バトル・フィールドは純白のドームと化す。

 最早、この先の出来事はあの二人しか知り得ない。




「ぐおお……」

 ギリギリエンターに手が届かない間合いで、リューリの両足が凍り付いた。

 身動きが取れず、この極寒の中で口を開こうものなら瞬時に口内が凍り付く。

 詠唱どころではない。

 だが、それはエンターも同じ筈だ。

 そう思い、エンターを見やるリューリだが、吹雪が一寸先の視界すら閉ざしていた。

 (いや、アイツは自滅するタマじゃねぇ。そもそも自滅に期待してるようじゃダメだ。確実にぶっ飛ばす気でいねぇと……)




 そして、三時間が経過した。


 (や、やべぇ……凄く眠い……)

 手足の感覚は無くなるを通り越して最早氷そのもの。瞼も凍り付いて開けばきっと千切れる。

 何より、毎秒頭の中を殴打されているようなこの眠気がキツかった。

 ここまで耐えれたのは、アシェッタにもう一度合うという強い意志と、エンターに負けたくないという意地だった。

 だが、それもそろそろ限界だ。

 生物としての限界が来ている。

 その限界は、気合いや根性によって伸ばす事が出来るかも知れないが、それでも限界はあるのだ。

 水の中で死ぬまで息が出来なければ死ぬように、死ぬまで何も食べれなければ死ぬように。

 そして、そういう限界がリューリに来たのだ。

 (だからって、その限界があの野郎より早くてたまるかよ……)

 強い意志で、朦朧とした意識を最後の爆発と言わんばかりに覚醒させた。

 そして、リューリの身体に不思議な変化が起こる。

 身体が膨張し、凍り付いた皮膚を突き破って肋骨が露出。ついでに背中を突き破って翼のような骨格が露出。

 骨には腐った色をした肉片が申し訳程度にこびり付いており、その巨体はシルエットだけで中身は空洞。

 幻想の龍、ドラゴン・オブ・リューリズム。

 それは数日と持たず死んでしまいそうな程に痩せ細った黒龍。

 不完全ながらドラゴンの姿と成った、これはリューリだ。


 (どうやら、ドラゴンの身体ならこの極寒を少しは耐えれそうだ……だが、身体も殆ど動かせねぇし、そもそももうドラゴン体の維持が——————)

 せめて、エンターの方に巨体を倒して押し潰してやろうとしたところで、リューリは元の姿に戻った。

 結局、ドラゴンになって出来た事と言えば極寒を数秒耐えただけ。


 ——————だが、その数秒は、最も重要な数秒だった。

 一瞬でも長く生きようとしたリューリが掴んだその数秒は、最も意味のある数秒だった。


 吹雪が、勢いを弱め始めたのだ。


 真っ白の視界に少しづつ彩色が戻り、白き天蓋の隙間から、夕日のオレンジが差し込む。

 チラチラと舞う細かな結晶がその光を反射し、ダイヤモンドのように輝いている。

 日に当てられた身体が、熱と血の巡りを取り戻していく。


「血よ、熱よ、炎よ——————人は失い、その空白を以て存在を知る。故にこそ、その空白より事象は反転する——————」

 瞬間、リューリは詠唱を開始していた。

 3時間にも渡る我慢比べが終わり、吹雪が晴れかけている今。

 互いが互いを見つける前の今。


 ——————ヤツは猛吹雪で魔力を使い果たした筈。ならば、今このタイミングがヤツにとって最後のチャンスだ。


 おそらく、現在のリューリの思考も読まれてはいるだろう。

 しかし、否、なればこそ、リューリは全力の一撃を"今"にぶち当てるしかない。


 ——————そして、吹雪が晴れた。


「リューリいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

「エンターああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 胸像になっていた筈のエンターが飛び上がり、蒼く煌めく氷の大剣を担いで斬りかかってくる。

 リューリはそれを爆炎の奔流で迎え撃つ。

 赤く燃える炎、蒼く煌めく氷。

 叫びがコロッセオにこだまし、大剣はエンターごと破砕した。

 そして、リューリが迸らせた炎もまた、掻き消える。


 相打ちに見えた。

 しかし、論理のエンターは、相打ちを勝利と定義しない。

 再び氷の四肢が砕け、胸像となりながらも、大技発動後の無防備を晒すリューリの元へ落下する。

 思えば、第一戦は落下するリューリがエンターを討ち取った。

 ならば今の光景は何だ。

 奇運か、偶然か、意趣返しだとでも言うのか。


「——————僕の、勝利への最善データだ。」


 氷の重さ×氷の硬さ×位置エネルギーの破壊力。

 重い音と身体の芯に響く衝撃を受けて、リューリは後ろへ倒れ込む。


「こん——————のおッ!」

 だが、リューリは頭突きの要領で頭を前に振って上体を起こし、倒れまいと必死に足掻く。

 (ぶっ倒れれば、終わるッッッ!)

 だが、その努力も虚しく、リューリの足は凍った地面に取られた。


「何ッ!?」


 バランスを崩した身体が倒れていく。

 その視界の端に、映るものがあった。

 そこら中に、刃を上に向けた武器が。

 エンターが、吹雪の間に仕組んでいたのだろう。

 鋭い切先。貫かれれば、死ぬ。


 (この為だってのか? あの三時間の吹雪も、最後の大剣も、全て……)


 勝負を決めるのが、吹雪や大剣のような大技でなく、緻密な計算とデータだというのは、なんともエンターらしい。

 データを突き詰め、勝つべくして勝つ。

 ——————成る程、恐ろしいな。


 眼鏡越しのエンターの瞳が、確信の光を宿す。

 データ上、リューリは詰んでいるのだろう。


「——————ッ! それでも、負けらんねぇんだよ!」

 無理な体制で"無理矢理"右腕を振るい、リューリは火球を放った。

 リューリが地に落ちたのと、火球が胸像を打ち抜いたのはほぼ同時。

 決着は如何に——————?






「運が、良かった……俺は、負けていた……」

 医務室で、ベッドで眠るエンターを見下ろしながら、リューリは呟いた。

 最後の一瞬、リューリが地面に落ちた後、数秒後、エンターが気を失って勝負が付いた。

 だが、本来なら、リューリが地面に落ちた瞬間に心臓を突き刺され、エンターより一瞬早く意識を失う筈だったのだ。

 しかし、そうはならなかった。


 (多分、あの時俺が足を滑らせたから、ギリギリ急所が逸れたんだ。)

 リューリはエンターとのバトルを反芻し、敗北感に打ちひしがれていた。

 この次、学園主席と次席のエキシビジョンが行われ、その勝者とリューリは戦う事になる。


「切り替えろ、俺……」

 頬を叩き、気合いを入れ直す。

 すると、ベッドから物音がした。


「リューリ、勝負はどうなりましたか……?」

 開口一番、エンターは聞いた。

 リューリはそちらに目を向けず、唇を噛んだ。

「データの上では、お前が"勝っていた"」

「そうですか」

 リューリの言葉に、エンターは淡白な反応を返す。

 だが、彼の手は拳を作っていた。


「だけど、勝ったのは俺だ。もう行くよ。」

 リューリはそう言い捨てると、医務室のドアに手を掛けた。

「データとは——————」


「データとは、記録であり、積み重なり強固になっていく。それは正しく、確かなものでなくては根本から瓦解してしまう。だから、貴方が勝ったのも、確かなデータですよ。」


 それを聞くとリューリは扉を開け放ち、コロッセオへと駆けていった。

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