第36話 ゲート・オープン




 エンター邸の屋敷にはテニスコート三個分程の庭がある。

 芝生は均等に生え揃えられており、花や石像などは無い。

 昔から、エンターがトレーニングやデータ検証に使っているお気に入りの場所だ。


「今からお前が即死する攻撃と、ギリ耐えられる攻撃を二つの方向から放つ。生き残ってみろ!」

「データ分析と取捨選択の修行という訳ですか……って、ギリ耐えられる!?」

「早速いくぞ!」

 幼女の両手の上に、不釣り合いな程巨大な魔法陣が展開される。

 ザラギア曰く、エンターが生き残れるのは二つに一つ。

 だが、どう見ても——————


「あれ、これ両方とも死ぬやつじゃ……」

 ザラギアから放たれた二本の極太レーザー。

 両方とも、当たればエンターは死ぬ。

 ——————ザラギアの言ったことは嘘だったのか?

「いや、片方は僕の得意な氷属性に弱い欠点がある!」

 エンターは咄嗟に、右へとステップ。

 次いで、氷魔法をレーザーにぶつける。

 (通常、氷魔法は"より鋭く"を目標に研ぎ澄ます……だが、守りに使うなら物量だ!)


「アイス・バーストッ!」

 ロクなコントロールもせず、氷エレメントに魔力的負荷をかける。

 すると、魔力を大量に持っていかれる代わりに、爆発的な量の氷を一瞬で生成する事ができる。

 指向性も持たせられず、魔力も大量に消費する。

 これは魔法として成立していない魔法。

 言わば失敗作。

 だが、ここではその失敗作のデータが役に立った。

 エンターの背丈よりも高い氷の壁は、ザラギアのレーザーの威力を大幅に削る。

「魔法事故を敢えて起こす……なかなか面白れぇじゃねーの。」

 だが、レーザーは防ぎきれず、氷を貫通してエンターにダメージを与えた。


「ぐあああああああああああああああ!!!」

 左肩に焼けるような痛みと、身体を数メートル吹っ飛ばす衝撃。

 エンターは一瞬意識が飛び、着地の痛みで目を覚ました。

「正解だ! 次行くぞ!」

 エンターがやっとの思いで立ち上がると、すかさずザラギアから声が掛かった。


「正解なのにもう死にかけてるんですが……」

「あ? 命懸けなきゃレベルアップは出来ねーだろ」

 さも当然のように言うザラギア。

 その目は冗談には見えない。冗談じゃない。


「僕のデータだと、僕が今日生き残れる確率は1%……」

 冷や汗を流し、メガネをかけ直すエンター。

 顔色も若干青くなっていた。

「じゃあその1%引いてみろ! オラ行くぞ!」

「ひええ……」

 修行の日々は続く。




 修行開始から一週間経った頃、エンターは自室で珍しいザラギアの姿を目にした。

 どうやら、床に紙を並べてうんぬん唸っている。


「データ、ですか……?」

「ああ、テメェ鍛えるのに必要だと思ってな」

 らしくないセリフだったが、エンターを鍛えているザラギアは割といつも真剣だった。

 だから、あのザラギアがデータを取って真剣な顔をするのにも、もうエンターは驚かなくなっていた。

 エンターはザラギアの手元を覗き込む。


「何だよ」

「いえ、字、綺麗だなって……」

「ふーん。」

「ん? ここの記述ってどう言う意味ですか?」

「ああ、そこは——————」


 ザラギアの人間離れ(そもそも人間ではないが)の修行に、エンターは必死に着いていき、時には意見をぶつけ合った。

 そして、最後の日——————


「まぁ、アタシがお前にしてやれるのはここまでだな。こっからはお前が何とかしな。」

「ええ、ありがとうございますザラギアさん。いえ、師匠。」

 キッチリと頭を下げるエンター。

 そんな彼の態度に、ザラギアはなんだかこそばゆい気分になった。


「やめろやめろ、気持ち悪ぃ。まぁ、ただの気紛れだったが、面白かったぜ。」

 そして、ザラギアはエンターに背を向けた。

「晴れ舞台、見に行ってやる事は出来ねぇが、もしリューリの野郎に勝てたなら、まぁ、お前に取り憑いてやらん事もない……」

「いえ、それは結構です。」

「お前なぁ!」

 こうして、エンターの夏は終わった。

 別れを惜しむように、ゆっくりと日が落ちてゆく。

 だが、ザラギアは振り返らない。

 『データの取捨選択』。ザラギアがエンターに教えた事だ。

 エンターとの夏休みは、なんだかんだ言いつつも楽しかった。

 だから、だらだらずっと一緒にいる事も出来た。

 だが、ザラギアは旅立つ事を選んだ。選んだのなら振り返らない。


「アタシも、選んでみることにするよ。」




 後日。

 エンターが決死の戦いをしている頃、ザラギアは雲の上の空中神殿に来ていた。

 ここには、巧妙に隠された地下室がある。

 それは、天使でなければ見つける事は出来ない。

 煌びやかな神殿部分とは違い、装飾の一つもない質素な階段を下る。

 その先の小さな部屋の真ん中に、不自然にもドアがあった。ドアの先は無い。

 木製の様な外観だが、それは神が直接創造した物であり、Sランクの使う上級魔法の更に上の上の上の上の上の上の上の上。そのぐらいの『格』がある。

 『天国の門』。

 そう名付けられたそれは、神がこの世界から去る時に使われた門だ。

 そして、決して『こちら側』から開ける事は出来ず、『あちら側』から開かれる事もない。

 だが、この扉がある限り、『あちら側』から開く事自体は可能なのだ。

 ザラギアはいつかこの扉が開かれ、もう一度神の元へ戻れるかも知れないと、何年も何年もその時を待ち続けた。

 だが——————


「アタシゃ、もう、"こっち側"では生き過ぎちまったよ……」

 ザラギアは目を細める。

 彼女は幼い姿しているが、その瞳には積み重ねてきた人生の重みと淀みがあった。

 ザラギアは手を振り上げた。


「全てを想像せし神の御手よ、創造の後に破壊あり、破壊の後に再生あり。大いなる神よ、貴方は正しい。大いなる神よ、私は間違っている。しかし嗚呼、ここに貴方は居ない。裁きが全ての後に来るのなら、私は罪を迷わない。裁きが全ての後に来るのなら、今の私に不可能は無い。今、神を騙ろう。『審判は回帰せり』」


 黄金に輝く下級天使ザラギアの右腕が、そっと、ドアに触れた。

 瞬間、既に限界だったかのように、扉に大きな亀裂が走った。

 そして、扉は永遠に閉ざされる。


 こうして、『天国の門』は破壊された。

 これでもう、誰も天国に帰る事は出来ないし、天国からこっち側に来れる事も無い。

 神に見捨てられた世界、悲しみに限界は無く、痛みに限度が無く、不条理に制限が無く、そして、挑戦の先に無限がある世界。

 地下室から登ってみれば、いつもよりも近い太陽が眩しい。

 空中神殿は、端から少しずつ崩れていた。

 元々『天国の門』にある神的パワーの余波により数千年形を保っていただけの残骸だ。

 『天国の門』が破壊された今、運命を共にするのが定めだろう。


「はーっ、スッキリしたなぁ〜」

 これでもう迷わずにいられると、悪魔のような天使は、人のように凶悪な笑みを見せた。

 肩をぐるぐる回し、軽く伸びをすると、天使は崩れゆく空中神殿から飛び立った。

 翼がいつもよりも軽い。どこまでも飛んでいけそうだ。

 (とりあえず、ウマいモンでも食いに行くかな……)

 ザラギアの旅は、こうして始まる。

 ザラギア、本日の罪状。

 器物破損、不法侵入、領空侵犯、食い逃げ也——————

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