第35話 データ野郎の夏休み




「……という訳で、僕のデータ集めに協力してほしい!」

「ブレないねー、アンタ……」

 シワの無いキッチリとしたブレザーを着た少年が、髪の長い白髪の少女に詰め寄っていた。

 側から見れば事案だが、エンターとザラギアなので問題は無い。


 何故こんな事になったのか。

 それは、空気に涼しさが混じり始めた八月半ばの一幕。




 エンターは、学園から馬車で北に三日程の距離にある故郷に帰っていた。

 だが、帰省しても彼のやる事は変わらない。

 データ、データ、データ!


「おっ、懐かしい。子供の頃のスクラップ帳だ!」

 自室の整理をしていたエンターは、本棚の底から古ぼけたファイルを発掘する。

 これが、今回の騒動の始まりだ。


「賢者トクガワの埋蔵魔道書がこの近辺に……?」

 巷で度々噂になる伝説の魔道書。

 それが賢者トクガワの埋蔵魔道書だ。

 なんでも、賢者トクガワが巨万の富を築き上げた時に一役買った魔法が記載されているらしい。

 (確か、子供の頃、これなら今の自分にも手に入れるチャンスがあると思って新聞から切り抜いたんだった……その後どうしたかは忘れましたが……)


「よし、ここ数日は整理整頓で部屋に篭りきりでしたし、久々の運動も兼ねて埋蔵魔道書、探しに行きますか!」

 エンターはそそくさと準備を済ませると、実家の屋敷を足早に後にした。

 そして歩いて十五分、街の方へとやって来た。

 この地域ならではの、防雪対策のされた建物が並ぶ。

 冬の間はシンとしているが、今の時期は活気がある。

 そんな街の中心部には、街を一望できる鐘つき堂があり、エンターはそこを目指していた。

 その途中、見知った顔を見つけたので声を掛ける。

 (勝負が付き、一月も経ったし話ぐらいは出来るでしょう……)

 そして、冒頭へと戻る。


「……という訳で、僕のデータ集めに協力してほしい!」

「ブレないねー、アンタ……」

 シワの無いキッチリとしたブレザーを着た少年が、白髪で長い髪をした幼女に詰め寄っている。

 側から見れば事案だが、エンターとザラギアなので問題は無い。


「正直アンタにはいい思い出無いんだけど、丁度手持ち無沙汰だったし、金くれるなら付き合ってあげてもいいわよ」

「よし、決まりですね。じゃあ早速、鐘つき堂に向かいましょう!」

 数分歩いて金つき堂に着いた二人だったが、鐘つき堂は定休日で閉まっていた。


「おいおい閉まってんじゃん。営業日のデータはどうしたよデータは?」

「あまり行く機会の無い地元の観光名所のデータなんて、覚えてる訳ないでしょう!」

 全く悪びれる様子もなく断言するエンターに、

「お前、データキャラ失格だぞ……」

 と、ザラギアはそれ以上の言葉はなかった。


「……だからですね、データは取捨選択が大事だと思うんですよ。」

 (いくら暇だったからって、こんなヤツに付き合うんじゃ無かった……)

 データは足で集めるんですよ。と、エンターに連れられ、ザラギアは歩き回った。

 かれこれ三時間。未だこれといった成果は無い。

 いい加減変わり映えしない住宅街の風景も飽きてきた。

 (もう折を見てバックれようかな……ただ、苦労したのに金も貰わずに去るのも惜しい気がする……)


「うーん、そろそろ休憩にしますか。僕の屋敷に招待します。今日は夕食が多めなデータですし、一人ぐらい増えても問題ないでしょう。」

「おー、そりゃいい。せいぜいいいモン食わせてくれよ。」


「本当にいいモンが出てきた……」

「まぁ、貴族ですからね。」

 長いテーブルに並べられたのは、牛肉のステーキ、山菜のスープ、三色サラダ、厚切りパン。

 ザラギアは人に取り憑いて取り憑き越しに食べ物を摂取していた為、食にあまり頓着が無かったが、鼻腔をくすぐる匂いだけで、並べられたそれらが相当な『いいモン』である事は理解できた。


「食うぞっ!」

 ガチャガチャと、品の無い音を立てて肉がザラギアの口に運ばれていく。

 対してエンターは、フォークを巧みに扱い、行儀良く食べていた。

 エンターはザラギアに何も言わない。

 データによる敬意は払えど、テーブルマナーなどさして興味は無いからだ。


「食った食ったぁ〜」

「ごちそうさまでした。」

 椅子にだらしなくもたれ、腹を叩くザラギアと、手を合わせるエンター。

 二人はコップに口を付けながら少し休んで腹を落ち着かせると、エンターの自室へ向かった。

 エンターがドアを開け、どうぞ、と、ザラギアを促す。

 ザラギアが部屋に入ってみると、予想通りというか、予想以上の光景が広がっていた。

 壁一面、窓がある壁すら埋まる程の本棚と、そこにびっしりと収められた本本本本スクラップ帳スクラップ帳スクラップ帳の数々。

 床には半開きのスクラップ帳や、折れたりぐしゃぐしゃになっている紙が散乱している。


「うっ、うわぁ……」

「? どうしました?」

 ドン引きするザラギアを、不思議そうな目で見つめるエンター。

 ザラギアは気圧されつつも、「風呂入ってくるからそれまでに足の踏み場は作っといてくれ……」と言ってその場を後にした。


 紙を散乱させるエンターと、羽を散乱させるザラギアは似て非なる。

 何故なら、ザラギアは羽を散乱させた場所から片付けもせず何処かへ飛んでいき、エンターはそこに住み続けるのだ。

 そこんところが相容れない。

 (あんな部屋に住むなんてとんでもねーやつだな……)

 エンター邸の長い廊下をしばらく歩くと、風呂場へと続くガラス戸があった。

 戸を開き、脱衣所で服を脱いでそこらに放り投げ、さっさと浴槽に飛び込む。

 バシャリと音を立てて飛沫が上がる。

 湯気が立ち上り、風呂場が熱くなる。

 ザラギアは足を伸ばし、肩まで湯船に浸かった。


「ふわあ゛あ゛あ゛〜〜〜」

 思わず声が漏れる。

 天使は人間と代謝機能や疲れの溜まり方などが違う為、風呂に入る必要は無いのだが、この、疲れがお湯に溶けていく感覚がザラギアは好きだった。

 (三……いや、四番目の宿主が風呂好きだったから影響されたのかもなぁ……)

 ザラギアの身体が小さいというのを抜きにしても、エンター邸の風呂は広い。

 ザラギアは手足を伸ばし、ぷかぷかと浮いた。

 そうしていると、なんだか頭がぼーっとして、最近の事を思い起こす。

 ザラギアにとって、ここ一ヶ月は激動の日々だった。

 長く生きてきたからこそ、予定調和みたいな日々に身体を沈めてしまっていたのかも知れない。

 ザラギアはアマミヤに追い出されてから、新たな宿主は作らず、肉の実体で生きていた。

 寄生していれば寿命は減らないが、実体で"生きて"いればやがて逃れ得ぬ死が待っている。

 それでも、もう新しい宿主を見つけるのは面倒なのだ。

 それに、もう待つのはほとほと飽きていた。

 だから今はきっと、"今まで"と"今"の段差に戸惑っているだけなのだ。

 そこまで分かっていても、何処か踏ん切れず、アテも無い放浪を続けている。


「だせぇな、アタシ……」

 ザラギアは頭をくしゃくしゃと掻くと、風呂から上がった。

 脱衣所へのドアを開けると、風呂の外の空気が少し冷たかった。


「おー、そこそこ片付いてんじゃん。」

「あっ、上がりましたか」

 ザラギアがエンターの部屋に戻ると、部屋の床の半分くらいは見えていた。


「そんな事よりこれ見て下さいよ!」

 少し興奮気味のエンターが、他と比べても一段と古ぼけたスクラップ帳を手渡してくる。

 表紙には、『トクガワの魔導書』と書かれていた。


「どうやら子供の頃、僕が見つけていたみたいなんですよ。」

「いや今日丸々無駄足じゃねーか!」

 ザラギアが避難の声を上げるが、今のエンターには届かなかった。

 どころか、エンターは更に勢いを増す。

「そんな事より見て下さいよここ! 黄金魔術の根幹に関わる重大な記述が——————」

「切り替えが早過ぎるだろ……」


「で、その本は役に立つのか?」

「いや、僕は黄金魔術に精通していないので意味無いデータでしたね……」

「なんかドッと疲れたぜ……テメェが自分の持ち物よく覚えてねぇせいでよぉ!」

 ザラギアがエンターの頭を思いっきり引っ叩く。

 すると、エンターは照れ臭そうに頬を掻いた。


「実は、あらゆるデータが大事に思えて何もかも覚えていようとするせいで、あんまり記憶力が無いんですよね……」

「データキャラとして致命的じゃねーか!」

 エンターは語った。

 学園最強トーナメントの前は、試合開始ギリギリまでデータをまとめたノート片を読んでいるという事を。

 重要度の高いデータは、常に口の中で呟き続けて覚えている事を。

 (こ、このデータ野郎、ヤバ過ぎる……)


「しゃーない。アタシがアンタを鍛えてやる!」

「それは有り難いですが、どうして?君はそんな事をするデータじゃなかった気が……」

 エンターは訝しげな視線を向ける。

 その目を受けて、ザラギアは視線を外した。


「見てらんないんだよ、お前。」

 (あれだけの事をやるようなやつなら、天使であるアタシが鍛えりゃ伸びる芽もあるだろうしな。)


「それに、リューリの野郎とバトるってんなら応援してやらん事もないんだよ。ボコボコにしてやれや!」

 照れ隠しの様に語気を強めて、ザラギアは再びエンターの背をバシバシと叩く。

 そうして、ザラギアはエンターの師匠として、8月の終わりまでエンターを鍛える事となった。

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