第19話 シスター・コンプレックス
これはリューリが13歳の頃の話。つまり、三年前だ。
地方都市に住む下級貴族の息子として育ったリューリは、山で遭難したりはしたけれど、それなりに健やかな少年時代を過ごしていた。
今日は妹のお見舞いだ。
学校の帰り道から少し逸れて二十分強。
森を背に、その病院は鎮座している。
清潔感を意識してるんだか知らないが、どこもかしこも真っ白なこの病院はひどくつまらなそうだと子供心に思った。
妹を、早くこんな所から出してやりたい。
だが、俺に妹の病気を治せる手は無い。
だからこうして、毎日の様にお見舞いに行っている。
引き戸を開けると、ピンク色の病院服を着た、肩ぐらいまであるサラサラした髪の少女がベッドに座っていた。
リューリの三つ下の妹の、リリスだ。
窓の方をつまらなそうに見ていたリリスは来訪者に気付くと、振り返って嬉しそうに手を振る。
「お兄ちゃん!」
「よう……身体はどうだ?」
「もー、皆んなそればっかり! 大丈夫だよ、ホラ!」
腕をブンブンと振るリリスだったが、急に動いたのが悪かったのか、けほけほと咳き込んでしまった。
「分かったから、あんま無理すんなよ」
「むー」
リリスは布団をぎゅっと握り、不服そうに頬を膨らます。
「ったく、しゃーねーな。」
リューリは鞄から林檎を取り出した。
「ほれ、お前の好物。切ってやるから機嫌直せって」
「おお……分かってるじゃんお兄ちゃん。」
シャクシャクと小気味よい音を立てて、ナイフがリンゴの皮と身を分けていく。
初めの頃は皮に身がいっぱいついちゃっていたが、今は殆ど完璧に切れる様になった。
いったい、いつになったら妹は元気になるのだろう。
最近は、そんな事ばかり考えてしまう。
サクッ!
しまった、ぼーっとしてたら指を切ってしまった。
「いちち……」
「お兄ちゃん大丈夫?」
「こんなの、唾付けときゃ平気だ。」
俺ががそう言うと、リリスは俺の指をペロペロと舐めた。
「ん、これで大丈夫!」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけどな……」
俺達はその後、林檎を齧りながら他愛の無い話をした。
…………
「お兄ちゃん、そろそろ暗くなってきたし、もう帰りなよ」
「ああ、そうだな。んじゃ、父さんと母さんにお前の様子伝えとくわ」
「うん、ばいばい、お兄ちゃん。」
こうして俺は病院を後にした。
しかし、リリスが自分から俺を帰すなんて珍しいな。
いつもは腕引っ張ってくるのに。
リューリは、大してそれを考えもせず、帰路についた。
だが、この時俺はもっとよく考えるべきだったんだ。
何故あの時リリスが俺をさっさと帰したのか。いいや、そもそもの話、俺はリリスをもっと思っていればあんな事には——————
リューリは家に帰ると、夕食を済ませ、さっさと床に就いた。
今日は学校に行き、友達と途中まで帰ってそのままの足でリリスの居る病院へ行ったから、そこそこ疲れてたんだろう。
だが、窓から月明かりが差し込み、俺は早々に目を覚ました。
中途半端に目覚めたせいで、頭がくらくらする。
しばらくベッドの上でぼーっとしていたが、どうにも落ち着かない。
……トイレにでも行くか。
リューリの部屋からトイレに行くには、階段を降り、リビングを経由する必要がある。
暗い夜中に階段を降りるのは危ないが、慣れ親しんだ家だ、問題はないだろう。
ズリュ……
が、油断したのがいけなかったのか、リューリは階段から派手に転げ落ちてしまった。
「いってて……何だよもう、濡れてんじゃんか……」
リューリはぼやくと、立ち上がってまた進み出そうとした。が、立ち上がろうと床に手を付いた瞬間、俺の手は何か生温い液体に触れていた。
(何か溢しちゃったか……?)
見れば、液体は赤黒かった。
それになんだか鉄臭い。
これは、まさか—————————
「おに……ちゃん?」
その時、聞き間違うはずもない、妹の声が聞こえた。
振り向くと、妹がぼーっと突っ立っていて、暗くてよく見えないが、何かビチャビチャに湿っている。
「リリス、どうして家に? それにこの臭いのは何か知ってるか?」
質問にリリスは答えない。
だが、真実は簡単に暴かれる。
風が、吹いたのだ。
それでカーテンが揺れ、月明かりが暗いリビングにも差し込む。
それだけで、十分だった。
真っ赤に染まったリビングと、無惨に引き裂かれ、それが元々どんな形をしていたのか分からない肉塊。
それが凄惨な殺人現場である事は、まだ少年のリューリでも理解できた。
そして、リリスの声が聞こえた方向には、両腕から赤い羽根を生やし、頭の左上半分が欠けた異形が立ち尽くしている。
「お前……リリスなのか……?」
自分でも情けないと思う程に、掠れた声が出た。
だって、あの異形は—————————顔がリリスと同じなんだ。
左上が欠けてるけど、見間違えようのない、妹の顔なんだ。
「どうして……」
リューリは膝から崩れ落ちた。
服越しの膝に、温い液体の感触を感じる。
そうだ! 鉄の匂いがこんなに濃いから、頭がおかしくなったんだ。
そもそも、リリスは入院してるんだから、家にいる訳がない。
だから、これは悪い夢か、寝惚けているだけなんだ。
「お兄ちゃん……」
気付けば、リリスはリューリの横に立っていた。
耳元で発せられるその声は、やはりリリスの声で———————
いや、あれはリリスじゃないって言ってるだろ!
リリスに羽なんか生えてなかったし、頭が欠けてるのもおかしい。
違う、違うんだ……あれは、そう、リリスに顔が似たモンスターだ。
「お兄……ちゃん……」
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
リリスの声だ。リリスの声だ。リリスの声だ。妹の声だ。妹の声だ。妹の声だ。妹の声だ。声声声声声声声声声声こえ声こえ?聲コエ、声声声こえ聲こえ声こえ声声声こえ聲コエコエコエ声koe声こえ声こえ……
その細腕からは考えられない万力の様な力で、リューリの首が締め上げられていた。
「やっ、やめてくれっ! 正気に戻ってくれっ!」
リューリは妹の顔(欠けているが)を力いっぱい殴った。
人間は強いパワーの殴打を受けると肌が青紫っぽくなる。
この症状を、打撲。という。
「お兄ちゃん! おにい! にーにっ!」
痛みを感じるのだろうか、この異形は。
分からない、だが、首を絞める力は強くなった。
「そうだ、俺がお兄ちゃんだ!」
いつもの帰り道で石を蹴って遊ぶ様に、妹の足を蹴った。
首を締められて息ができないから、だんだん頭がポカポカしてきた。
俺は頭がポカポカしたから、妹の頭をポカポカ叩いた。
そしたらなんだか、あたまのなかみがつめたくなってきた。
寒いのは、嫌だなぁ。
そう言えば、山で俺を助けてくれたあのドラゴンはまだ無事に生きているだろうか?
生きているといいなぁ……
そして、出来ればポカポカした場所に居て欲しい。
そうだ、寒いなら、魔法で火を起こそう。
お兄ちゃんな、学校で一番早く初級魔法を覚えたんだ。
リリス、お前が元気になったら見せてやるからな。
「炎のエレメントよ、紅蓮の腕で我が敵を抱け——————イフリートアーム。」
リューリの視界が赤く染まり、家が焼けてパチパチと音がする。
リューリはそのままぼーっと炎を眺め続けた。
「あったかいな……リリス……」
リューリは、妹を殺していた。
家が炎で燃えて、家を失った。
転がっていた肉塊は両親だったので、親ももう居ない。
リューリの手元には、妹の治療費で膨らんだ、多額の借金だけが残った。
「……」
リューリはその後、様々な手続きを済ませ、三人を埋葬し、学校の寮に入ったりして、なんとか生活した。
だが、あの日以来、俺の頭にはずっと響き続けている。
妹の、最後の声が。
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