おまけ3 「おかえり」の言葉(語り アスミア)

「おかえり、姉さん」

私にとって、仕事が終わり家に帰ったときに弟、エルグランドからこの言葉を聞くことが、何よりのねぎらいだった。

弟と私は二人ぐらし。

彼が幼い頃に流行り病で両親を亡くした私達姉弟にとっては、お互いが無二の存在だ。

私自身がすでに両親の死で打ちのめされ、そのような精神状態で家の跡継ぎ、王国騎士としての仕事を続けることに限界を感じ始めていた。

そんな中、せめて弟には、「この世界は汚くて醜い場所だ」と思ってほしくなかった。


せめてもの救いは、ソフィア団長が当家の事情を理解し、日没以降は必ず家に帰れるように仕事を割り当ててくださったこと。それから、近所の子供たちが積極的に遊びの輪に弟を入れてくれることだった。

毎晩家に帰るたびに、「おかえり!お姉ちゃん!」の声と共に、その日あったこと、見つけたもの、遊んだものなんかを目を輝かせて教えてくれることが、私の心を癒してくれた。

弟の幸せな顔を見て、膝の上に抱きしめているとき、私は今きっと世界一幸せなのではないかとさえ思えた。


このように弟とあらば何でもいとおしく思う私は、周囲に「甘やかしすぎだ」と言われても、弟を愛した。

弟に間違ったことを教えてはならないという一心で、私は勉学も剣も魔法も、懸命に努力した。

幸運にもこの努力が実り、弟もまたよく学んでくれたおかげで、冒険者を志した弟は大成した。


そうだとしても、私の心には不安があった。結果として帰ってきたのでよかったのかもしれないが、私は今でも、冒険者を志した弟の夢を応援してしまった自分をどこかで許せずにいる。

弟は私に、「世界には一杯困っている人がいて、そういう人のためにどこでも行って、何でもしてあげられる仕事だから、冒険者になりたい」と言ってきた。

今日流行りの多くの英雄譚の主人公でさえ言わないような綺麗事が、弟にとっては本気で追うに値する夢になっていた。

弟に真っすぐ育ってほしいと願った私からすれば、此処までは成功だったのかもしれない。

此処で終わって、「世界中で仕事として人助けをする善良な冒険者」でいてくれればよかったのだが……

「我らが主は、エルグランドを『当代の勇者』と指名し、さだめをお与えになられた。」

そう、弟は神に選ばれし勇者となってしまったのだ。


勇者になって、魔王と戦って、次の世代の命を守る礎になる。

それはそれは綺麗で、勇敢で、栄光に満ちた冒険者たちの一つの理想であったかもしれない。

しかしそれは、このままならない現実に残された家族にとっては、弟を死地に使い捨ての兵士に取られることと何ら変わりなかった。


勇者として旅立つ弟は、笑顔で私のもとから去っていった。

そのあとも、同じ勇者のさだめを受けた冒険者の仲間のことを、よく手紙にして伝えてきた。


善良なるものに救いを与える神を名乗る存在に選ばれるだけのことはあって、弟は皆それぞれに美徳をもつ良い仲間に恵まれていた。

勇敢で、一番にまず行動し、最も危険な場所で人を守るために行動できるイアナ。

博識で、絵空事のような善意を現実に調和させることのできるノース。

聡明で、人の身で敵わぬとされるような理不尽を破壊する術を切り開くドロテア。

努力家で、他人の良さを見出し、自己もまたそれに追いつこうと努力するダン。


これらの仲間に囲まれ、喜びに満ちた手紙を受け取るたびに、私は喜びと同時に、胸が苦しくなった。

弟が遺したダンと、彼の「魔王討伐」のスローガンが現実のものとなるまで、魔王はいかなる剣聖や大魔道士の攻め手を前にしても滅ぶことはなかった。

勇者である弟がこのように良き仲間に恵まれるということは、そのままこの優れた仲間たちをも後の数年の安寧のための生贄にしなければならないということでもあった。


魔王の封印がなされてから、ずっと私は自分が許せなかった。

弟の代わりに自分が勇者であったならと、思わなかった日は一日だってなかった。

ダンの掲げた「魔王討伐」に邁進すれば、少しはこの苦しみから逃れられるかと思ったが、それもかなわなかった。

少なくとも、あの奇跡が起こるまでは。


ダンが弟たちから託された指輪は、1000年前の版の聖典に頼るなら、それこそは神の落とし物だという。

本来は神が権能をもってこの世に恩寵を授けたもう際に用いるべきものなのだという。


それが起こした奇跡の力で、弟は帰ってきた。

帰ってきた人物が、弟であることを確認してようやく、私は己を苦しめる罪悪の鎖と、苦しみから解放された気がした。

暁の空のもと、弟にお帰りを言えたことでようやく、私の「魔王討伐」は達成された。

そして今、弟は勇者のハクが付いたせいで冒険者としてますます忙しくなった。

東に巨竜、西にキマイラ。北に未知の魔物があって、南にいけば大悪魔。

成長した弟は、勇者だった頃よりも忙しくなってしまった。

今では私の方が先に家について、弟を待つことがほとんどだ。

それでも、やはり違うのは……

「おかえり、エル。」

夜の星が光るその下で、弟にきちんと「おかえり」が言えることだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る