45.神様は見ているだけなんだ

 独暦2530年、人類は魔物の存在に脅かされていた。

 平和だった世界に突如"魔王"が復活し、それが生み出す数多の怪物によって町は壊され、人の命は蹂躙され、生活と安寧が奪われていった。

 だが、そんな人類を救わんとする英雄が現れた。かつて魔王を討ち取った伝説の大英雄アーサー・クラウンの意志を継いだ選ばれし者――"勇者"とその一行が魔王を討つのだと。


 だが、現実はそんなおとぎ話のようにはいかなかった。


 大国の英雄、人類最強、人を辞めた怪物……武と戦、勇猛さ、そして破壊と殺しの才をもつ者たちが勇者に選ばれては、魔王討伐隊の代表として編成。国々の兵力と物資で支えたにもかかわらず、復活した魔王の前では殲滅という結果しか人類には得られなかったという。最も、魔王を探し出し、追い詰めるまでにも数多の犠牲を払ったのは国も否定できなかった。

 そして六人目の勇者が選ばれ2年が経ち――。


「魔王討伐隊が壊滅したんだって」

 男の声が耳に届く。

「ブレイブって勇者、偽物だったらしいよ。私利私欲しか考えていない相当の極悪人だったって話さ」

「ニーアの町の冒険者ギルドの奴等も言ってたぜ。権力振り回して受付嬢を困らせてたって」

「いまはその一員だったメイン・マズローが真の勇者だって話さ。聖剣も手にしてるって」

「知ってる知ってる。ここ最近じゃ"幾魔の大進撃スタンピード"を駆逐したんだろ? それもたった4人で」

「魔物だけじゃないさ。貴族の悪事を懲らしめたり、貧しい村の水や食いもんもなんとかしてたって話だからなぁ」

「あれこそが真の英雄ってもんだぜ。早くこっちにも来てこのクソみたいな生活を何とかしてほしいってもんだ」

「ぜいたく言ってんじゃねぇよ、仕事があって毎日パン食えるだけありがてぇってもんだ」


 変わり映えのない、強いて言うなら先が見えず衰退していくこの煤だらけの町エンディにて、外の世間の話題をこうして小耳に挟む。それが、酒も薬も愉しめないモヴという少年にとっては唯一の楽しみだった。

 がたがたの路に躓かないように気を付けながら肩掛けの荷物を抱え、炭鉱夫らの背後を通り過ぎる。


「すごいなぁ……」

 齢11になる少年にとって勇者は雲の上にいる太陽のような希望だ。物心ついた時から母に聞かされた勇者の英雄譚。いつか自分が勇者に、なんて憧れは目の前の生活に追われ続ける中で薄れていった。明日のパンのために炭鉱で働く日々を送るうち見えてくる己の無力さげんじつによって、いつか勇者が自分たちを救ってくれると祈るようになっていった。

 勇者ブレイブとその一行のほとんどが偽物だと知ったのはつい最近だ。それはモヴの心を傷つけたことだろう。だが真の勇者の存在も明らかになり、そして伝説の聖剣を手にした話が人々の消えかけていた希望の光を再び灯してくれた。それはモヴも例外じゃない。


「あ、ジェーンおばさん! こんにちは」

「あら、モヴ。仕事の帰りかい?」

「うん!」と元気に返事をする。煤だらけの服と顔はまるで色褪せたボロ布だが、その笑顔に曇りはなかった。衣服づくりのための布が入った籠を持ち替えたジェーンのやつれた顔に笑みが戻る。

「さっきも勇者様の話を聞いたんだ。あの"幾魔の大進撃スタンピード"をやっつけたって!」

「へぇ、そりゃすごいねぇ」と、うんうん頷く。


「前の討伐隊じゃ魔術師だったのがびっくりだよね。なんで偽物についていったのか不思議だよ」

「あぁ、その前の討伐隊なんだけどね」

 思い出したようなしぐさに、モヴは首をかしげる。ジェーンは一枚の紙きれを手渡した。若くも悪事を尽くしたような顔が大きく描かれたそれは王国が発行している指名手配書だった。

「あんたも気をつけな。さいきん隣町にも例の大魔導士が目撃されてるって噂があるんだから」


「あの脱獄した罪人のこと?」

「そうそう。なんでも竜を従えて村を焼き尽くしたり、罪のない人間100人も闇の魔法で呪い殺したりしたって話さ」

 怖い顔をしたジェーンに、モヴは息を呑む。

 元魔王討伐隊は魔術師メインを除き投獄され、処罰を受けたという。だが一人、この国の宰相を殺害した大罪人「サブ・ライト」は処刑前夜に脱獄を果たし、追放刑を下された第一王女――ルベルア・コトネアスタル――と手を組んで今もこの国のどこかにいるという。革命を起こすなんて噂も立っており、騎士団も日々捜索している。その罪人の往生際の悪さに、少年は手配書を雑に折り、斜め掛けの鞄の中に突っ込んだ。


「うん、気を付けるよ。またね!」

 ジェーンに手を振り、少年は駆け足でその場を後にする。ここから家はそう遠くない。まっすぐ進んで、路地裏で近道していくつか角を曲がれば、連なる軒下の玄関口が目に入る。ドアノブに手をうんと伸ばし、薄暗い部屋の中へ声を届けた。


「おかあさん、ただいま!」

 鞄を放り、どたどたと奥の古びた部屋へと向かう。埃だけでない籠った異臭はすっかり家の匂いと彼は覚えている。

「おかえり、モヴ」

 か細く、掠れた女性の声は、ベッドの上から聞こえた。ゆっくりと起き上がった少年の母は、滲む汗を気にすることなく息子に微笑んで迎え入れた。


「すっかり煤まみれね。頑張った証拠よ」

「えっへへ」

「もっとがんばって、おかあさんの病気を治すお薬を買うんだ」

 そう嬉々として話すモヴの頭を優しくなでる。

「ありがとうね……でも、あなたが稼いだものなんだから、お母さんのことは考えなくてもいいのよ」

 そう言うと、モヴはかぶりを振った。

「僕がそうしたいんだ。それにね、ちゃんとそのあとも考えてるんだよ。もっとパンが食べられるようになって、お水も川みたいにきれいなのを飲めるようになって、もっときれいなおうちにして……」


 モヴはふと、くすんだ窓の外へと見やる。人の喧騒は特段珍しいことではない。だが、今の悲鳴はいつもとなんだか違うような。それに、数が多いような。

「なんだか外が騒がしいわね。なにかあったのかしら」

 モヴの母が言った途端。


 天災が降りかかったような轟音と共に、脆く小さい家が屋根と壁が半ば吹き飛ぶ。二人は悲鳴を上げ、庇い、屈む。何事かと思って目を向ければ、そこには3人の大男らが――否、体の一部がおかしい。どんな病になろうとも、そんな奇形にはならない。まるでそれは、人間が恐れる魔物の一部のようで。


「な、なんだおまえら!」

 震える声を押し切り、頭についた小さな木片と砂埃に構わず叫ぶモヴを前に、男たちは顔を歪めて笑みを浮かべる。

「お、こコにも発見~」

「オンナにガキ、ドっちモうまソうダナァ」と頭部を開花するようにぐぱりと変形させる。そこから光熱源と煙が漏れていた。

「ニンゲンってのハ馬鹿なもんダぜ、ヒトの形しテ言葉を話せリゃ簡単ニ騙せるンだかラな」

 ひとりの男は人間の腕から巨大な鎌状の爪とそれを支える幹のような魔物の腕をぐちゅぐちゅと出してくる。それこそ体の一部が脱皮したように。


「人じゃない……っ」

 なぜ魔物がこんなところに。いや、なぜ人に化けられる。


「……逃げなさい」

「おかあさん……?」

「裏から逃げなさい!」

 ベッドから起き上がっていた彼女はモヴの背中を押し、裏口へと突き飛ばした。そのまま魔物らを睨みつけ、息子をかばうように向き合った。

 だが、当然彼女の容体は悪化し、激しくせき込みながらその場に倒れこむ。口元が赤く濡れていることを目にした少年は声を上げた。


「っ、おかあさん!」

「モヴ――ッ、逃げて! はやく!!!!!」

「いやだ、おかあさんも一緒に」

「私のことはいいからッ、あなただけでも生き――」

 空を切る音。肉と骨が切れる音。舞う血飛沫。

 一瞬の呻きの主は紛れもなく、彼の母の――。


「おかあ、さん……?」

 どちゃり、と血濡れた肉が倒れる音。ひん剥いた眼球も、指も、寝ている時でさえ動いていた肺すらも動かない。男の鎌状の腕には、赤い液体が滴っている。

「うそ、でしょ」

 呆然。動揺。恐怖。

 モヴの脚はもはや機能を成さず、立ち上がることすらもままならない。母だったものへ駆けつけることも叶わない。それをしたが最後、認めざるを得ない現実を見てしまうことになるかもしれないから。

 6つの目玉がぬらりと、モヴへ向けられる。ひどく無機的で、暴力的で、確かに人ではないと感じさせる。


「神様は……ほんとうにいるの?」

 本当に神が人を見ているなら、このような理不尽を許すはずがない。善良な人々が搾取され、悪しき心を抱えた者が笑う世界なんて、神が黙ってるはずがない。祈れば、信じれば、救いの手を差し伸べてくれるのではなかったのか。


 自分が何をやったんだ。盗みも悪さもしないで、税も納めて、なにひとつ迷惑をかけないように生きていただけなのに。贅沢も望まず、不満も言わず、貧しくともただ平穏に生きていただけなのに。この町がいつも通りで、知り合いや家族が元気でいてくれればそれ以上は何もいらなかったのに。

「どうして、奪うの……?」


 その問いに対し返ってくるは哄笑。

「あタりめぇだロ。おまエらニンゲンだっテ生きるタめに殺す。殺シて食う。俺たチのやっタことと何が違うンだ?」

「かわイそうにナぁボウズ」

「おーよチよち。すグにママのもトに連れてってやルからナ」

 這いずるように迫り寄る三人に、モヴの脚はいくら願っても動かない。もう生きることを諦めたかのように。かろうじて動く両腕で取り残された壁の隅に逃げて、ただ涙を流すことしかできない。

「……だれか、たすけて」

 鎌が振り下ろされる音が鳴る。


「――やってらんねぇよな、善良で真面目な奴ほど馬鹿を見る世界なんて」

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