29.チートは続くよどこまでも

 呼ばれた竜は首を動かしレネを見る。先ほどのような殺意に満ちた眼光はなく、ただ穏やかにじっと見つめていた。

 なにも語ることはない。だが、通じたのか、翼を広げ、歩いてはレネたちを守るように前に立った。その竜眼にはシルディアとプリエラが映っている。

「え、このドラゴンさんってリリスちゃんなんですか!? そういえばリリスちゃんいませんね」

「わからない。でもとにかく、味方してくれるみたい」と半ばとまどうも一縷の希望を掴んだような安堵の目を浮かべたレネはユージュに返した。


「何? やろうっての?」

 鼻で笑ったシルディアは指を鳴らす。「まさか、使役テイムされ返されるなんてね」

使役テイムというより寄生パラサイティズムですよ。食べられて乗っ取って――」


 徐々にその竜の容姿が変貌していくのが分かる。魔法による強制的な形質変化だろうが、鎧のような鱗と甲殻からホライゾンブルーの体毛が溢れるように生え、深緑色を帯びていた竜眼が琥珀色に染まった。関節が折れ、肉が蠕き、四肢の骨格は竜から獣に変わりゆく。翼や角は退化して収縮しては耳が大きく成長する。太く長い尻尾も縮み、そこから艶のある柔い体毛が渓流のように流れていく。

「ああも姿を変えるなんて、魔物でもそうはいません」


 姿は氷雪の鎧を纏う狼の如く。紋様型の魔法陣の光を頭部や全身に刻み、その巨獣は遠吠えを上げた。伝う衝撃波と強風は、油断すれば身を転がしていきそうだ。

「ほ、ほんとうにリリスちゃんなの?」

「リリスちゃんってなんの種族でしたっけ。猫っぽかった気がするんですけど」

「ユージュさん、いまはそれどころじゃないかも」

 そうレネとユージュのやり取りの一方、プリエラとシルディアは身構えた。


「やりがいありそうな展開になってきたじゃん」

「さすがにそればかりは強がりにしか聞こえませんよ」

(まるで神獣"湿原に棲まう災狼フェンリル"みたいな姿……っ、魔力もそこらの魔物の比じゃない!)

 プリエラも内心でそう察知したのか、冷や汗をかく。突然の形勢逆転に、彼女らも余裕を醸し出せなくなったようだ。

「これ以上のさばらせておくと、面倒なことになりかねません。ここで決着をつけましょう」

 だからこそ、全力で叩き潰すと誓ったのだろう。


「"召喚儀ルーン"・"悉くを殱ぼす破壊者デバステーター"」

 プリエラの詠唱と共に、背後に生じる巨大な魔法陣。這い出てくる三の光輪と五の歪な黒灰の腕。巨人のそれだが関節は多く、また指の数8本以上で長さもバラバラだ。

 腕が血管と筋繊維の束としてわかれては根元一点に絡みついており、その球根ともいえる根が顔を出すも、それは肋骨を纏う、皮質を寄せ合って深いしわを生じた楕円の脳そのもの。卵が孵るように脳の下部が液を爛れさせながら開くと、房のように連なる無数の目玉が各々で蠢いている。


「ひっ」と顔をゆがめ、後ずさりするレネに対し、ユージュはまじまじと興味深く見つめた。

「うひゃあ、なんですかあれ。気持ち悪すぎません?」

「あー、こりゃマジでやる気だ」とシルディアもその場から身を引いて、プリエラから離れた。

 体液と肉塊同士がこすれるような音を奏で、目玉の群れを蕾咲く花のようにかき分けるのは数十の指。その中央から縦向きの巨大なヒトの口唇が出てくる。


「"断罪の晄ソルダムナート"――ッ」

 唇から剥き出るように前に突出した巨大な歯茎。ぐぱぁ、とそれは開く。細かく並び、何層にも連なる人の歯が生えた口内の喉奥。闇ともいえるそこから金切り声が木霊して響き、赤い光を放ち始める。


「"滅星レッドエンド"!」

 放出された紅蓮の光線。それはすべてを塵に還し、魂を飲みこむ魔界の獣の誘い。禁術であるが故、発動や体得はもちろん、手法が記載された禁書を読むことすら罪であるはずの魔法を、彼女は使った。でなければ、神獣は討ち取れない。そう信じて。


 濠、と。

 その赤い彗星の如き魔獣の咆哮は、雄大で、深く、冷たい海のような青を帯びる光線に押し返された。

「なっ……!?」


 "神獣の咆哮"。それは伝承で知られる、滅びと再生の光。その魔法は魔竜と災厄を滅し、降り注ぐ大量の魔力は不毛の荒れ地に命を宿らせ、緑の世界を繁栄させたという。

 神獣の放った青き光線に飲み込まれたデバステーターの姿は、塵一つ残らず消え去った。その余波で、プリエラは小石のように転がり、石柱に埋まる。


「う、嘘でしょ」

 相殺どころか、魔獣が完全に負けるされるなんてありえない。

 それだけじゃない。保険で自身に展開した防護魔法も余波で希薄化し、骨身をえぐるほどのダメージを負っている事態に驚愕を隠せない。自身の魔法は勿論、防護魔法はあの大魔導士のサブから教わったものだ。完全再現とまではいかなくとも、効果は実証済みだとこれまでだって証明されている。町一帯を消し炭にした災厄ドラゴンの火焔を前にしても無傷だった経験もある。なのに、目の前の神獣はそれを越えて――違う。


 いつも込み上がってくるはずの魔力の感覚がない。魔法の質もいつもより低く感じる。何かが抜け落ちたような感覚は、気の所為じゃない。

 まさか、こちらの能力値が下がっている。こんなことって……。

「ありえな――」

 神獣の前足が彼女を叩き潰した。石柱を崩し、床に穴を作らんばかりに。


「っ、プリエラ!」

 神獣の咆哮で吹き飛ばされ、かつ近づけなかったシルディアは、駆けつけていたも間に合わず、獣の一撃を喰らうところを目の当たりにした。そのままの勢いでタンと高く飛び、身を回転させては神獣に踵を落とす。

 寸前、それはユージュの剣によって妨げられ、地面にたたき落とされる。背中から衝突し血反吐を吐くも、ネックスプリングで起き上がる。プッと血痰を吐き捨てた。


「くっ、なんでこんな低レベルの女なんかに……っ」

「え~、ひどい言われようで傷ついちゃいますよ」

 着地したユージュは剣を下ろし、ショックを受けるそぶりを見せる。

「でも、そうですね、自分でも食い意地以外大したことないダメ人間だと思ってたんですけど、メインさんのおかげでちょっとだけ自信もてるようになったんですよぉ」

「聞いてもないことをべらべらと……」

 しゃがんだままのシルディアは曲げた膝を一瞬にして伸ばし、弾くように地面から豪速で跳ぶ。一瞬でユージュの懐へもぐりこむも、その眼前に銀色の刃が迫る。


「"転"!」

 だが想定内だ。チリ、と鼻先を刃に纏う真空波が掠った刹那。シルディアの姿は忽然と消え、ユージュの頭上へと瞬時に転移した。両手を組み、ダブルスレッジハンマーをユージュの頭上へと振り下ろす。


「"鎧気アームズ"――"震爆鎚MOP-HAMMER"!」

 両の拳で叩きつけるもそこにユージュの姿はない。間一髪で遠くへ避けたのが目に入っていた。空振りするが、床に撃ち込まれたパワーと魔法によって、一瞬クレーターが生じるも、地盤ごと風船のように膨れ上がり噴火のような爆発が生じる。瓦礫が舞う中で、シルディアは埋まった両腕に魔法陣を展開する。


「"大地の狂乱マッドランド"」

 床の割れ目から爆速的に成長し、生えてくる大樹の根のような数十の巨大な触手。それらは一斉に10時の方角――ユージュの方へと迫ってきていた。

「そいやぁっ」

 気の抜けるような声と共に振られた一薙ぎ。それは竜巻のように触手を巻き込み、細切れになる。その斬撃の竜巻は留まることを知らず、触手の残骸を纏ってシルディアに迫ってきた。


「――ッ、"草薙ぎの剛脚デイジーカッター"!」

 横薙ぎの蹴りから放たれる爆発魔法は、一帯を爆炎と高圧の衝撃波で覆う。木々を根こそぎ、山脈の表面を削るほどの威力。しかし剣でも振ったのか、それさえも相殺され、魔法反応によって盛った炎が消え去った。

「ふざけやがって……ッ」

 重心を落としては柔に構え、再び装甲魔法と武装魔法を纏う。動から静へと落とすのは、次に繰り出す動の差を作り上げるため。外部を堅く、そして内部を柔く、流動するように。

「"鎧気アームズ"――奥義」

 数十メートルはあるはずの距離は0.1秒もかかることなく消滅する。ユージュの懐に、橙の髪が目に映った。

「え」


「"禍叢神貫カムラシンカン"!!!」

 つまりは発勁伴う掌底突き。数多の災いを伴う魔の存在を一掃する神の一突き。岩をも鉄をも砕き、守るものすべてを貫く槍に匹敵するそれはユージュの腹部に衝撃を貫通し、骨を折り、内臓を潰す。

 手ごたえあり。そう感じたのもつかの間、シルディアの腕が掴まれた。


「やりますねぇ」

「!?」

 にこやかな目の奥に潜む、無機質を見る。


 刹那、シルディアの意識が飛びかけた。

 なんでもない、ただ殴り返されたの事。しかしそれは彼女にとって信じがたいことだった。ただの人の殴打で死を、敗北を感じさせることなど、これまであっただろうか。

 そして、なぜ必殺の奥義をものともしていない。

 地面に叩きつけられ、意識が視界と共に明滅することにシルディアは戸惑いを隠せなかった。


「なに。なんなの。あいつなんなの。なにあの目。あれって人間なの?」

 思わずつぶやく。

 人間じゃない。付与魔法がされようとあそこまで強化された例はシルディアは知らなかった。


「……違う」

 自分を言い聞かせるように、彼女は呟き、そして声を張り上げた。

「あっちがなんであろうと関係ない。あたしはもっとやれるはずなの! なんでいつもの力が出ないの!? こんなの気のせいだってわかってるのに、なんで今日もコンディションが最悪なのよ!」

「――さん」

 耳に入ったかすかな声。ハッとし、どこからかすぐにわかったシルディアはユージュから逃げるように、視線の先――瓦礫の山へと駆けつけた。


「プリエラ? っ、プリエラ!」

 慌てた声を上げ、そこに倒れる神官の華奢な体を抱える。神獣の一撃を喰らっても尚、しぶとく生きていた。シルディアはすぐさま回復魔法を仕掛けるが、いつものように効果がなかなか現れない。

「くっ、ダメージが深すぎる。本当になんでここ最近ずっと調子悪いのよ」

「おそらくですが、私たちの能力値が全体的に下がっています」

「は? なんでそんなことが言えんのよ!」

「いつも通りの力を出せなくなったのは、メインとサブのふたりがいなくなってからです。でも、サブは能力を上げるような魔法はあまり使いません」

「――っ、じゃあなんだっていうの。あの無能の支援魔法があったからあたしたちは強かったって言いたいの!? 私たち全員、バフ魔法を使えるようになったからあいつは要らなくなったって話でしょ!?」

「それは――」

「無能って言いました?」


 ザッと、近づく足音。武者震いとも違う、背筋の冷たさを覚えた。

 当然、ユージュはシルディアを追いかけてきた。若干息を切らしているも、その声は呑気そのものだ。

「あんまりそういうこと言わない方がいいですよ。悪いこと言うと自分に返ってくるって、わたしのおかあさんも言ってましたし」

「この……っ」

 膝を立てた途端、周囲に十の矢が床に突き刺さる。

「これ以上の抵抗はやめてください」

 ユージュの隣へと来た神獣と、背後から歩いてきたレネ。その腕に装着されたボウガンを構え、ふたりを狙っている。


「どうして……っ」

 どうしてろくな実力もなさそうな冒険者如きに私たちが追い詰められている。


「そもそもなんで関係もないあんたたちがメインの味方をしてんのよ!」

「そんなの、あなたたちに教える義理はない!」

 レネは叫ぶ。それはこの聖堂ともいえる聖剣の間に響くほど。


「メインさんがどれだけ苦しんでいたか、あなたたち知ってるの? 自分を追い詰めるメインさんをサブさんがどれだけ気にかけていたか、わかってるの!?」

 短い間だろうと、似た経験を自分がしていたからこそ理解できた境地。信じていた人が突然冷たくなり、見放されることの恐怖がどれほどのものか。どれだけ、この胸の奥に傷をつけたことか。

 どうしてここまで、人は残酷になれるんだと。レネは目を潤ませる。


「そっちがどんなに強かろうと、世界を救う勇者の一員であろうと、仲間を貶して苦しめる人を……戦士とは絶対に認めない!」

 矢を放つ。それは今までの中でも疾く、プリエラの顔の真横を通過した。その背後に聳える大木のような石柱に被弾するなり、巨大な風穴が穿たれた。


「サブさんを治してください。私たちだって人と争いたくないんです」

 寂寞とした中、レネは睨むように見つめる。彼女なりの、やったこともない精一杯の脅しだった。

 神官は瞳を閉じ、静かに息をつく。

「……わかりました」

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