32."もう遅い"


 刹那。

 破壊の主神の鎧を纏う姿が消え去る。代わり、魔術師がそこに拳を握り、突きを放っていた姿が。

 音が遅れて聞こえる。爆風が遅れて生じる。拳の先、砕け散った鎧の破片が紅蓮と黄金色の軌道を為し――巨大な柱をいくつも貫通し、岩壁にめり込んでいた勇者の姿があった。


「ぶぁが、おげ……っ、なん、なんだよおい!? いま何が――ごがはァ!?」

 一瞬にして魔術師の眼前に引き戻され、再び腹部へ殴打。砲弾の如く吹き飛ぶも、二度目は適応したのか、手足を振るって柱にめり込むことなく弾かれる。勢いを殺さぬまま柱や天井、地面を蹴り続けてはバネの如く聖剣の間を縫うように飛び交う。その姿は一切見えず、ただ弾丸が空気の壁を撃ち抜くような音が無数に聞こえるばかり。

 それが終わる時は、魔術師の首を背後から狙ったときだろう。だが、くるりと振り返った魔術師は確かに勇者の姿を眼球で捉えていた。ピッと右手を払った瞬間、勇者の体は見えない力に衝突しあっけなく地面に叩き落とされる。地を抉り何回もバウンドした先、柱を崩さんばかりに激突しては瓦礫の向こう側へと転がる。


「ごぱ、が……ッ、ごンのクソ野郎がァ!」

 咄嗟に膝を立て、屈め、剣を握り直す。バキュンと射撃音に近い瞬発は地面を蹴り、接近する音。遷音速の領域を容易に突破し、通る背後から放射状に衝撃波が生じる。

 だが、勇者の剣は雷速に達しかけた肉体ごと魔術師の眼前で停止する。明確な殺意と困惑が混じった顔のまま固まる顔の前で指を鳴らすなり、勇者の顔面と四肢、胴体が同時に爆炎を噴き出し続けた。


「あばばばがぱばばぱばぁっ!」

 連続する爆発の勢いで宙を蹂躙する。だが地面にぶつかるなり、爆炎から伸びた剣が地に突き刺さる。吹き飛ばないよう堪えたのだろう。ようやく爆発が収まるも、皮膚の一部が炭化した勇者は満身創痍だ。それを見る魔術師の目はひどく冷たかった。

 ひどく、燃えていた。


「クソ野郎はどっちだ。揃いも揃って無能だと罵って、僕からプリエラを奪って、居場所を追い出して、とどめにサブを……っ、どこまでやれば気が済むんだおまえは!」

 無機質に靴の音を鳴らし接近した魔術師は手に光を纏う。それは瞬時に剣へと具現化させ――勇者の体を支えた剣を握る右腕を切断した。

「ぁぎゃあああァああッ! う、腕っ、腕がァあああッ!」

「これで僕の実力はわかったか」


 気付けば魔術師から流れていた血も傷も、衣服の損傷もなくなっていた。完全に回復しており、声もはっきりしたものとなった。最早、目の前にいるのは虫の如き存在ではないことは、勇者も直感で感じ取っていた。

 だが勇者の目はより憎悪を帯びた。見下す魔術師の目を強くにらんだ瞬間、その姿は消え、背後から蹴りを薙ぐ。空を切り、骨を断ち、鉄をも斬る彼の脚力を魔術師の腹部に炸裂させ、上体と下半身を両断する。そんな未来を確信した瞬間に。

 勇者の左脚はつぶれた。自らの力によって。


「ひぎっ、が、ぁあ! あぁあああッ、あし、脚っ、折れァああ゛ぁああ゛ッ!?」

 首を絞められた鶏のような、激痛に悶える叫びが響き渡る。信じられないほどまでに剛強と化した魔術師の肉体。そして衝撃をそのまま反射させる付与効果。砕かれた左脚を抱えることもできないまま、勇者はその場で崩れ落ちた。


「君はそんな程度の怪我で音を上げる男じゃなかっただろ。どんな目に遭っても、そんな顔をしない男だったはずだ」

 魔術師は横に手をかざすと、どこからともなく飛来してきた宝飾付きの白い杖が手中に入る。それはかつての婚約を交わした神官のもの。

 構え、光を放つ。それは粒子と化し、勇者の全身を覆う。刻まれた傷や右腕の切り口は塞がり、砕けた脚は再生し元に戻る。

「やはり持ち主でないと駄目か」と呟いた魔術師はそれを床に捨てた。

「……?」

 まぎれもない、ハイレベルな再生・回復魔法。次第に楽になり、痛みも和らいでいく様に、勇者は戸惑う。だがそれは挑発だと。これ以上ない侮蔑だと受け取った。魔術師が口を開いたとき、勇者は怒号を放つ。


「どういうつもりだテメェ。舐めるのもいい加減にしやがれ!!!」

 剣を引き抜き、距離を作った。残る左腕の筋肉を隆起させ、炎の形状を為す魔力を覆う。剣と一体化したような様はまるで竜の爪のよう。


「"竜よ、我が王の道を拓け"――」


 吹き荒れる風。砂礫が舞い、光が届きにくくなる。魔力は実体ある猛威として柱や地面の表面を砂へと削る。ここは勇者の狩場フィールドだ。

 大地の力を以て、この得体のしれない魔術師を屠れ。己のすべてをこの剣に、この腕に、そして神に捧ぐ。纏う力の理よ、聖剣を背負い、勇者を騙るクソ無能に罰を与えん。無力の杖とその脆弱な心を――ぶっ潰してやる。


「"地暴ジアバレ"ェ!!!!!」

「"誓壊せかい"」


 静かな一振りだった。

 魔術師が振るった魔法光を纏う剣は勇者を裁いた。右大腿から左肩にかけるまでに刻まれた魔法痕。その一閃に沿って空間に生じた、時空の裂け目。ガラスが砕けるように光が曲がり、歪んだ顔を覗かせる亜空間は世界の傷口のよう。次第にそれは薄まり、消えていく。

 剣が砕け散る。血は出なくとも、勇者の魔力はそこで断たれ、そして気力を、力をも失う。意識すら断たれそうになり白目をも剥いた。


「――がッ、は……っ」

 竜をも屠り、神をも脅かす強大な力をもつ人間が倒れる音は、どんな怪物よりも穏やかなものだった。

 訪れた静寂。しかし勇者の体は息を吹き返したように震え、呻きを上げる。

「い、いでぇ……くそぉぉ」


 カツン、カツン……。

 そこに近づく足音は、まるで死神の宣告のようにも聞こえたのだろう。青ざめた勇者は動かない身を無理やり動かし、仰向けになった。


「どうしたんだブレイブ。僕はまだ本気を出してないぞ。僕より強いんじゃなかったのか。僕より遥かに強いから、僕を無能呼ばわりして追い出したんじゃなかったのか……? なぁ、答えてくれよ。僕を認めてくれよ、そんな目を向けずに……僕を見てくれよ」

「ひ……くる、な、くっ、くるなクルな来るな゛ァ!」

 体を引きずり、後ずさりするこの男に、もはや勇者の顔も力も、威厳すらも皆目みえなかった。命の危機を感じたら逃避するそこらの生物と変わりない、哀れな弱者と化した何かとなった。それをただ、メインは深海のような黒い瞳に映した。


「君も同じなんだね」

 呟く声は静寂に溶け込む。柱に背をぶつけ逃げるあても失った男の前に彼は立つ。


「ブレイブ。僕は君のことを本物の勇者だと思っていた。僕にとって希望の光そのものだった君なら、目的を成し遂げることができるって信じていたんだ。プリエラやシルディアも、こんな僕を拒絶せず、仲間として受け入れてくれていた。この二年間は僕にとって唯一の宝物だったんだ。なのに、よくもすべてを台無しにしてくれたな。よくも……ぶち壊してくれたな」

 その声は穏やかで、だが重かった。この重さを目の前の男が受け止めきれるはずもなく、ただ命を力なく乞うた。

「ひいぃっ、や、やめ……ッ、ゆるしてくれぇ」

「絶対にお前を許さない」


 魔術師の右手から光と、やがて雷が生じる。電気系統の魔法ではない、魔力が高濃度かつ高熱になったあまりプラズマと化したものだった。放電したそれは熱の塊として地面を焦がした。

 目と鼻と口周りを濡らし、歯をガチガチと鳴らし、腰も抜けては下半身をほのかな芳香と刺激臭で湿らす男は、足掻くように喉から声を搾り取った。


「あっ、ぁあああ、あ゛……わっ、わか、わかった、悪かった、俺がマジで悪かった! なぁ頼むぜ、俺たち同じ勇者パーティだろ? なにがほしい? 金か? 女か? ああプリエラなら返すから! あんな女こっちが願い下げだしよ! ほら、言ってくれればなんでも用意してやるから! だから――」

「もう遅いんだよブレイブ。もう何もかも……遅いんだ。だから」


 勇者だった男の顔面を右手で掴む。直に触れる高濃度かつ高温な魔力の塊を前に、男は神経が焼き切れるような激痛に悶え、大粒の涙を零すが、その悲鳴さえも魔術師の右手で塞がれている。

 悶絶するそれを見る、青年の目は。


「二度と、僕の前に現れないでくれ」


 泣いていた。

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