22.第二層 "ヴィータの墓場" ~気合と根性があれば大体耐えられる説~

「うっわ、くっさここ」

 レネが露骨に嫌な顔をして鼻をつまむ。洞窟なら一帯を照らすはずの光魔法も闇に呑みこまれ、自分の周囲くらいしか道が分からない。ただ、足元に転がる小さな魔物の腐った死骸や骨がちらほらあるのが、顰蹙を買う顔をしてしまう理由なのは明らかだった。


「さっきの場所とえらく変わり果てちゃいましたねぇ。おぞましいといいますかなんといいますかぁ」

「上層の生物の死骸や老廃物の一部がここに降り積もっているみたいだな。それにしたって同じダンジョンでこうも環境が変わるとは」

 ユージュに応えるようにそう返した俺は、穴側面の壁から滴る地下水を横目に先へと進む。濡れている足場を滑らないよう、注意する。

「うえ~、早く攻略したいですね。これ服に着いちゃうよ絶対」

 そう文句を垂らしながらレネは軽装鎧の腕の生地や一つに結った金髪をくんくんと嗅ぐ。

「魔物、いない臭い。たぶんここ、大丈夫」とリリスが嫌そうな顔をしながら報告する。猫のような尾も耳もへにゃんと垂れている。大丈夫かと不安になるが、気配に関しては彼女の方が精度が高いだろう。その言葉を信じ、どんどん下に降りて行った。


「あ、みなさん上見てください」とユージュは上へと指さす。「さっきいた場所って、大きなキノコや鍾乳洞のてっぺんだったんですねぇ」

 言われた通りに見上げる。かろうじて先ほどいた場所の光は見えているも、星のように小さい。ただの夜ならどれだけよかったか。口数が少なく表情が薄いメインでさえも、この穴に入ってからずっと眉をひそめている。


「ひゃー、もうあんなに小さくなるまで降りて来たの?」

「ここのダンジョンの規模がとてつもねぇな」と俺は呟く。

「サブさん、帰りお願いしますね」

「転移魔法に頼る気満々じゃねぇか。冒険者らしく帰りも自力で頑張れよ」

「何言ってるんですか、使えるものは使わないと」

「人を道具扱いするんじゃねぇ」


 レネに言い返したのを最後に、また閉口して先へと降りる。あまり息をするのも気持ちがいいものではないのは、誰しもが感じていたはずだ。

 しばらく黙々と進む。俺たちの歩く音しか聞こえない。それがなければ、時間が進んでいるのかさえもわからなかっただろう。だが、この穴はどこまで続くのか。

 静寂を割いたのは、ユージュのふとした疑問だった。


「あのー。実際、勇者パーティってどんな感じなんですか?」

「んー……」と少し考える。「まぁ旅とそう変わんねぇよ。遠征つっても、魔物の被害に遭っているとこ片っ端から片づけて、そこから魔王の手がかりをつかんで、居場所を特定していく流れだな」

「なんか非効率な気がしますよね。いろんな国が調査すればすぐに見つかりそうですけど」とレネ。


「そこに割くほどのリソースがねぇんだと。まぁ魔王討伐に全く関与してないわけじゃねぇし、支援をそれなりにもらっているから文句は言えねぇよ」

「あとは合成種の魔物が強すぎるんだ。騎士団だけじゃ手に負えないし、被害も少なくない。防衛対策が精いっぱいとのことだ」とメイン。

「ま、旅を通して魔王に有効な魔力を魔物から得られたり、戦闘の経験も積んでいけるから全くの無駄ってわけじゃないぜ? それに、誰も入れねぇようなあぶねぇとこほど、手がかりがあるってもんだ。足跡とか産卵跡とか。あと体液の成分も評価するとか。そこから時期や行動、気分を推定して生態と行先、次何をするのか仮説を立てるんだ」


「もしかして勇者パーティって学者の集いだったりします?」

「いや、肩書通りの役職を担っているに過ぎない。ただそういう情報やメソッドは出陣前に教わった」とメイン。

「正直、訓練よりもきつかったぜ」

 特にブレイブとシルディアが膨大な情報の前にパンクしそうになっていたしな。


「えーそうなんですね。魔王ってお城やダンジョンの最深部にいるイメージでしたけど。ほら、魔物の王様ですし」

「噂はいろいろ独り歩きしてるけど、そんなわかりやすい所にいれば苦労しねぇよ」


 レネにそう返し、壁に手をついては下の深い段差へと降りる。結界を展開しては階段を構築し、あとに続くレネたちはそれを使った。


「なんのためにアーサーさん……でしたっけ。こんな場所に聖剣を封印したんでしょ」

 歩いて数分経った頃。静寂がどことなく気まずさをもたらしたと感じたのか、レネの方からそんな話題を吹っ掛けてきた。意外にも、メインがそれに反応した。


「もしかすると、ここにいる番人たちはその勇者パーティによって生み出されたものかもしれない」

「どういうことですか?」とユージュ。

「聖剣は魔王にとって不利だから、それを破壊しようとどうにかするだろう。それを防ぐためにこういうダンジョンを作った」

「え、ダンジョンって作れるものなんですか? てっきり自然発生だとばかり」とレネ。

「ああ、勇者パーティの中には魔物の召喚は勿論、環境を構築するスキルをもつ人が歴代にいたんだ。第一期か第二期の魔王討伐隊の誰かがここを作ったと言っても不思議ではない」

「つっても、もう少し手加減してほしいもんだぜ。メインの支援魔法がなけりゃ無理だったろこれ。……なんだよ、なににやついてんだよ」

 こちらを向いてはニヨニヨしているレネ。腹立つ顔してんな。


「ふふ、べっつにー? ようやくサブさん、メインさんのすごさを認めてくれたなーって」

「そうなのか?」

「そうもなにも、以前から何度も言ってるだろ」

「あのときはパーティに引き戻すための言い訳にしか聞こえなかったんですよ。メインさんが何かするたび冷めた目で見てましたし」

 まぁそれは否めねぇけど。意外と人のこと見てんだなこいつ。


「ひどい言い草だぜ。別にこいつの実力自体は高く評価してんだ。ブレイブたちがなぜか酷評だけどな」

「それって勇者の人ですよね」とユージュは振り返る。「今のメインさんを見たら、きっと勇者さんとそのお仲間さんも納得してくれると思いますけど」

 彼女の言葉を聞きつつメインを見たが、何を考えているか読めなかった。少しだけ俯き、口は噤んでいたが。


「あ、あれ? わたし、まずいこと言っちゃいました……?」

「ああいや気にしなくて大丈夫だユージュさん。それよりも」と先頭にいたリリスの方へと声をかける。「そろそろ着きそうか?」

「うん。もう少しで地面、見える」と返ってきた――その時。


 一閃の光が俺たちの足場を奪った。

 鼓膜を突き破るような一瞬の轟音は、闇から放たれた光線によって砕けた岩によるものか。同時に聞こえる彼女らの悲鳴。それ以上の情報を追えることができないまま、俺たちは奈落へと吸い込まれる。


「あたたたぁ……みんな大丈夫!?」

 少しの間の後、レネの声がどこからか聞こえた。それに応えたユージュも無事そうな声を出した。

「はい~、なんかやわらかいものがあったおかげで助かりましたぁ」

「これ、メイン様の魔法」

 確かに俺たちは落ちたが、リリスの言った通り地面――というより朽ち果てた骸の山に等しいが――はすぐそこにあった。とはいうものの、常人でこの高さから落ちればひとたまりもないはずだが、メインのサポートで一同は何とかなったようだ。全員無事そうだったからよかったものの、ひとつ言いたいことがあるとすれば。


「間一髪だったが、緩衝魔法を使った。ともかくみんな無事でよかった」

「おい俺には魔法なしかよ!」

 骨の山に頭から突っ込んだ俺は埋もれたままそう声を上げる。右の方からメインの声が聞こえた。

「サブは大魔導士だろう。自分の身は自分で守れると思っていたが」

「ごもっともすぎる理由に納得以外しねぇよ畜生」と言いながら上体を骸の山から引き抜く。頭を振ったり髪をかいたりしてパラパラと骨片を振り落とした。うわこれ絶対頭痒くなるやつだ。後で水魔法で洗うか。


「それより」と心許ない光魔法を展開しつつあたりを見回す。「近くにいるぞ。俺たちを狙ったやつ」

 全員がじりじりと一点に集まり、周囲を警戒する。だが感じるのは吐き気を催す腐臭とねっとりとした生暖かい空気、蠅の飛び交う音ばかり。気のせいだろうが肌の上を何かが這うような感覚を覚える。


 ここがエリア2"ヴィータの墓場"。エリア1を支える巨大な石の柱と菌糸の柱がどこまでも高く聳え立っている。今も上から何かの肉塊の一部や死骸がぼたぼたと落ちて、肉と脂が分解されたような粘性物や、黴とも肉塊ともつかない何かの生命体、朽ちた骨だらけの腐った地面に降り積もる。嫌悪感を抱いたと同時、頭部と全身になにかの魔法が付与されるのを感じた。


「状態異常と汚れを防ぐ防護魔法を全員に付与した。ここは毒素もあるし、相当汚染されているからな」

「ありがとうございますメインさん! 本気のマジで助かりました!」

 レネは感激してるが、できるならもっと早くやってくれ。

「ようやく支援魔法らしいのしてくれたな。なんだか懐かしいぜ」

「いつも一緒にいるだろう」とつまらん返しをしたメインは指示を出す。「ユージュ、そっちの方角に一度横に薙いでみてくれ」


「はいー」とのんびり返した彼女は赤い髪を揺らし、フルスイングで両手剣を振る。

 生じる巨大な斬撃が遠くへ飛ぶ。死骸の数々が巻き上がり、斬れ、腐臭が一層強まった。だがその斬撃の衝撃波は薄まることなく途中で止まる。かき消されたように見えたが、なにかが当たったことは確かだ。


「見つけた」

 メインが呟いた瞬間、暗闇の中で燦爛たる光の花が咲いた。

 明らかな敵意は異物を排除せんとばかりに、光と熱の形となってこちらに迫った。


「ッ、"消転翔トランスケープ"!」

 防げない。直感がそう警鐘し、全員まとめてその場から転移させた。平衡感覚の喪失と嘔吐感等の副作用に堪えながら、全員の無事を確認する。

 大樹のような太さを誇る光線は骸の地を熔かしては暗闇を一瞬だけ照らし、巨大な石柱を貫通する。轟音を立てて倒壊し、一気に砂埃が辺りを舞った。

 焦げ、熔けた骸から煙が昇る。パキパキと骨を踏み割る音が静かに聞こえた先に、奴はいた。

 猛々しい獣の六脚から生える鎌のような爪は何重にも重なっており、牙狼類のような頭部と頑強な咢から突き出た2本の巨大な牙は岩山をも容易に砕きそうだ。

 あらゆる魔物の死骸――骨や甲殻、鱗を纏っている黒白の巨獣。


「こいつは……」

「"骸の王"だ。レベルは256か」

「ぎええええっ、レベル高すぎですぅ!」

「リリス、死をかくご」

「しなくていいから」

「でも、メインさんがいるから大丈夫! あとサブさんも」

「俺をついでにすんな」


 副作用が治り、平常に戻った俺は大杖を立てる。おばけスライムの次は犬っころか。全身から闇のような影が揺らめいているのは体毛か、それともそういう魔力か。

 杖を大きく振るい、ぽつりと詠唱しては激しく燃焼する火炎弾を飛ばす。獣の正面でなく、カーブを描くようにして視線と意識を火の玉に向けさせた。

 その刹那、反対方向から一閃の矢が奴の左下から右上の首にかけて貫通する。メインによって転移させられたレネの魔法まとう一矢だ。


「決まった!」

 と彼女が喜びを上げた途端。レネの居た場所が消し飛ぶ。獣の巨大な右腕が、地面ごと根こそぎ取ったのだ。

 間一髪、レネはメインらのそばに引き戻され、事なきを得たが。なにが起きたのかわからない様子の彼女だったが、すぐに状況を察知したようで我に返った。それでも腰を抜かしたままだった。


「……っ!? あ、ありがとうございますメインさん。なんかもう、風というか爪が鼻に当たった感じがして本当に死んだかと」

「早く立て」と俺は声を上げる。「まだ勝負は終わってねぇぞ」

 骸の王の巨躯が倒れることはなかった。首を貫通されたにもかかわらず、ものともしていない。骸骨で組まれた鎧越しから除く二対の眼球が、こちらを静観していた。威嚇もなくただ見つめる様に、おぞましさを植え付けられる。

 

「うそ、脊髄狙ったのに」

牙狼類バルカニスと同じだと思わない方がいい」とメイン。「レネとユージュの一撃で分かったが、おそらく通常攻撃はほぼ効かない」

「え、それじゃあどうすれば――」

「おまえら避けろ!」


 俺の叫びが通った途端、幾重にも重なった鉤爪が降ってきた。骨の山が粉砕し、噴き上がり、クレーターが生じる。その衝撃波で俺の体は容易に吹き飛んだ。

 くそ、あいつらと分断してしまった。吹き飛ぶ際に悲鳴が聞こえたし、感知魔法も人間大程度の魔力が4つ点在したのが確認されたからあいつらは無事だろうが、きっと同じようにバラバラになっただろう。あの三人がメインから外れるのは非常に危険だ。


「"燈の華プロ・バノン"」

 火炎弾を連続で飛ばし、骸の王の意識を向けさせる。

「おい! こっちだデカブツ!」と叫ぶ。所詮は魔物、変に悪知恵が働くことなく、こちらへと牙を向けた。死骸纏う闇そのものが眼光を向けたのを見て、若干の後悔を覚えた。


「なーんでこういう損な役割を買って出ちゃうんだろうな俺は」

 苦言を呈するも、俺はそいつに背を向け、転移魔法を発動しようとした瞬間。

 死んだ魚のように白くも、銀を帯びる獣の眼光が顔の真横にあった。


「なっ――」

 4本線の衝撃が走る。

 突き出た鍾乳洞を貫通し、骸の地を転がる。為す術もないままに空へ飛ばされるが、滞空中に体勢を整え両の脚で地面に踏み込む。無数の骨が砂埃のように砕け散っては舞う。煙が吹かんばかりに地面に二本線をえぐり刻み、数秒を経てようやく留まることができた。

 防護魔法の鎧があっても、骨が筋肉から突き破りそうなほどの衝撃。だが、それで済んでいる。無詠唱かつ高精度に展開できるレベルに仕上げておいてよかったと心から思う。でなければきっと、いや、想像したくもねぇ。


「あぶねぇ! はぁ……ハァ……」

 巨体のくせして魚みたいに俊敏なやつだ。重力の有無を疑うぜ。


「"風水雲船ふうすいうんせん壱之式イチのしき"」

 回転させ、右下へ振った杖の先、周囲の気体や水を一点に集結させ、舟型に似た雲を形成させる。先端が反り返ったリフトにも見えるが、これはれっきとした低空飛行用の浮遊魔法の一種。集中しねぇと形を保てないのが難点だが、魔力のコスパも良く、これならあいつのスピードに対処できる。

 すぐさま乗り込み、地の上を滑空する。

 照明魔法を展開しているとはいえ一寸先は闇。風を切る音に交じる奴の動きも判別しねぇと。とにかくあいつらが態勢を整えている間に、こいつの対処法を見つけるんだ。

「……っ」


 骸で埋め尽くされた地面が蠢いている。それだけじゃない、こちらについていこうと迫ってきている。

 どうやらここにはボス一体と、無数の蠅や蛆だけじゃなさそうだ。

 詠唱し魔弾を当てると、砕け散った骨とともに細長い何かが姿を現す。ぬらりとしたぬばたまの油と鱗に覆われたそれには目玉がない。


 無脚蜴ムシカゲ、いや両頭盲蛇類ユネクトアンフィスの一種。それも闇の如き瘴気を生み出す、

「"セルペンディ・テネブリス"か」


 この腐り果てた地形を潜り、死骸の山を泳ぐドラゴンモドキがいるようだ。腕一本程度の小型から、牛一頭丸呑みできるほどの大型まで、何十ものそれらが骸の海を駆け巡っている。

 大人しく屍だけ貪り食ってりゃいいものを。


「"蕾々霆らいらいてい"――」

 大杖を地にかざし、俺が通った場所とその周辺に玉の形を成す光電の種を蒔く。それは地や天然の柱に根を張っては光る蕾を膨らませる。


「"竜の遊び"!」

 蕾が花咲く瞬間、そこから雷が地と空を走り、一帯を眩い電撃で覆った。一瞬だけ見えた網目状の光は竜の子どもたちが泳いでいるかのようだった。その餌食となった竜モドキは感電し燃え、炭化する。

 これのついでに骸の王も喰らっていればいいと思ったが、甘い話だった。


「ッ、またか!」

 俺の魔法以上に輝く一点の光はこの場に太陽が出てきたよう。今度は範囲が広い。


「"アズマ式・金剛の構えアダマスタンス"!」

 黄金色の魔法陣を硬質化した全身の表面に展開し、両腕を眼前に交差しては無色透明かつ光屈折したダイヤ状のシールドを張る。

 骸の王から放たれたエネルギーの塊は雲の船をかき消し、俺の体を容易にブチ飛ばした。一帯が更地と化すのが目に入った瞬間、それが点のように小さくなり――光が俺を覆い――視界がごちゃ混ぜになる。


 どこが重力なのかもわからないまま骸骨の山に身を放られる。死ぬかと思うほどの身体的負担だが、すぐに起き上がり、奴の動向を追う。相当飛ばされたようで、すぐ近くにはいないようだ。


「"蕾々霆らいらいてい"」と杖を回転させては詠唱し、再び雷を宿す花を周辺に設置する。

「あの光線厄介だな」

 だが、反動が大きいのか必ず動きを止めて放ってくる。攻撃しても移動しているときも影の焔を吹き流しては煙のような挙動を見せるが、あの攻撃をするときは影の焔がほとんど見られない。


 そのスキを突けば、と思ったとき。音沙汰なく俺の正面に竜の巨骨が無数に舞い上がったと同時、闇の煙が――骸の王が纏う骨と甲殻の音を擦り、奏でては躍り出た。冗談じゃねぇ、瞬時に移動できる能力もあるようだ。

 その足元には竜モドキが蠢いている。這ったあとが黒く塗られ、そこから瘴気ともいえる黒い煙が蒸発するかのように漂っていたのが見えた。

「……もしかして」

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