21.第一層 "精霊の楽園" ~俺いなくても別にいいのでは?~

 外から見れば真っ暗だったが、思ったより深くはなかった。せいぜい十数メートルくらいか。浮遊魔法でゆっくりと降り立った足元は柔らかい。湿った苔と草が生い茂っているようだ。ぼんやりと光る苔やキノコ、胞子や虫の数々が明かりとなっているが、それでも心もとない。


 サク、と杖を地面に刺し、音響魔法と探知魔法を展開する。深海でハープを響かせたような音色がしずかに空気の波紋を描く。周囲の物体と生体反応を確認するも、警戒すべき敵性魔物は近くにはいないようだ。ただ思ったより広い。


 光魔法を唱えては自身の周囲のみを照らし、魔物や植生の姿を露わにする。数種類観察し、生い茂る木々や草、土に触れた。毒や病原性の有無を大まかにだが自分の知識を引き出しながら推測してみる。無害とまではいかないけど許容範囲だし、大丈夫そうだ。


 入口で待機しているメインたちのもとへ浮上しては環境と安全度を告げる。用意したロープを伝い、全員がダンジョンの中へと入った。

 メインを先頭に、最後尾に俺がつく。足元が凸凹していて歩きづらい。自然界で生きてきたらしいリリスはものともしていなかったが、反してレネは何度もつまずき、ユージュに至っては3回ほど盛大に転んだ。


 深緑色の鍾乳洞に入り、蛍光を放つ玉簾たますだれのカーテンを潜り抜ける。綺麗だと女性陣が感心している。これがすべて、寄生性の蟲の卵だということは黙っておこう。どれもまだ青白色だし、緑色になっているものはなさそうだからな。


「調査によれば、ここがエリア1――"精霊の楽園"だそうだ」

 光魔法の必要はない。ぼんやりと、しかし強くきらめく景色が広がっていたからだ。

 広がる空間に出ると、誰もが目を丸くしたことだろう。突き出る岩や地面を覆う多彩な光苔、緑の雨を滴らすように生い茂る巨木林、壁には極彩色の花を咲かせる蔦や登竜の如き木々が根を張っている。天井から突き出す氷柱状の樹から放射状に下へと伸びる枝葉に光蟲が集っており、それが照明の役割を果たしている。宙を舞う妖精の粉や発光蟲が描く軌道やコロニーは空に浮かぶ花畑のようだ。

 

「すごいすごい! 体が軽いですよ!」とレネはぴょんぴょんと小刻みにジャンプする。まるでスローモーションになったように、落下時だけわずかに重力に抗っていた。人間ほどの質量でもここまで身軽になるほど、ここの環境は魔力で満たされている。独特な力場が発生しているようだ。それに温暖だ。


「重力があまりないんだな」

「きれい……」

「とても幻想的ですねぇ、雪山の中にこんなダンジョンが広がってるなんて」

 リリスとユージュがひとつひとつに見惚れているのを一瞥し、再び音響魔法と探知魔法を展開。これだけの豊かな環境ならば魔物の多様性もありそうだが、問題はその脅威度だ。


ギルド調査報告フィールドワークの資料読んだ限りだと、ここらの魔物のアベレージレベルは75だそうだ」

「そんなの無理に決まってるじゃないですか!」

「ここって地獄だったりします?」

「大丈夫だユージュさん、地獄のほうがまだマシかもしれないから」

「それ大丈夫じゃないです」


 高いのか低いのか当初はわからなかったが、幾度のクエストで得た知識を借りるならば、Dランククエストの魔物だとレベル1からレベル20で、Aランクの討伐対象ともなるとレベル80にもなるそうだ。ただそれは危険度の高い大型の魔物や社会を形成している知能の高い魔物であることが多い。ここはそこらの小型の魔物でもそういった怪物を凌駕する危険性を孕んでいるということだ。蠅一匹でも油断ならねぇのが恐ろしい所だ。

 それと……とんでもねぇバケモノが奥にいるみたいだ。しかも探知魔法に気づいたのか動きを見せた。


「メイン、支援魔法は」

「ああ、最適なものを展開している」

 えらいふんわりした返しだな。最適ってなんだよ要はおまえのさじ加減じゃねぇか。

「確か、ここよりももっと深いエリアがあるって資料に書いてありましたよね」とレネ。

「おそらくその先に聖剣があるのだろう。問題は、そのエリアに辿り着いて帰ってこれた者はいないそうだが」

「メイン様、何かいます」


 そうリリスが告げる。尾と耳の毛が逆立っていて、小刻みに震えている。

 苔地の丘陵を下った先はやけにだだっ広い平原が広がっている。あの周辺だけ植生が少ないのも違和感があるな。


 行ってみよう、とメインの一言を合図に全員が恐る恐る平野へと下る。近づいてきたあたりで俺は詠唱し、形成させた水の弾を十数発、平野に落とした。特に変化はない。安全が確認されたわけではないが、特に典型的な罠や待ち伏せしている魔物がいる確率は下がっただろう。俺が率先して平原に足をつけ、歩を進めた。が、すぐに止めた。


「"冬に煌く水面の朝霧コア・グ・パール"!」

 杖を立て、詠唱した刹那。眼前に無数のガラス針が迫った。それは空間一面に一斉に咲いた群生の結晶花のよう。結界魔法の展開があと数コンマ遅れていたら、俺の体はハチの巣といい勝負になっていたことだろう。結界の防壁を貫通はせずとも押し通すほどの力。


 その正体は無色透明の液体だった。結界の外側から垂れる粘性の液体は潮のように引いていき、平原の中へと帰っていく。


「"顕現せし彩光パトラクス"」

 杖をかざし、光の粒子を放出させては一枚の膜状へと変化させる。ベールをかぶせるように、陰りを含む草原一帯を覆っては深奥へと染み込んでいく。

 その直後、メインは草を分けては地面に手を押し付けた。


「メインさん、いま何を」

「この地に奴とは異なる属性の魔力を流し込んで、無理矢理地上に出させる」

「水と油のようなもんだな。極性の差で分離させんだよ」と振り返った俺はレネにそう補足した――途端。


 メインの思惑通り、その平原の数か所から間欠泉が……いや、そいつの一部が吹きあがった。次第に地面全体から水があふれ、透明の水の山を形成していく。まるで巨大な津波を前にしたかのような。今にも飲み込まれそうだ。


 俺の顕現魔法のおかげもあって、その姿は鮮明に見えた。光干渉による流動した虹色はシャボン玉よろしく艶やかさを帯びているが、

「お、おおきいですね~……」

「メインさん、まさかこれが」


 見上げる程の巨大さに圧巻され、見上げるユージュとレネの震えた声に対し、メインの答えは淡々としていた。感情どっか落としたの?


「ああ、"精霊王"だ」

 見事な魔力量だ。塊なんてものじゃない。

 それもそのはず、精霊王といわれるそれは膨大な魔力とこのダンジョン特有の磁場で形成された特殊な魔物だ。半透明の巨大なスライム状を形作っているそれは、無数の粘性高い触手を生やしている。知能なんてものはなく、ただ熱と光、魔力に反応するだけのはずだが、反応パターンが増え、複雑化してくると知能ともいえる行動をし、魔法が展開されるようだ。まぁ特定の条件で獲物を喰らう動作は植物でも顕著ではある。


「鑑定したが、レベルは150程度か」

「おまえ魔物の鑑定魔法も使えたの?」

「ん? 言ってなかったか?」

「ぶっとばすぞマジで」

 つい本音が漏れてしまうが後悔はない。シルディアの専売特許ではなかったようだ。

 一般的な冒険者界隈じゃあ魔物のレベルは100以下がほとんどらしいが、ここはその常識を簡単にぶち破っていくな。さすがは聖剣を封じ込めているだけある。


「つっても、その数字もあてにできねぇだろ」

「サブ様。メイン様、うたがうの?」

 この子も全肯定少女かよ畜生。リリスとメインは主従関係あるにしろ、能動的にこっち否定してきたぞおい。あぁそっか、契約結んだ際に奴隷って立場じゃなくなったからか。いやどういうことだよ。


「……仮に正しかったとしても、メインよりレベル低い相手だろ?」

「ああ、倒せる。けど、みんなのレベルを上げたいから、できれば戦ってほしいのが本音だが」

 鬼畜かな? もしかして前世悪魔だったりとかする?


「気持ちは分かるけど限度があるだろバカ」

「私はやれますよ!」

 そうレネは意気揚々と言ってくる。別に悪いことじゃないけどそれはもうちょっと自分自身の実力と実績を付けた人が言う科白せりふな気がするんだ。


「おそらくここはまだ序の口だ。いきなりの戦闘で悪いが、レネとユージュ、リリスで奴を倒してくれ。サブも前衛で3人のサポートを。僕は後衛で支援魔法を展開する」

 全員の了解を耳から流す。

 あいつが指示出すのっていつぶりだろうな。基本はブレイブだったが、状況に応じて指揮は誰でもやっていたなと思い出している一方で、精霊王は俺たちの動きに合わせて触手を動かしてきた。あまり近づくと食われるな。

 とりあえず、あいつの脈がどこかを探るか。その前に


「"展開エクス"・"守護神の盾イーディス・アスパーダ"」

 防壁結界で動きを封じ込め――ができるほど甘くはなく、結界を打ち破ってきた。

 おもしれぇ。やってやろうじゃねぇか。


 そう思ったつかの間、背後から大量の虫型魔物が飛来してくる。それにいち早く反応したターゲットは触手をうねらせ魔物をとらえて吸収する。無数の羽音で聞こえにくかったが、微かな遠吠えでリリスの使役魔法だと判断できた。

 その隙を狙ったのだろう、ユージュがえいやと剣をひと薙ぎした瞬間、激しい地鳴りと共に巨大な不定形体は真っ二つに割れた。

 それでくたばるほどのタマじゃない。傷口から触手が伸びて再生する――と予想していたが、なにやら宙に粘性の球体が形成されていく。次第にそれは色を帯び、光を漏らしては赤く染まり始めた。


「なんですかあの赤い球。どんどん大きくなって――」

「自爆魔法だ! 下がってろ!」

 そう叫び、全員の周囲と奴の球体めがけて何重もの防護魔法を展開しようとしたとき、一閃の銀が空を斬る。

 それは一直線に自爆魔法の発動媒体を貫き――視界が漂泊する。

 だが仕掛けた防護魔法が功を奏したのか、衝撃と光を感じた以外は特にけがもなかった。見上げると、精霊王の姿はなく、無数の煌めき彩る粒子が雪のように降ってくるだけだった。おそらく、自爆魔法の誘因によって自身の体も反応して揮発したのだろう。


「危機一髪、ですね!」と、とどめを刺したと思われるレネが満面の笑みを向ける。

「……」


 レネが放った矢なのはわかるんだけど、何かしらの魔法が付与してない限り貫通しないよね。まぁいっか。どうせメインの支援でなんかいいようになってんだろ。

 見事な3コンボ。そんでノックアウト。連携もばっちり。結果オーライだけども。

 こんなあっさり終わっていいの?


「わたしたち強くなってますね~。ほら、レベルも90越えましたぁ」

 ステータスパネルを展開しているユージュはにっこりしている。「リリスもリリスも」とそんな彼女に自分のパネルを見せようとする獣人の姿は、親に自慢したい子どものようにも見えた。よかったね。

「メインさんのおかげです!」とレネはメインに頭を下げるのを見ては、俺は頭をかき、ため息を一つ。


「なんかみんな格段に強くなってる気がするな」

「あれれぇ? サブさん嫉妬ですかぁ?」と上目遣いでからかってくる。

「なにニマニマしてんだよ。別に気にしてねぇよ」と彼女の額にデコピンする。

「あいたっ」と額を抑え、彼女はじとりと睨む。

「自分の実力気になるならステータス確認すればいいじゃないですか」

「そんなものに頼りたくもねぇし、あんなへんてこな呪文も言いたくもねぇ」

「えー、サブさんも似たようなものじゃないですか。なんですか"せいてんかいせい"って」

「普通に恥ずかしいからやめてマジで」


 気にしてなかったのに素人に言われるとこうも恥じらいを感じてしまうのか。複雑な魔法使う時は仕方ないんだよと言おうとしたとき、メインがフォローに回ってくれた。


「そういう詠唱なんだ。もともと長々とした呪文と演算を頑張って齟齬なく短縮した結果が詠唱と言われる。学問の理解にもイメージが重要と言われるように、魔法もそれは例外じゃない」

「へーそうなんですね! さっすがメインさん」

「いや、僕も魔術師だから。このくらいみんな知ってるよ」

 だからみんなって誰だよ。知らねぇ魔術師いたらどうするんだ。


「みなさぁん、先行っちゃいますよー」とユージュはリリスを連れつつこちらへ呼びかける。あんな怪物と立ち会ったってのに、どんどん進もうとしている。未知の場所だから気分が上がるのも解らなくはないが。


 探索して分かったことだが、なにもこの洞窟には多種多様の魔物が棲まう森や平原だけでないようで、あちこち奈落へと続く穴が空いている。草木に隠れているので、脚でも踏み外したら一巻の終わりだろう。


 段々と洞窟らしい暗さが辺りを染め始めていく。それもそのはず、たどり着いた先には巨大な奈落が大口を開けて待ち構えていた。ぬるい風が吹いたり、背中から押されたりし、まるでこの穴が呼吸でもしているようだ。


「うわぁ……雰囲気あるなぁ。ぶっちゃけ怖いんですけど」

「あんまり覗くと落ちるぞ」と軽口をたたくと「べつに落ちませんー」とレネは頬を膨らませて返す。

「真っ暗ですねー、なんにも見えないですよ」

「……くさい」


 リリスの言う通り、心なしか硫黄臭くも感じる。まるで何か腐ったような、そんな匂いだ。

 このまま飛び込むのは明らかな自殺行為だ。だが、杖から発動した遠隔照明魔法も探知魔法も無意味といわんばかりに闇に呑まれた。ただの暗闇ならばこうはならない。


「……まずいな、探知魔法仕掛けてもノイズばっかりだ」

「どこに魔物がいるかわからないってことですかぁ?」と訊くユージュに、俺は頷く。


「それだけ魔力量と濃度が凄まじいってことだ」

「段差がある。あそこを伝って降りていこう」

 メインが指さした先、たしかに穴の淵から側面にかけて粗々しい岩の出っ張りがあった。階段にしては途切れ途切れになっており飛び移って降りる必要があるが、幸いらせん状に続いている。

「まぁ、一気に降りるよりかましだな」


 そう言った矢先、メインたちは奈落へと歩を進めた。俺はその場で深呼吸するも、不快な空気が鼻腔と肺を満たすだけだった。

 ここからでもわかる。本能が警鐘するほどに、体が動こうとしない。それでも無理矢理動くしかないと、息を止めて倒れるように前へと足を出す。


 調査隊の報告資料が正しければ。

 生命溢れるの楽園の次は、命尽きる墓場だったか。

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