36.魔王の描く未来

 一瞬、なんのことだがわからなかった。だが言葉を反芻し、徐々に理解していく内、自然と身構えていた。

 噓の可能性を考える余地はなかった。人間なのにそうとは思えない存在感。たった一言で本能的に全身の毛が逆立ち、背筋が凍りつくような体勢になった以上、認めるほかない。

 こいつが、魔王。

 かつてこの世界を支配せんとし、一度敗れるも復活しては無数の怪物を生み出し、人類を滅ぼそうとする災禍の王。

 人類の敵――!


「そのような恐ろしい目を向けないでいただけませんか。分断したあなた方に手を下すことは致しません故」

「じゃあ何しに来た!」

「あなたとお話したく、伺いに参った所存です」

 どういうことだ。そもそもなぜ魔王はここに、このタイミングで来た。それに第一期魔王討伐隊の記録に描かれた魔王の姿とだいぶ異なる。怪物を生む母体とも云われただけに、その姿は外骨格を纏う無数の触手を生やした軟体頭足類に近しい龍だったはずだ。だがそこにいるのは角もなければ尾も翼もない、れっきとした人間の姿。

 両手を静かに添え、魔王はやけに低姿勢で話しかけてくる。その姿と所作はまるで一国を統べる女王陛下のようだ。


「サブ・ライト様。あなたの行動の一部始終を観ておりました。信頼すべき仲間が追い出され、その後を追い、和解するよう説得を重ね……失敗。あまつさえ親友に殺されかけ、仲間同士で戦い合い、挙句過去の罪状が発行され勇者パーティの称号は大魔導士の名と共に失効。果ては王国に制裁を下されるという始末」

 地底湖で響く波紋のような声。それが魔法詠唱のように淡々と述べる様はまさに楽器の独奏だ。だが、これまでの出来事をただ報告するかのような発言に、挑発とさえ思えてくる。

 さぞかし魔王様も呆れているってか。

の顛末、お辛さはいかばかりかと拝察いたします 」

「ハッ、お心遣いどうもありがとうよ」

 魔王サマ直々に気遣われるたぁ、俺はとんだ笑い者だな。

 くそ、鎖も手錠もびくともしねぇ。これじゃあ俎板まないたの魚同然だ。というかどこから侵入してきたんだこいつは。


「そしてこれからは、あなたが"主人公"になる番です」

「……は?」

 言っていることの意味が分からなかった。鎖への抵抗も自然と止まる。

 しゅじんこう? 御伽噺の絵本や吟遊詩人の物語で出てくる主人公のことか?

 そいつはまさに吟遊詩人のように語りだした。ゆっくりとした声調はまさに物語を紡ぐのに向いていそうだと余計なことを思ってしまう。

「不条理で、理不尽で、不可解で、そして不遇な目に遭う段階は終了しました。さぁ、ここからあなたの逆転劇の幕が開かれるのです。メイン・マズローのように」

「さっきから何わけのわかんねぇこと言ってやがる。ふざけんのも大概にしろ」

「……素直に今後の方針を伝えましたが、半端に発達した知能では中々に扱いが不便ですね」

 小さくため息を吐く。とてつもなく馬鹿にされた気分だが、妙に引っかかる。ひとまず、俺は言葉を待った。


「一からお伝えいたしましょう」

 牢屋の壁沿いに置かれていた木の丸椅子が檻の前へとひとりでに動き、魔王はそこにスッと座る。

「まず、サブ・ライトあなたという個の存在を疑問視しておりました。なぜ"我々"の干渉を受けないのか。なぜ、あなただけが我々の思い通りに動かなかったのか」

「干渉だと……?」

「おそらく、あなたは致命傷を受け事切れた直後、私の魔法に影響されたためだと推察されるでしょう」

「……? どういうことだ。俺がこうして生きているのもお前の魔法と関係があるってのか」


「――"編纂へんさん術式"」

 廊下の暗闇から溶け出るように、黒に装丁された一冊の分厚い書物が奴の右手の上で浮きながら出現した。それを手に取り、本を開く。

「あなた方と戦った際に、それを発動したのです。これまでの勇者の皆様方と異なり、弄り甲斐のある粋の良さを感じました故」

「っ、やっぱり接触していたのか……!」

「ええ。あそこまで追い詰められたのも久しく、中々に楽しめました。心より感謝申し上げます」

 数枚ページをめくっては本を閉じ、膝の上に置いた魔王はにっこりとほほ笑んできた。冷淡な声に変わりはないが、心なしか嬉しそうな声色にも聞こえた。

 舐めやがって。戦いを遊びの一環だと思ってやがる。


「話を戻しましょう。"編纂術式"はこの時空軸と数多の命と魂の運命軸を制御し、ひとつの箱庭として隔離する機能を有しています。生と死の狭間にいたあなたはその発動範囲内にいたものの、大きな干渉はしなかったのでしょう。故に、私のシナリオ通りに動かない瑕疵かしとなった」

「……何の、話をしてるんだ」

「私は描いていたのです。あなた方の物語を」

「……は?」

 思考が止まったのは、この空間の時が止まっているからだろうか。ちがう。拒否をしているんだ。それなら聞き流せばいいだろう。机上の空論は簡単に否定できるのに、受け止めてしまうのはきっと、心当たりがあると心の奥で認めているからなのだろう。

 理解しようと踏み出すことが本能的にまずいと感じたのだろう、鼻で笑ったことで自身の内側へ溺れることは免れられた。


「ハッ、なんだよそれ。つまりあれか? この世界や俺たちは作りものだっていいてぇのか……?」

「半分、不正解でございます。あなたも、大切な仲間も、関わってきた住民、魔物もすべて現存する自律した生命システムです。この世界も最初から存在します。ただ、それらを動かす歯車に手を加えただけのこと」

 勝手に本が浮き、パラパラと開いては箱型の青い魔法陣が火花を散らしては宙で描かれる。中は空ではなく、無数の大小さまざまな歯車がひしめき、回っている。それの一部が欠け、大きく拡大クローズアップされた。それが分解され、隣に出現した赤色の正八面体型魔法陣の中へと組み込まれていく。


「この世界は単純ですが膨大であるが故、大変複雑なカラクリでできております。私はその一部を切り取り、こちらが用意したはこに挿入し、もうひとつの小さなカラクリを製作しました。それによって私の任意で世界を改造アップデートし、皆様を動かすことができます。もちろん、原理原則の改変の自由度も高く、ユニークな代物も生み出すことが可能です」

「じゃあブレイブたちがおかしくなったのも、ステータスとかレベルとかわけわかんねぇもんが常識になっていたのも、メインがデタラメに強くなっていたのも……」


はいわたくしめがそうさせました」

「……っ、テメェ――」

「お気持ちはわかりますが」

 前に数歩踏み出した足が止まる。カッとしてかかる頭の中の負荷が一気になくなった。まるで膨張した管に穴が空き、そこから水が漏れるように。

 なんで。怒りたいのに、どうして気持ちが落ち着いていく。なんで勝手に冷静になっていく。まるで感情の一部が抜け落ちるような虚無感に、血の気が引いていく。

「まずは私の話を聞いていただけませんでしょうか」


 ガン、と。

 全身を振るって頭を石の壁に打ち付ける。視界が歪み、平衡感覚も失いかけているが、頭の鋭く、しかし鈍く広がる熱さは元に戻った。

「テメェの思い通りになってたまるかよ……ッ」

 だが――何かに押さえつけられる。

「おごっ!」

 固い床についた頬と前面が冷たくなっていく。上に何かいる気配もないのに全身にかけて強い圧力と重さを感じる。歯を食いしばって頭を起こし、座る魔王を見上げた。こいつの魔法に違いないが、詠唱どころか一切の挙動すらなかった。

「どう感じていただこうと構いませんが、まずは傾聴の姿勢が今この場では賢明かと存じます。それに、そのような憎悪の目を……あのときにしてもらいたかったですね」

 ふっと、全身にかかる圧力が消えた。咄嗟に起き上がり、より一層、魔王と距離を取る。それを一瞥したやつは、特に何も言うことなく話をつづけた。


「あなたも勇者ブレイブらと同じ"悪役"になるはずだったのです。悪役らしく、主人公メイン・マズローの引き立てに全うしていただかねば困るのですよ。この世界は"主人公"のために用意したものです。"脇役あなた"の美徳は物語をつまらなくさせる」

 そんなの知ったことじゃねぇ。それを口にしたところで意味はないと悟った俺は、純粋な疑問をぶつけた。

「なんのためにそんなことをした」

 そう問うた瞬間、凍り付いた感覚を抱く。なんでもない、ただこいつにじっと見つめられただけだ。だがこのおぞましさはなんだ。強大な蛇を前に、体が強張る蛙にでもなった気分だ。

 怒りも、笑いもしない氷の女王は淡々と答えた。


「味わうためでございます」

 スッと、魔王は立ち上がる。浮いていた本が閉じられては、数々の箱型魔法陣を粒子状へと分解され、虚空へと溶け込んだ。


「あなた方はメイン・マズローという主人公ターゲットオブジェクトを育てるための出発原料コンサマーあるいは触媒カタリストに過ぎない。いうなれば、ほんのわずかの運命的特異点イニシエイター焦点を当てた登場人物サンプルに添加することで力が逐次的、かつ指数関数的に増幅されます。それによる運命の転換はやがて複数の感情や意志同士が接触および摩擦を生じさせ、精神解放カタルシスを呼び起こす。これに簡易的な名称を添えるならば、"酔狂で、Zonkedかつand魅力的なAlluring精神性-Mindednessの供給Afford"――"ZAMAザマァ効果"と称すでしょうか」


「ハッ、そりゃ確かに安易チープなネーミングセンスだな」

「おや、私は気に入っていますよ。しかしそうですか、人の姿を真似ても、感性まではお近づきになれなかったようですね」

 まぁいいでしょうと、話を続ける。

「虐げられ、かつての環境から追い出された主人公が新たな場所で力を発揮し、関わる人々や運命をも従えさせ、すべてを手にする傍ら、主人公を追い出した者および虐げた者は破滅の道を歩む。復讐劇も該当するでしょう。内的欲求不満フラストレーションおよび刺激性緊張ストレスというおもり漸次ぜんじ的に与え、一気に解放する。それによって得られる快楽は、ひとたび良さを知れば癖になる」

「……いい性格してるぜ」

 まさにメインに起きた出来事ってわけか。だが、あいつはそれで幸せだったのか。あいつは本当にすべてを手にしたのか?

 ブレイブとシルディア、プリエラは? そんなことのためにあいつらは、いや、俺たちは人格も過去もめちゃくちゃになって、パーティを壊滅されたってのか?


「無論、理解されなくとも結構。口が合わないと酷評し、このような味を楽しむ者の神経と知性を疑うと軽蔑されても構いません。批判も評論も、侮蔑もまた、中毒を催す砂糖の如き甘美であるが故。悪しきモノ、劣るモノを見下し、優越感に浸ることで得られる満足感は私も良く存じております」

 一緒にするんじゃねぇ。その聖女のように万物の事象を許容せん穏やかな顔も、悉く嫌味にしか見えない。謙虚をのっぺり貼り付けただけの、すべてを蔑むような魂胆が見え隠れしている。そうとしか思えない。


「この反応はいわば馳走の深みを引き出すための葡萄酒ともいいましょう。主人公サンプル含む世界システム熱含量エンタルピーが大きくなるほど、それは美味となる。無論、中庸の心得もなければくどく、酸味が強まることでしょう。加え、余分なものコンタミネーションを除去することも必須。醸造と同じです。最も、自然ワイルド発酵ファーマメントではなく培養カルチャー酵母イーストの使用をやむなくしているといえば否めませんが」

「御託はいい。なにが言いてぇんだ」

 あえて難しい単語並べやがって。意識高い系かよ。

 演説のように語るそいつはくるりとこちらへ目を向ける。その恍惚に帯びた紫玉の眼は――。


「"魔ノ者われわれ"は気付いたのです。……ヒトノ欲スル醜イ願望ヤ妄想ホド旨イ物ハ無イトナ」


 本当に悪魔みたいな野郎だぜ。

「神気取りが……」

「ええ。我々はあなた方にとって、生物の域から逸脱した神ともいうべきでしょう。これが"魔王"の正体です」

 しゃべりたいだけ喋ったのだろう、魔王は再び椅子に腰を下ろした。

 想定内、といえば嘘になる。俺たち人類が討ち取ろうと思っていた魔物は、相当の怪物、いや、概念すらも越えた存在だったようだ。

 こりゃあ……参ったな。

 途方もねぇ。

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