41.涙の先にあるもの
※
「――申し訳ありませんが……今はまだ、話す気にはなれません」
こんな事実を知ってしまえば、王女はなんて思うか。ただでさえ今は追放の身で心を痛めているんだ、これ以上苦しめる必要はない。思い出させる必要もない。せめて何かのきっかけで知られたときに改めて話す方が良いだろう。
いや、違う。……嫌われたくないからだろ。
どこまでいっても、俺は未熟なガキのままだ。
あの後、咄嗟に王女を軽いショック魔法で気絶させたんだっけ。変身魔法で使用人に化けては横になれる場所に移し、王女の体調不良を報告して適当に誤魔化したんだ。宰相の遺体は……ともかく、証拠を隠滅したはずだった。
今以上に、あのときは未熟だった。いや、未熟の一言で済ませられるほど、事の重大さは小さくはない。紛れもなく、俺は人を殺したんだ。
「わかりました」と素直な返事が聞こえた。申し訳なさそうな声を最後にしんと静まり返る空気に、気まずくなる。
「あの、ライト様のお仲間はいかがされているのですか? 魔王討伐において一人でも欠けると大変になるかと存じますが」
当然の疑問だ。ここも濁せばさらに不信感を募らせるだろう。だが、正直に言ったところで伝わるのか。
開こうとする口が鉄のように重い。自然と、開いていた喉が閉まりかけたので、大きく吸った。
「王女様は、何かがおかしいと先ほど申し上げられましたよね」と聞き、了承の返事をもらう。「実は私も似たような境遇に置かれたのです。人が変わったかのような事態に振り回されているうち、気づいたらここに放られたような感覚です」
幸い、この話に関心を示したようだ。壁越しの声が近くなったような、あるいは大きくなった。
「それについて、お聞かせ願えますか?」
「……罪人の戯言だと思ってお耳を傾けていただければ」
*
「――以上が、ここ十数日の間で起きた出来事です。正直、おとぎ話の方がまだ理に適っているでしょう」
罪状の件のみを濁し、メインが追放された日から、先ほど魔王と名乗る存在と話したことまで一部始終を打ち明けるように話した。我ながら破綻した内容だと笑ってしまうほど。いや、笑えるなんて冗談でもない。胸が痛く、苦しかった。嘘を吐いて逃げたかったほど。
せっかく国が金と時間と資源をかけて次世代のために輩出した少数精鋭がこうも情けない顛末を迎えようものなら、不出来さに呆れと怒りを覚えるだろう。なにをやってるんだと石をぶつけられたって文句は言えない。
でも、壁の向こうから笑い声も、怒りも聞こえなかった。
「いえ、私は貴方様を信じます」
芯の通った声。
どうして、と言う前に彼女は答えた。
「救いを求める声に、嘘偽りはありませんから」
「……っ」
「言葉にしなくとも、貴方様が――ライト様がどれだけ苦労されたか、どれだけ励んでおられたのかが声で伝わってくるのです。声に滲む心の声は、誤魔化すことはできません。ですので……私は信じたいと、そう思います」
ぐちゃぐちゃになる。嬉しさも、罪悪感も、理不尽さも、未熟さも、そして絶望感もぜんぶがごちゃ混ぜになって、総身が震える。歯を食いしばり、出そうになる嗚咽を堪え、ただ涙だけを流して冷たい地面を濡らした。
泣く資格なんてないのに。俺は罪人で、何も為せなかった人間なのに。王女に対し誰よりも下心がある愚かな人間なのに。俺は王女の優しさを踏みにじっている。
そんな俺でも、この人の前なら赦してもらえるのだろうか。救ってくれるのだろうか。
違う。枷にはめられた傷だらけの両手を握りしめる。
嗚咽を飲みこむ。腕で涙をぬぐう。救われたいと願っているなら、償いが許されるなら、この人の信じる気持ちに応えるなら、俺がやるべきことは神に懺悔して死ぬことじゃない。こんな空っぽの世界にいるのは神気取りの悪魔だけ。
俺には何もないわけじゃない。最初からずっとあったじゃねぇか。
「……ライト様?」
何をあきらめようとしていたんだ俺の大馬鹿野郎が。
絶対に魔王をぶっ倒してやる。そんで絶対にこの人を救って、世界をもとに戻してやる。
足掻けサブ・ライト。ここからが本番だ。
「ここから脱出しましょう」
この言葉に保証も根拠もないが、
「脱出、ですか」
「私は明日の朝に処刑されます。王女様は国外追放とはいえ、外の世界に生身で入れば死ぬことに等しいでしょう。魔王を討ち取って、こうなった世界を元に戻すためにも、まずは生きてここから出るのです」
「……ええ、ライト様は生きてここから出るべきかと存じます。ですが……」
何を言おうとしているのかはすぐにわかった。そんな悲しいことを口に出す前に、俺は声を上げる。
「貴女様も生きるべきです」
「――っ」
立ち上がり、隣の牢屋がある壁へと背中をつける。壁に打ち込まれた鎖が緩やかに伸びる。
壁の向こうの彼女がどんな顔を浮かべているのかはわからない。だけど、この間は躊躇いと動揺を示しているのだと、なんとなく感じている。
「で、でもわたしは……神にも、見放されたって……」
「周りがそう言っているだけです。神様だって、なにかの試練を乗り越えてほしいと思って、その力を授けたのかもしれません」
「家族にも、エラルド様にも、見放されたのですよ……?」
「私は見放しません。私だけじゃない、王女様を慕う人は見えないところにいるだけでたくさんいます。それにほら、動物たちだって、あなた様のことをよく見ているじゃありませんか」
「それでも、わたし、無力で、それどころか足を引っ張るだけで……ひ、必要もされていないのに」
「必要ないとか、貢献できないとか、そんなの関係ないんです。そんなの、あとからどうにでもなる話なんです。勝手なこと言っているのは分かっています。ですけど、私はルベリア王女に生きてほしいんです」
「どうして……そこまで」
好きだから、とは言えなかった。そんなチープな理由を言ったところで、なにもならない。
鎖の音を鳴らし、両手を見る。体は冷たく汚くとも、この右手のぬくもりを憶えている。
「……12年前、金も家も家族もいなく、生きたところで希望もなかった路地裏育ちの浮浪児に、手を差し伸べたことを覚えていますか」
「……っ」
「あのとき食べたパンは、どんなごちそうよりもおいしかった。あのときもらった金貨は、どんな財宝よりも輝いていた。その子の命だけじゃない、生きる意味を与えてくれたんです」
はじめて抱いた尊敬と憧れ。そして、下らない邪な心。
それは彼女と結ばれること。この拙い想いを伝えること。誰もが抱くようなそんな妄想が叶うことはない。
だから俺は、彼女の笑顔を作りたい。彼女が笑ってくれる未来を作りたい。その笑顔を一目見ることができるのならば、俺は魔王だって倒せると誓った。
「その子は思いました。この人が国を治めてくれるのなら、最高に幸せだなって。この人の為になら、自分はどこまでも戦えるって。恩を返すためになにがなんでも生きてやるって」
本当にバカだと思う。バカだけど、それが俺だ。
「今は力もなにもないと思うかもしれません。心も体も弱いと感じるかもしれません。でも、その子は今も強く信じていますよ」
弱音を吐いてもいい。泣いてもいい。
その先に、強さがあるのだから。
「あなたは女王になる方です」
永遠に感じる数秒の末。ぽたり、と雫が落ちる音が壁の向こうから聞こえた。それを合図に、静かに嗚咽と、すする音が耳に入ってきた。
「あり、がと……ござい、ます。ごめ……なさ、い……っ」
裏返るほど、精一杯ふりしぼった声。聞くたびにひどく締め付けられる。
謝る必要はない。お礼を言いたいのはこっちだ。あなたに救われたからこそ、力を取り戻せた。二度も、いや、ずっと救われてきたんだ。
抑えてきた感情が決壊したのだろう。泣き崩れるような声が籠って聞こえてくる。
何も言わなかった。ぐちゃぐちゃになった今、かける言葉はきっとない。ここからは自分自身との戦いだ。彼女は、戦っているんだ。
少しの間が空く。それがどのくらいだったのかよくわからない。一時間は越えていたかもしれない。10分も満たなかったかもしれない。ただ、時間を動かしてくれたのは、王女の声だった。
壁の向こうから返ってきた言葉は、柔らかくも力強い。
「ライト様……私も連れて行ってくださいますか。このまま何も知らず、何もできないまま追放されるわけにはいきません。この国の、民の皆様の為にできることが少しでもあれば、私はそれにすべてを懸けたい……!」
無機質な石畳から視線を外し、天井を見上げる。
やっぱりあなたは強い。
壁から離れた俺は踵を返す。そこに向け跪き、笑みを浮かべた。
「仰せのままに」
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