39.青年と少女、月明かりの下で

   ※


「うーさっみ」

 寒冷期も過ぎたってのに、夜はまだ寒々しい。その分、酒で酔った気分も少しは冷めるだろう。大理石でできた城内の廊下も松明代わりの発光石が壁に埋め込まれているとはいえすっかり薄暗い。月明かりがあるだけまだ歩きやすいか。


 出陣の儀に宴。豪奢な城の中でこんなにたくさん食べて、たくさん飲んだのは初めてだった。今でも夢なんかじゃないかと思うほどだが、この酔いと満腹感は事実だ。

 それもあってブレイブとシルディアは騒ぐだけ騒いで潰れちまったし、メインとプリエラのおとなしい組はもうとっくに各寝室で眠っている。

 俺に至ってはなんだか眠れず、勝手に城内を出歩いている。まぁ衛兵に見つかっても注意されるぐらいだろ。


 俺たちもとうとう魔王討伐隊に選ばれる立場になったのかと思うと感慨深い。ここに至るまでいろいろ……思い出したくないことの方が多い気もするが、明日から俺たちは生まれ変わるんだな。過酷な旅だろうし、ブレイブ以外の奴らとは知り合って日が浅いけど、きっと5人なら乗り越えていける。そんな気がする。


「……ん?」

 一階に降り、中庭沿いの廊下を歩いていると、人の気配を感じた。衛兵かと思い柱の裏に隠れては木々と花壇の花々で生い茂る庭園をのぞき込む。月明かりと城内に設置されたカンテラを頼りに目を凝らすと、やはり中庭に誰かがいることに気づいた。


 兵士ではない。ひとりの少女が白いロイヤルベンチに座っていた。白を基調としたドレス……いや、ドレスほど高貴で堅苦しい布地でもない。ネグリジェだがどうかは知らないが、その衣服よりも相まって目立つ赤い髪留めと白銀を帯びる綺麗な髪が目に映った。

 心臓から変な音が鳴る。あれはもしや、と思った俺は隠れながら柱から柱へと移動する。ちょうど彼女の横顔が見えるようになったところで中庭に入り、木々の茂みに隠れながら近づいてようやく、確信に変わった。


 ……ルベリア王女? どうしてこんなところに?

 高鳴る鼓動は治まらないのは酔っているからか。いや、一気に酔いが醒めたとも言ってもいいほどの衝撃だ。まさか出発の儀や開宴式以外でこうしてお目にかかれるとは。

 話しかけたい。いや、いくらなんでもそれは流石にまずいか。疑われて怖がられるのがオチ。俺なんかが話しかけていい相手ではない。こうして木々と一体化して眺められるだけでも幸せってもんだ。


 にしても本当にきれいだな。あのときよりも随分と美しく、可愛らしくもなって。まさに王女に相応しいお姿だ。

 小さな鳥が彼女の周りに数羽留まり、それを愛でている様子は、まさしくおとぎ話の中のお姫様そのものだといえる。俺も酔いつぶれて夢の中にいるんじゃないのかと思ったが、頬つねってそれはないと分かった。

 月を見上げる姿は月下美人。月明かりに照る下ろした白銀の髪は幽玄の絹と差し支えない。同じ人間とは思えないほどだ……ただ。


 夜明けのようなその紅い瞳は、どことなく寂しさを思わせる。いや、憂いているともいえるその表情に俺は気になるばかりだ。城内とはいえ、そもそもどうして兵の一人も連れず、たったひとりで――。

 鼻のむずがゆさにまずいと思ったが時すでに遅し。冷えた風によってくしゃみしてしまう。口で押えるも音が漏れたことに顔を青ざめた感覚を覚えた。


「――っ、誰!?」

 当然、気づかれる。ここで変に逃げたら騒動になりかねない。誰かに変身しても不審に思われるだろうし、動物に変身するのは……いや口抑えてくしゃみする動物はいねぇよ。

「あっ、いや、その、申し訳ございません!」

 なるようになれ精神で茂みから出た。両手を上げ、跪き、敵意がないことを示した。小鳥たちが木々の中へ飛んでしまったことに罪悪感を覚える。


「あなた様は……サブ・ライト様」

 ベンチから立ち上がり、俺の前へとゆっくり歩を進めた王女は、そう口にする。

「……っ、覚えていただき光栄です」と心の声が口に出てしまった。それを言ってる場合じゃねぇだろ俺。

「その、こんな夜更けにどうかされたのですか? なにかご不便でもおありでしたか……?」

 責めることなく、気遣ってくれた言葉に胸が震えた。ああ、雰囲気や話し方だけでなく、心まで優しい。10年前のあのときから変わってない。

「いやそんなとんでもない、こんな豪華で絢爛華麗な大豪邸、大満足以外の何物でもございません。ただ眠れなくてこっそり散歩を。その、衛兵らの許可なく勝手な行動をしてしまい申し訳ありません、すぐに部屋に戻ります」

 そう早口をまくしたて、急いで去ろうとしたとき。


「あ、あの、お待ちになって」

 それが幻聴かもしれないと思ったが、念のため振り返ると追いかけようとしてきた姿勢がうかがえた。とっさにきびすを返し、立ち止まる。え、なんか落としちゃった俺。

 いろいろ想定し頭がフリーズしかけたとき、王女は口を開いた。

「少しだけ、お話にお付き合いしていただけませんか?」


 夢でも見ているんじゃないか。

 俺が、あのルベリア王女とベンチで並んで座って、お話ししている。

 俺が何を口にしたのか、どういう話をしていたのか全然覚えていない。王女からいろいろ聞かれた気もしたが、なんて答えたのか。

 どっかの国の王子みたいに教養が高く、女性を喜ばせるような気遣いや魅力的な会話もできなけりゃ楽しいムードすら作れていない、最高にかっこ悪い俺だったかもしれねぇ。でも、この上なく幸せだったのは覚えている。この時間が永遠に続いてほしいと、願い続けた。

 いや、それだけじゃない。ここで人を待っていること、そして自分がここにいることを内緒にしてほしいと言われたことは覚えている。その待ち人というのは王族関係者だというので、きっと婚約者なのだろうとひとり勝手に落ち込んではいたが、それでもこの空間を共有できただけ、俺は世界一の幸せ者だと誇りをもって言える。

 こうして目の前で、ルベリア王女の笑顔を見ているんだから。


「――ライト様は不思議な方ですね」

「へっ?」

 唐突にそんなことを言われた。

「あ、いえ、悪い意味ではなくその、他の皆様方とは違う何かを感じまして。なんといいましょう、いつもでしたら王女として振舞わなければならない気持ちがあるのですが、ライト様とお話ししていると、少しだけ自分らしく話せるような、そんな気がするのです」

 お世辞や殺し文句と言えばそれまでだろう。ただ、市民どころか金もない野良犬同然の人生を送っていた俺にとっては、この上ない嬉しい言葉だった。この人はどこまで、優しいのかと。

「そ、そりゃあそうですよ。私はそこらの一般市民ですから、気遣う必要など――」


「いいえ」とかぶりを振った。「気持ちが安らかになるんです。それは誰にでもあるわけじゃない。私は周りを気遣わせるばかりでそのようにお話しできませんから、素晴らしいと思います」

「お、俺……いや私だって同じですよ。王女とお話しすると、癒されると言いますか、気持ち和やかになるといいますか、この上なく幸せな気持ちになれるんです」

 って言っちゃったぁ! 恥ずかしいこと言っちゃったよ俺。頼む、聞き流してくれ。


「で、ですけど、ライト様の全身がお堅くなられてますので」

 やっぱりぎくしゃくしてたか畜生。俺の中のかっこいい像が崩れ去っちまった上に王女を不安にさせていたか。


「あ、いやこれはその、あれです。恥ずかしながら齢の近い女性とふたりで話すことに慣れていなくて、何の話をしたら楽しんでもらえるか必死になっているだけで、決して恐れ多いとか気を遣っているとかでなく……ってああこれだと失礼に当たりますしそういうわけでもないのですが」

 俺の必死かつかっこ悪いことこの上ない早口弁明に、さすがの王女もぽかんとしたが、くすりと笑った。


「とっ、とにかく大丈夫です。王女様とお話しすると心がぽかぽかしてくるんで、その、私も不思議な気持ちになってまして……ありがとうございます」

 傍から見たら笑われる光景だろう。呆れてものも言えず、見ていられない状況だろう。でも、そんな不器用な俺に対して、彼女は笑ってくれた。

「そういっていただけて嬉しいです。あ、それでお顔も赤くされているのですね」

「あぇっ!? ええはい! そういうことです! 心温まると顔もぽかぽかしてくる体質なんです。おかげで今ぜんぜん寒くなくて……あっ、王女様は寒くありませんか?」

 鈴の転がるような笑いが続く。そんなユニークセンスあふれるようなことを言ったつもりは皆目なかったが、こうしてたくさん笑ってくれることに心が満たされているのが分かる。それはきっと、相手も同じだったのだろう。


「どうしましょう。私、いまとっても楽しいです。勇者の皆様がご出発される前に、ライト様とお話しできてよかった」

 お世辞でもこんな言葉を言ってくれたのだから。


「お、お褒めにかかり大変光栄です」

「ふふ、そのように緊張されなくても大丈夫ですよ。お咎めになる人はおりませんし、ここには私とライト様以外誰もいませんから」

 体を向け、こちらに目を合わせようとしてくる。その微笑みが日陰者だった俺にとっては眩しすぎたが、ここまでいってくださるのだから目を逸らすわけにもいかない。燃え上がるように熱い顔に耐え、そっとその紅い瞳を見つめたときだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――

※補足

・この異世界、かつこの国での成人年齢は18才。飲酒に関する法令はない。

・衛生上、水よりも度数の低いアルコールを飲むのが主流とされている。

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