第七話「手紙」

 隣に彼女がいないことを感じながらどうにかぼくは家にたどり着いた。その思いは家に近づくにつれて強く、大きくなるばかりだった。玄関の扉を開ける。靴を脱ぐ。かばんを置く。手を洗う。部屋着に着替える。歯を磨く。いつもと変わらない帰宅後のルーティンを淡々とこなしたその夜には、あとひとつ自分なりのけじめとしてしなければならないことがあった。


 彼女は今月で今の職場を辞めると言っていた。そうなると正真正銘、ぼくと彼女をつなぎとめる手段はこの連絡先だけだった。ベッドに腰を下ろし、左手でスマートフォンを握って右手のひとさし指を動かすとそれだけで、彼女と過ごしたこの一ヶ月が鮮明に蘇ってくる。連絡先を交換した日の


「よろしくお願いします。」


という畏まった挨拶から始まり、毎日続いた会話は、つい数時間前の


「おつかれさまです どこにいればいいですか?」


「お疲れ様です。いつものコンビニにしましょう。」


という他愛ない言葉で終わっていた。


 この一ヶ月、ぼくも彼女も敬語を用いることに変わりはなくとも、日に日に心を許していっていることは確かだった。いないことを感じるということが確かにそこに在ったということを証明しているのと同じように、その画面はそこに確かに彼女がいたことを、そして今もまだ彼女がそこにいることを教えてくれるものだった。ただ月日が経ったときに彼女を求めて彷徨う未来の自分がその繋がりをたどらない確信がなかった。だからぼくはその夜のうちに断つ必要があった。


 しかし、それはほんの少しの指の動作で片付いてしまうことなのに、自分の意思でもう手放した後なのに、ただただ同じ画面を眺めるだけで何もできず時間だけが流れていった。様々な思いが頭を駆け巡り、次第に何が何だかわからなくなって徹夜でテスト勉強をしているときのように少し意識が遠のいていたとき、通知音がなった。彼女からだった。一気に目が覚めて、開いてみるとたったのひと言が送られただけだった。


「本当にありがとう」


 でもそのひと言でぼくの心は激しく揺さぶられた。


 明らかに正解がある問いでも念のために他の選択肢に目を通すと迷ってしまう、そんな表現が正しいか分からないけれど、少なくともぼくの決心というものは実際に行動に移せるほどに強くなり得なかった。


 だから、いや、だからというわけでもなくぼくはペンをとることにした。

 

 夜中に記す手紙の悲惨さというものは承知の上で。




 拝啓   夏子さん


 いざはじめて彼女の名前を文字に書き起こすと少しだけ手が震えた。しかしそれも数行で落ち着き、それからぼくはひたすらにペンを走らせ続けた。


 書き終えたときには空が白み始めていた。




 いち段落、

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