第8-29話 歴史の残り香

 全ての英雄はローズの魔法によってかき消された。

 だが、それでも消せない英雄がいた。全ての英雄譚がかき消された中で、その男だけは消してはならなかった。


 人類史に大きな名を残し、人類を救った男。

 “極点”というシステムを生み出し、近代国家の全てを作り上げた男。


「……グローリアス?」


 イグニがぽつりと呟く。

 

 その名前を知らないわけがない。

 男に興味がないイグニとて、その名前を知らないなんて言えるわけがない。


「『勇者』か」

「よく知ってるね」


 彼は剣を下段に構えて微笑んだ。


「……なんで」


 イグニは彼に何故を問うた。


 『英雄』は死んだ後もこの世界に恨みがある者たちが『魔王』の魔法によって、この世界に引き上げられたことによって現界する。ならば、彼はどうなるのか。


 勇者はこの世界を救った。

 当時、唯一残った王族の姫と結婚したくさんの子供を設け、孫やひ孫に囲まれた大往生だと聞いた。


 そんな彼が、何を思い残すことがあるというのだろうか。


「……なんで、勇者が英雄に」

「僕にだって、やり残したことの1つや2つくらいあるんだよ」


 グローリアスがそう言った瞬間、彼の姿が消えた。


「『装焔(イグニッション)』ッ!」


 イグニがそれに反応できたのは、彼の本能にも近い。


「『発射(ファイア)』ッ!!」


 刹那、アリシアに向かって剣を振り下ろそうとしていたグローリアスに向かって12発の『ファイアボール』が放たれる。だが、彼はそれを剣の腹で受け止めると、その影に隠れるようにして魔術を詠唱。


「『岩蔦(テツラ・ヘデラ)』」


 ぎゅるり、と渦を巻いてイグニの両足が地面に縛り上げられる。


「『撃発(ファイア)』ッ!」


 しかしイグニは地面下方向に向かって指向性を与えて爆発。

 地面の拘束を強制的に打ち払うッ!


「何をやり残したっていうんだ……ッ! 勇者ッ!!」


 そして空中で加速。

 アリシアにその凶剣が振り下ろされる前に、勇者を止めるッ!


「歴史の後処理だよ。僕にはそれだけしか出来ないんだから」


 だが、飛んでくるイグニに対しても勇者は酷く冷静に返した。


「死んでもそれを、やるだけだ」


 そして、イグニの横っ面を裏拳で殴り飛ばした。


「……ッ!?」


 見えなかった。

 完全に剣で斬られると思った。


だから、イグニは回避行動を取ろうとしたのだ。

だが、飛んできたのは拳。イグニの思考の死角をついた一撃を理解するのにイグニは一瞬だけ時間を要した。


その一瞬に、魔術が叩き込まれた。


「『炎爆(ファイア・プロージョン)』」


 イグニに向かって2発の中規模破壊魔術。


 その爆風を使ってイグニが飛び上がった瞬間、狙い澄ましたように風の魔術が使われる。


「『風は断ちてヴェントス・オシデレ』」


 バンッ!!!


 風が風を斬る音を響かせて、イグニの直上に魔術が飛んでいく。

 

「……『装焔(イグニッション):徹甲弾(ピアス)』」


 イグニの真正面に展開された『ファイアボール』の全てが、勇者に狙い済まされる。


「『発射(ファイア)』ッ!」

「遅い」


 しかし、その『ファイアボール』の間を縫うようにして、勇者はイグニの真正面に飛び出した。


「『熾転(イグナイト)』ッ!」


 イグニの体内でぐるりと魔力が回される。

 それはすぐさま加速すると、凄まじい回転速度を保ってから、


「……ふんッ!」


 勇者の振り下ろした剣を、右手の掌底で叩き折った。

 刃を失い、空を斬るだけになった剣を振り下ろす途中にある勇者の腹をイグニは蹴り飛ばす。だが、彼はそのまま後方に飛ぶとイグニの蹴りの威力を最大限に減少させて着地。


 だが、勢いを殺せず地面に折れた剣を地面に突き刺して詠唱。


「『鉄よ集いてテツラ・コルゲラ』」


 そして、起き上がると同時に修復した剣を構えた。

 そこからさらに魔術を詠唱。


「……ッ! 勇者が『術式極化型(スペル・ワン)』ってのは……嘘かよッ!」

「僕が『術式極化型(スペル・ワン)』って話があるのかい?」


 イグニはグローリアスから放たれる魔術を全て空中で撃墜しながら叫ぶと、勇者はイグニに飛び込みながらそう聞いた。


「あくまでも……噂だけどなッ!」


 イグニは熾転(イグナイト)で対抗。

 ここまで魔術を得意とする勇者相手に何も使わず挑むほど愚かではない。


「そうか。なら、殺さないとね」


 グローリアスは淡々とそう云うと、剣を真横に走らせる。


イグニに一息たりとも付かせない呼吸の取らせ方。

 さらにはアリシアの射線上にイグニを置くことで、彼女の魔術を撃たせない戦局取り。

 異常なほどに高められた剣と魔術の組み合わせ。


「……魔剣師」

「久しぶりに聞いたね」


 剣と魔術の両方が、高い精度で練り上げられた戦士のことをそう呼ぶ。

 イグニが戦ったことのある魔剣師はエリーナだけであり、彼女もまた優れた魔術師ではあったが、


(……こんなの見たことがっ!)


 魔術の1つを取ってみても、信じられない威力と詠唱速度。そんじょそこらの魔術師では勝てないどころか、ロルモッドの教師が彼と魔術勝負をしても容易には勝てないだろうと思わせるだけの魔術師であり、


「昔の僕の呼び名だよ。勇者よりも、ずっと昔の」


 彼に比肩しうる剣士を出せと言われれば、“剣”のクララと思わずイグニは応えてしまうほどの剣士でもある。


「よく知ってたね」

「……まぁな」


 そんなこと、知っているわけがない。

 だが、ありえる話だ。優れた魔術師にかつての英雄の二つ名をつけて例えることなどよくあることなのだから。



「でも、昔の僕の話なんてどうでも良いんだ。勇者の名前があれば良い。『魔王』を倒したという、勇者の名前さえあれば」


 グローリアスが地面に踏み込む。

 その瞬間、イグニの立っている地面が激しく震えた。


「……ここで君を狩るよ。名もなき英雄」

「いいや。あんたを元いた場所に返す。それがこの世の道理ってもんだ」


 嘘である。

 イグニは勇者が復活したことにより、女の子人気が少しでもそっちに流れるのが嫌なだけである。だが、アリシアの前でかっこつけたかったのでかっこつけたのだ。


 ちなみにアリシアには全てバレている。


 そして、呼吸を挟んで戦いが再開しようとした時、イグニは思わぬことを言い出した。


「なぁ、勇者」

「……なんだい?」

「あんた、本当は『魔王』を倒してないんじゃないか?」


 その時、グローリアスの目の色が変わった。

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