第8-09話 絶望と友人

「今日も寒いねぇ、ユーリちゃん」

「そ、そうだね。ナトさん」


 すっかり「ちゃん」付けで呼ばれることに慣れきってしまったユーリは同室の少女にも軽く相槌を打つだけで済ませた。空は曇天。今にも雪が降り出しそうだ。


「そういえば聞いた? “極点”が死んだらしいよ!」


 すごく嬉しそうに、楽しそうに彼女はそういう。


「……そうなの?」

 

 だが、思わずユーリはその言葉を疑ってしまった。

 それはそうだろう。“極点”が死んだなどと、冗談にしてはあまりに笑えないではにないか。


「うん。さっき来た伝令の人がそう言ってたから間違いないよ。ようやくこの国も終わるんだね」

「……じゃあ、ボクたちがこうして防衛をする意味も」

「無いんだよ、ユーリちゃん。これで私たちは解放されるんだよ」


 彼女は王国によって、その人生を弄ばれた被害者だ。

 

 彼女によって殺されるための両親。彼女によって殺されるためだけの友人。

 それら全ては、ただ『魔王』を殺すための実験の産物。


 ただ、『王国』の望む結果は得られなかったとして彼女は一度、『王国』から破棄されて……『魔王』との戦いが始まったときに、再び呼び出された。もちろん、そんな彼女が「はいそうですか」と言って、王国の言うことを聞くわけがない。


 だからこそ、彼女がここに来たのはそれなりの理由があるのだろう。


「……解放、か。村のみんなは大丈夫かな」


 ユーリの吐き出した白い息は、彼の心境を表すように不安げに揺れて消えていった。


「そっか、ユーリはまだ故郷があるもんね」

「う、うん。だから、ボクがここで止めないと……みんな死んじゃうんだ」

「良いなぁ、まだ故郷があるの。私は無くなったんだよねぇ」


 魔術の発展とともに若者は都会に出るようになり、地方では老人ばかりが残されると聞く。そうした流れの中で、消えていった村も1つや2つではないと。


 ユーリには、彼女がそんな村の育ちなのか、それとも禁術によるものなのかは分からなかった。


 ここ、ユーリたちがいる防衛拠点は禁術によって身体改造を行われた者たちが集められている。故に、互いに不可侵。ただ事務的な会話と、差し障りのない日常会話の応酬だけが彼らの癒やしだった。


「そ、それに……友達も、まだ、王都にいるから。ボクは帰らないよ」

「友達って『ファイアボール』の人?」

「うん。そうだよ」

「んー……。ユーリが言うくらい強いなら、守る必要なんて無いと思うけど」


 当たり前だ。

 どうやったって、イグニの方が強いに決まってる。


「でも、ボクは……イグニの、友達だから。友達を守ろうと思うのって……変なことかな」

「……変じゃないと思うよ。だけど」

「だけど?」

「ユーリの場合は、その子のことが好きなんでしょ?」

「だっ! だから! そういうのじゃないって! ボクは男の子だよ!」

「はいはい」


 いつものそれを流しながら、彼女はユーリの手を触る。


「こんなに色が白くて、肌がもちもちしてる男の子がいたら教えてほしいわよ」

「だ、だからボクは男の子なんだって……」


 なんでこんなに男の子っぽい見た目なのに男の子だって思われないんだろうというのは、ユーリの生涯の悩みである。


「でもさぁ、“極点”が死んだってことはそろそろ来るかな」

「え?」

「モンスターだよ」


 そう言った瞬間、ドォン! と、遠く地平線の向こう側から何かが響いた。

 見れば炎が入り混じった煙のようなものが遠く地平線の向こうから、いくつも立ち上っている。


 そして、遅れて地平線の向こうからぞわりとした闇がやってきた。

 いや、違う。あれは……。


「……嘘、でしょ」


 ナトはそう言って、唖然としたまま地平線を見た。

 そこからやってきたのは闇ではない。


 ……地平を埋め尽くすほどの無数のモンスターである。


「は、早すぎるでしょ!? それに、ここは防衛の重要拠点じゃないって……」


 ここに来るときに聞いていた話をナトは思い返しながら、はっと青ざめた顔をした。


「……まさか、嘘?」

「ううん。嘘じゃないと思うよ」


 ガタガタと震える大地に耐えるように、ユーリは静かにそう言った。


「もしここが重要拠点なら、もっと人を集めると思うんだ。それに、もっと騎士団とか名の知れた魔術師を配置するよ。でも、ここにいるのはボクたちみたいな魔術師だけ」

「だ、だったら! なんであんなにたくさんのモンスターが来るの!?」

「多分だけど……」


 考えたくはない。

 考えたくはないが、それしか考えられない。


「『魔王』の軍は……他の拠点にモンスターを送っても、余裕で落とせて、しかも……こんな大事じゃない防衛拠点にも、これだけのモンスターを送り込めるだけの、モンスターを持ってるんだよ」

「……そんなの」


 ナトは引き裂かれるような大気の冷たさと、ただこちらに迫りくるモンスターの軍勢を見ながら息を吐き出した。


「そんなの……勝てるわけないじゃん」


 彼女はそんなことを言いながら、素早くきびすを返した。


「な、ナトさん? どこに行くの!?」

「……逃げるのよ。こんなモンスターの大軍。まともにやりあって勝てるわけないでしょ」

「で、でも……もしそれが見つかったら、殺されるって」


 敵前逃亡は極刑だ。


 ユーリたちはそれをここに来る時に嫌というほど聞かされている。だが、考えてみれば当たり前の話だ。国を守るために集められた集団が逃げ出すようなことになれば、一体誰が守るというのか。


「そんなのバカ真面目に守ってるのはユーリちゃんだけだよ。よく考えてみて。あれだけモンスターがいるのよ? それと今からぶつかるのよ?」

「う、うん」

「その間にどれだけの混戦になると思う? それで、混戦になったら……誰も私たちのことなんて見つけられないわよ」

「……それは」


 ユーリは彼女に言われて少しそのことについて考えてみたが……確かに、そんな気がしてくる。


「た、確かに……そうかも知れないけど」

「だから私は逃げる。ユーリちゃんはどうする?」

「ぼ、ボクは……」


 大地の唸りが異様なほどに高まった瞬間、ユーリたちの脳内に直接声が響いた。


『敵、多数接近。各員、持ち場につき次の指示があるまで待機とせよ』


 ……この声は。


 ユーリとナトが視線をあわせる。それは、彼らの隊長の声で。


『なお、繰り返すようだが敵前逃亡は死刑である。こちらが引いた防衛ラインを無許可で通過すれば、各員の脳に刻まれた魔術印が君たちの頭蓋を吹き飛ばす。では、各員持ち場に付け』


 そう言って、声は消えた。


「……なんでよ」


 ナトの声が地響きのような、モンスターたちの足音にかき消される。


「なんで、勝手に死に場所まで決められないといけないのよッ!」


 彼女の声に応えるものは一人もおらず、ただ空は静かに雪を降らせ始めた。

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