幕話

幕話 【かくて敗者の物語】

 これは、敗者の物語である。

 彼は既に敗北し、時代の残滓として消え去った。

 

 全てにおいて負けた彼は、しかし人類に大きな傷を残した。

 故に彼は世界に名を残し、死してなお多くに恐怖される存在となった。


 けれどやはり、彼は敗者であることには変わらないのだ。





 北の果て、そこにはかつて『レミナント魔術国』と呼ばれる国があった。


 今はもうなくなってしまったその国の、1番大きな街の一際小さな鍛冶屋に1人の青年が立っていた。


「お前、魔術が使えないのか?」


 鍛冶屋の親方はそう言って、青年を上から下まで舐めるように見渡した。


 青年は胸を張って、答えた。


「はい。ですが、やる気は誰にも……!」

「能無しが仕事にありつけるとでも思ってんのか!!」


 バン!


 と、凄まじい音を立てて仕事を探しにきた少年は魔術によって吹き飛ばされた。


「で、でも……。僕は、やる気だけは!」

「全部の適性が『none』。魔術の使えないゴミは人じゃねえんだよッ! さっさとウチから出て行けッ!!」


 魔術至上主義マギア・ニズム、と呼ばれる思想があった。


 人と獣。その違いは魔術にあると。


 神から与えられた魔術によって、人は人になり、獣と区別がつくのだと。

 それは、御伽噺おとぎばなしの時代の考えだ。


 しかしこの時代、少なくともこの国において……それは何よりも正しい思想だった。


「はぁ……。これで30件目……。どこも雇ってくれないなぁ……」


 青年は、貧しい村の出身だった。


 魔術は使えないからこそ、誰よりも身体を動かした。

 必死に農作業をした。家畜の世話もした。


 けれど……口減らしにあって、村を追われた。


 どれだけの努力も、どれだけの健闘も、『魔術』と呼ばれる超常の力には及ばないのだ。


「どうしよ……。このままじゃ、ご飯も買えないし……」


 青年は困ったように手持ちの銅貨を見つめた。


 残りは15枚。せいぜいが2食にありつければ十分だろう。

 早いところ、仕事を見つけないといけない。


 けれど『魔術』の使えないものが働ける場所など、どこにもないのだ。


「はぁ……」


 青年は困ったように路地裏に腰を下ろして、身を丸めた。


「どうしよ……」


 それに答えられる者は、いなかった。


 ――――――――――


 人が堕ちる時は一瞬なのだという。

 確かにそれはそうだろうな、と思いながら青年は残飯を漁っていた。


 『能無し』が働ける場所など、どこにもない。

 『能無し』が泊まれる宿など、どこにもない。


 魔術が使えないということは、生活できないということだ。


 だから、こうして残飯を漁る。

 まともな食事など、最後に食べたのがいつだっただろうか。


 考えているのはどうやって飢えをしのぐか。

 考えているのは明日をどうやって過ごすのか。


「腐ってないパンが食べたい」


 夜中、誰もいないレストランのゴミ捨て場で青年はそう呟いた。


「あったかい……スープが飲みたい」


 それはまだ、彼が人間であった時にありつけていた食事だ。

 人でない者が口にするには、あまりに贅沢という物だ。


 だからこうして、ネズミや虫たちと共に……残飯を漁っている。


 残飯にありつけるだけマシと思わないといけなかった。

 自分と同じようなホームレスはみな、飢餓で死んでいくのだから。


 そうして青年が残飯を漁っていると、路地裏に一筋の光が走った。


「……っ!」


 青年は顔色を変えて、駆けだした。


 光の持ち主が誰かなどと、考える暇はない。

 あの光を持っているのは警邏……この街の、警察だ。


 彼らには街の治安を守る責務がある。


 故に、彼らにさせられたホームレスたちは数知れない。

 魔術の使えない青年が、戦って勝てるような相手じゃない。


 だから、走った。


 走って、走って、無我夢中で走り続けて……。




 気が付いたら、自分は橋の下にいた。

 そこには大きな下水管があり、生活排水が川に垂れ流しにされている。


 酷い臭いだ。

 だが、街の警邏もそんなところまでは確認しない。


 だから、そこが一番安全だった。


「……はぁ。はぁ……っ」


 栄養失調の身体では、少し走っただけも息が上がる。


「……はぁ…………」


 最後に大きく吐いた息は、息切れのためではなかった。

 彼の心にあるのは未来に対する大きな不安。


「……死ねば、楽なんだろうな」


 そう思ったことは1度や2度じゃない。

 だが、この国において人権の無い彼が楽に死ねる場所などどこがあるだろう?


「いや……死ぬ必要も、ないか」


 そう。放っておいたって、いずれそう遠くないうちに死ぬ。

 そんなの、分かり切っていることなのだ。


「……何が、『魔術』だよ」


 それがそんなに大事なのだろうか?

 魔術が使えなければ、本当に人では無いのだろうか?


 それの答えが出せるほど、青年には教養も栄養も足りていなかった。


「何、してるんだろうなぁ……。僕」


 全てを投げ出すように、仰向けになって彼は吐き出した。


「こんな……こんなはずじゃ、無かったんだけどなぁ……」


 幼いころは、誰しもと同じように『英雄』に憧れた。


 炎を纏い、数々のモンスターを倒す炎魔術師に。

 水を纏い、多くの冒険者を守り戦う水魔術師に。

 土を操り、大地を武器に戦い続ける地魔術師に。

 風を操り、全てを切り裂き支援する風魔術師に。


 心の底から憧れた。そうなるものだと思っていた。


 だが、12歳の『適性の儀』において彼に告げられたのは『none』の文字列。


 全てにおいて、適性の無いゴミ。


「……死にたいなぁ」


 けれど死ねないから空を眺める。

 地面に這いつくばって、今日も生きる。


「死にたい」

「死ぬの?」


 独り言に言葉が返ってきたとき、青年は幻聴かと思った。


「……誰?」


 声の主は、少女だった。

 

 彼女はひどく汚れた姿で下水管から顔を見せていた。


「お兄さんこそ、誰?」

「僕は……僕はルシィ。君は?」

「私はラナーナ」

「「どうしてここに?」」


 2人の言葉がきれいに重なった。


「……ぼ、僕は魔術が使えないから……ここで警邏がどこかにいくのを待ってるんだ」

「ほんとう?」


 ルシィがそう言った時、ラナーナの顔がぱっと明るくなった。


「本当に魔術が使えないの?」

「あ、ああ。何も使えないよ」

「じゃあ、私と一緒だ」

「一緒って……?」

「私も、魔術が使えないの」


 それは、ルシィが初めて出会った……自分のだった。


「ね。ね。本当に使えないの?」

「ああ、そうだよ。君も?」

「ラナーナって呼んで」

「……ラナーナも?」

「うん。私も使えなくて、捨てられちゃったの」

「僕もだよ」

「一緒だね!」


 何が嬉しいのか、ラナーナはルシィの1つ1つの返答で笑顔になった。


 それから、しばらく2人はともに過ごした。


 街に張り巡らされている下水の中をラナーナは熟知しており、そこを使って移動すれば警邏に見つかる心配はほとんどなかった。臭いは少しあれだが、外にいるよりも下水管の中は暖かい。


 自分たち以外、下水管に人が居るはずなかった。

 それがたまらなく心地よかった。


 まるで世界が2人だけになったみたいだった。


「ルシィはさ、夢はあるの?」

「無いよ。ラナーナは?」

「私はね、ルシィと一緒にいること」


 眠るときはいつも2人で抱き合うようにして眠った。

 目覚めたときに、いなくならないように。


「じゃあ、僕の夢もそれだ」

「えへへ」


 それはきっと、怖かったのだろう。


 2人ぼっちの『能無し』は、互いがいないと生きられなかったのだ。


「ねえ、ルシィ」

「どうしたの?」

「私ね、ルシィが好き」

「僕もラナーナが好きだよ」


 2人だけの世界で、互いは互いがいればそれで良かった。


「ねえ、ラナーナ」

「なぁに?」

「ここから逃げ出さない?」

「どこに行くの?」

「森で暮らすんだ」

「ルシィがいれば、どこでも良い」


 ラナーナはそう言って、ルシィを強く抱きしめた。

 それにこたえる様に、ルシィはラナーナを抱きしめた。


 その日、2人は街を後にした。

 

 2人ならどこででも暮らせると思った。

 2人ならどこへでも行けると思った。


「ルシィ。お日様よ。綺麗だわ」

「ラナーナの方が綺麗だよ」


 昼間なのに堂々と外を歩けいたのは、いつぶりだっただろうか。


 2人はどこまでも、どこまでも歩いて。


 そうして2人は街道から遠く離れた森の中で、足を止めた。


「ここにしよう。ラナーナ」

「素敵なところね」


 森の中、木々から零れる木漏れ日があたる綺麗な場所だった。


「僕が家を建てるよ」

「建てられるの?」

「頑張る」

「私も手伝うわ」


 最初は、道具作りから始まった。


 木を切るための斧、それを作るための刃。

 金属は使えないから、石を削ったものを使った。


 食べ物は森の中で木の実やら獣を狩った。


 不思議なことに街にいた時よりも、よっぽど人らしい生活をしていた。


「ルシィ」

「なに?」


 焚火がくすぶる横で、ラナーナは微笑んだ。


「私、あなたに出会えてよかったわ」

「僕もだよ」


 月日は、流れる様に過ぎて行く。


 ――――――――――


 やがて、何もなかった森には家が建てられ小さな畑ができた。


 近くの人里までは歩いて数時間。

 街道からも遠く離れている不便な場所だった。


 だが魔術の使えぬ『能無し』たちにとって、それが最大の安息だった。


 そして、彼らはもう2人きりじゃなかった。


「セーラ。こっち」

「パパ見て! お魚さん!」


 川をのぞき込むのは数年前に生まれた2人の娘。

 彼らと同じように、魔術の素養は無かったけれども、たった1人の愛娘だ。


「川に落ちたら濡れちゃうよ」

「うん!」


 セーラは聞き分けの良い娘だった。


 ルシィの言葉を良く聞いて、ラナーナの言葉を良く聞いた。

 森の外に何があるのかなどは、彼女にとってもどうでも良かったのだろう。


 ただ、小さく与えられたその場所が彼らにとっての全てだった。

 それだけで、良かったのだ。


「パパ、何してるの?」

「冬の準備だよ。そろそろ冬になるからね、獣を捕まえないといけないんだ」

「雪降る?」

「降るよ、たくさん」


 彼らのいる国は最北の地。

 冬はとても厳しいものだった。


 魔術によって暖を取れない彼らは薪をくべて熱を得るしかない。


 だからこそ冬を越せるだけの薪を集める必要があったし、何よりも重要なのは食料の調達だった。

 けれど、ルシィもラナーナも、それに関してはさほど心配していなかった。


 今まで何度も冬を越してきた。

 今年の蓄えはいつも以上で、いつものように冬を越せば良いだけなのだから。


 ルシィの狩りの腕は、まずまずといったところだった。

 魔術を使わない狩りなら、誰にも負けないという自負はあったが……この世界でその自負など何の役にも立たないからだ。


「おかえり、ルシィ」

「ただいま」


 家に帰ると、ラナーナが夕食を作っていた。


「ママ! ただいま!!」


 ラナーナにセーラが飛びつく。

 セーラの綺麗な金髪の毛が舞った。


「どうしたの? ルシィ」

「ううん。幸せだなって」


 当たり前の風景を見ながら、ルシィはそう幸せを噛み締めた。

 これが、いつまでも続いていくのだと思った。


 続いて欲しい、と願ったのだ。

 それが、自分の身に過ぎた願いだったとしても。



 そうして時が流れて、冬が来た。


「見てパパ! 雪よ!」

「……積もったなぁ」


 冬になれば雪が降る。

 北の国であるここでは、ひどく当たり前のことだった。


「パパ! 凄いわ! ふわふわしてる」

「セーラ。風邪ひくよ」

「ママ見てー!」


 いつもは聞き分けの良いセーラも、その年の初雪となれば誰よりもはしゃいだ。

 ルシィは積もった雪を下ろさないといけないな、と考えながらもセーラを見ていると不思議と顔がほころぶ。


「ラナーナ。セーラと遊んであげてよ」

「良いの? ルシィ」

「僕は屋根の雪を下ろさないと」


 冬の森はとても静かで、セーラのはしゃぎ声は良く通った。


「ママ! ツララだよ!」

「そうね。ツララだわ」


 ラナーナはセーラを抱きあげると、ツララを手に取らせた。

 彼女はツララを産まれて初めて見るかのように興味深く観察する。


「綺麗……」

「手が冷たくなるわよ」

「パパにも見せるの!」

「パパにも? きっと喜ぶわ」


 セーラは喜んでツララをルシィに見せた。

 ルシィはそれを笑顔で受け取った。



 当たり前の日々は続いていく。

 1日、1日、そしてまた1日と。


 だが、それが壊れる時は一瞬なのだ。


 7月になっても、冬が明けなかった。

 確かにこの国は北にある。もちろん、他の国と比べても冬は長い。


 だが、それでも7月にもなって冬が明けないというのはおかしな話だった。

 普通は5月にはもう雪が解け始め、新しい命が顔を見せる。


 だというのにも関わらず、雪は解けるどころかいつにも増して強く吹雪いた。


「パパ、春はいつ来るの?」

「んー……。パパにも分かんないかな」


 暖炉に薪をくべながら、ルシィは困ったようにほほ笑んだ。


 その年の8月が来て、9月が来て……そして、冬に入って1年が経っても冬だった。


「今年は……冬が長かったわね」

「来年は夏が来ると良いな」


 ルシィも、ラナーナも、そしてセーラも知らなかった。


 その森の目と鼻の先に”ふゆ”の名を冠したドラゴンがいることなど。

 ドラゴンが嵐と荒れた天気を引き連れてくることなど知りもしなかった。


 翌年、『レミナント魔術国』をひどい飢餓が襲った。

 常に冬という過酷な環境で実をつける穀物などありはしなかったし、困っている他国に手を差し伸べる優しい国家はまだ無かった。


 『レミナント魔術国』は国の保有していたほとんどの財を投げうって国民の支援に回ったが、それで全ては到底賄えるはずも無かった。


 逃げ出せるものはとうに逃げ出したが、国民のほとんどである村民たちや貧民は抜け出せなかった。


 だから食えるものはあらゆるものが食われた。

 わずかに生え残っていた雑草も、枯れかかっていた木の根も、移動手段である馬ですらも彼らは食った。


 それでも、飢餓は止まらなかった。

 

「ちょっと狩りに行ってくる」

「大丈夫なの? ルシィ。確かに今日の天気は良いけど……」

「また天気が荒れるかも知れないからね。荒れないうちに、狩っておきたいんだ」


 とうに越冬の蓄えを食いつぶしていたルシィたちも、その例外ではなかった。


 狩れる獣と言えば兎か、鹿か、それとも冬眠中の熊だろうか。

 とにかく食わねば死んでしまう。


 だからルシィは狩りに向かうことにした。


「ねえ、パパ。私も行きたい」

「セーラも?」

「うん。お手伝いする」

「セーラは危ないからお家にいなさい」

「私も行きたい!!」


 駄々をこね始めたセーラに、ルシィは苦笑した。


「分かった。付いて来ても良いけど、喋っちゃだめだよ。あとパパの言うことをちゃんと守ること」


 その言葉にセーラはこくりと頷いた。


 それは、ルシィがいつかやらねばならないと思っていたことだ。

 セーラにも狩りの技術を教えなければならないと。




 だから、それは悪夢の中に舞い降りた1つの奇跡だった。

 セーラがルシィについてきた。


 だから、ルシィは全てを無くさずに済んだ。



 人は愚かだ、とルシィは夕刻の紅に世界が染まる中でソレを見ながらぽつりと考えた。


 彼は右手に取ったばかりの兎の死体を抱えて、家路についていた。

 そうすれば、家で退屈そうに待っているラナーナが出てきて2人の帰りを待ってくれている。

 そのはずだから。


 ルシィは目の前の惨状を見ながら、まるで他人事のようにそれを見た。

 なんて、人は愚かなんだろうと……虚ろな頭で考えた。


 どうして人は、平穏がいつまでも続くのだろうと思ってしまうのだろうか。

 どうして人は、当たり前がいつまでも続くと思ってしまうのだろうか。


 終わってしまうのは、一瞬なのに。


「ラナーナっ!!」


 気が付けばルシィは、駆けだしていた。


 ルシィたちは、何も知らなかった。


 冬の森では良く声が通ることなど。

 それを聞いていた近くの村がルシィたちのことを悪魔と呼んでいたことなど。


 知らなかった。知りもしなかった。

 1年以上冬が続いているというこの超常の事態と、飢餓の全ての元凶が森の奥深くに住んでいる家族のせいであると決めつけられていたことなど。


 彼らは知りもしなかったのだ。



 そして、村の若者たちが家を襲った。

 家の中にいたラナーナを撲殺して、家の前に十字の形で貼り付けた。


「い、いやだ……っ! 嘘だ……ッ!!」


 ルシィの脳の奥底が、焼き付いたように熱で染まった。


「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!!」


 自分の半分だった。

 ずっと一緒にいると約束した。

 死ぬその瞬間まで、一緒にいるのだと。


 

 誰かにやられたのだろう。頭には大きく凹んでおり、脳が見えていた。

 元の顔が分からなくなるまで殴られたのだろう。顔はひどく腫れ、真っ赤だった。


 そして……その全てに抵抗できなかったのだ。

 彼女は、魔術が使えなかったから。


「……ママ?」


 セーラはそれを見て、何を思ったのだろう。


 わざと見せつける様に貼り付けられた死体から、何を感じ取ったのだろう。


「いたぞ! 悪魔だ!!」

「殺せ!!」


 家に帰ってくるのを待っていた村の若者たちが、ルシィを目掛けてやってくる。


「どうして……神様…………」


 ルシィはその両手を堅く結んで、神に祈った。

 生まれて初めて、その全てを捧げんばかりに祈った。


「ラナーナと、約束したんだ」


 けれど、それは奇跡ではなかった。


「ずっと『一緒にいる』んだって」


 ぴくり、と死んだはずのラナーナが動き始める。


「……ラナーナ?」

「…………」


 何も言わず、彼女の骸は立ち上がった。


 そして、ルシィに襲い掛かってきた若者の心臓に腕を突き刺して……引き抜いた。


「ら、ラナーナ? どうしたの?」

「ひ……ッ。う、動いてる! やっぱり悪魔だ!! 殺せッ!!」


 次に、心臓を引き抜かれた若者が立ち上がると……もう1人の若者の首に噛みついて、殺した。


「パパ……」


 心配そうに自分を見つめる娘を、ルシィは抱きしめた。


 

 自分にも何が起きているのか分からない。

 そう、言いたかった。


 だが、これを行っているのは紛れもない自分だ。

 その自覚が嫌というほどあった。


 ラナーナを殺されたという怒りと、悲しみがごちゃ混ぜになって彼の脳裏を焼いた時、初めて彼の魔力が励起した。


 死んだ肉体に命を与え、生き返らせる。

 いかなる魔術師にも、そんな芸当はできない。


 それは魔術の領域を超えている。


 そう。ルシィは魔術など使えなかった。魔術師にはなれなかった。

 だが皮肉なことに、彼は――魔法使いだった。


「……どうして殺したんだ」


 ルシィの問いに、残った若者が喘ぐように答えた。


「おっ、お前たちが悪いんだ! お前たちが冬を続けるから!!」

「僕たちは……魔術が使えないんだ! 君たちのように簡単に火も熾せない。水だって汲まないと飲めやしない!! そんな僕たちが何をしたんだっ! 君たちに……何をッ!!」


 ルシィの求めている返答は無かった。

 ただ、ルシィの殺意に呼応するように若者だった者が、最後の生き残りを殺して……彼も動く死体になった。


 それをセーラは何も言わずに、ただ見ていた。


 

 その日の夜、若者たちが帰ってこないからと武装した村人たちがやって来た。

 ルシィは若者たちの死体を返して、自分たちは魔術を使えないことを明かした。


 そして、自分たちを放っておいて欲しいことも。

 

 ラナーナを失ったルシィにとって、セーラだけが生きる望みだった。

 それだけが、希望だった。


 だが、村の村長はそれを拒否した。

 そして、セーラを人質にルシィを殺そうとした。



 だから、殺した。

 動くと思っていなかった若者たちが動き始めた時、村人たちは死んでは無かったのだと歓喜に涙し、その全てが涙とともにルシィの配下になった。


 ルシィはこれ以上、事を荒立てるつもりはなかった。

 けれど、村1つが消えて……その近くに悪魔の一家が住んでいるという噂は何よりも早く伝わった。


 竜殺しの出来ない『魔術国』は英雄譚を欲した。

 暗く底に落ちた民たちの希望を掴む英雄譚を。


 すぐさま悪魔討伐の部隊が編制され送られた。

 誰一人として、帰ってこなかった。


「セーラ。行こう」

「どこに?」

「この国の、王様のところに。平気かい? 寒くはないかい?」

「うん。パパと一緒ならどこだって平気」


 かつて、ルシィがラナーナたちと暮らした場所は既に森では無かった。

 ルシィのあふれ出す魔力によって、眠る魔力が励起されたセーラの属性は【固有オリジナル:汚染】。


 ただ、その場にいるだけで全てを汚してしまう最悪の属性。

 膨大な魔力が、溢れ、澱み、モンスターを生み出す悪魔の属性。


 だが、ルシィはセーラを守った。


 それだけが、彼の生きる望みだったから。

 

 母親譲りの金の髪が、汚染によって紫に染まったとしても。

 かつて3人で住んでいた場所が何人たりとも引き寄せない汚染区域になったとしても。


 ルシィはセーラを守りたかった。



 そうして、ルシィは自らの安寧を求めて『レミナント魔術国』を相手に宣戦布告を行った。

 

 彼の配下である死体が誰かを殺せば、それはルシィのもとについた。

 命亡き者が、命ありて動くそれは『不滅の奇跡』。


 かくも無残な、人類初の魔法使い。

 けれど彼は”極点”ではない。


 ”極点”などに、なれるはずもない。

 それは魔法使いでありながら、人類を守る”守護者”に与えられる敬称であるが故に。


「いこう。セーラ」

「うん。パパ」


 たった2人なった家族の手を離さないように、ルシィは握り締める。


 セーラ。それは、かつて存在した古い国の発音である。

 故に現代ではセーラと呼ばない。その音は別の意味になっている。


 今の時代、少女の名前は“サラ”と呼ぶ。



 ルシィ。


 彼に2つ目の名前は無かった。

 2つ目の名前は王族、もしくは貴族か……あるいは優れたる功績を挙げたものに授与されるものだからだ。


 そうであるが故に、彼の名前は後世に伝わっていない。

 彼の名を知る者はただ1人だけ。


 だが、名前が無いからこそ人々は恐れ……ひれ伏した。


 有象無象の不死の軍勢を引き連れて、国を滅ぼす彼のことを人々は『王』と呼んだ。


 たった1人。

 たった1人に勝てず人類は99%以上の大地を失い、人口もわずか十数万人にまで減らされた。


 だから100年以上経った今でも、彼は恐れられている。


 悪魔の王。

 悪魔どもの、王として。



 原初の魔法使い、ルシィ。


 彼は全ての魔術に適性が無く、そしてたった1つの魔法が使えた。


 既に彼は死んでいる。故に彼は敗者である。

 既に彼は死んでいる。しかし彼は人類に大きな傷を残した。

 

 彼は既に死んでいる。けれど、今なお恐れられている。


 ルシィ。名もなきルシィ。


 だが、多くの人々は彼をこう呼んだ。



 ――『魔王』と。

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