第2話 目覚めの魔術師

 それから、どうやって家に帰ったのかを詳しく覚えていない。


 帰りの馬車の中では、ただひたすらに父も、自分も、そして、フレイも何も言わなかったのだろうということだけがぼんやりと頭の中にあるだけだ。


 最低値のFランク。

 

 神官が告げるのは、最も適性のある属性だけ。

 イグニは受け取った『ステータス』を眺めながら、もう何百回目になるのか分からないため息をついた。


 ――――――――――――

 名 イグニ・タルコイズ

 齢 12


 地:none

 水:none

 火:F

 風:none

 光:none

 闇:none


 ―――――――――――――


 この『ステータス』に刻まれた『none』はその属性が使えないことを指している。すなわち、イグニに使える魔術は【火】属性だけ。しかも、最低値のFランク。


 悪夢のような『適性の儀』から2か月経つ。常人のCランクであれば、初級魔術がおぼつかないながらも、使える様になっているような頃合いだ。


 しかし、イグニが使えるようになったのは初級の初級の初級魔術である『ファイアボール』だけ。それだって、満足に使えない。


「ローズは、元気でやってるのかな」


 彼女とは『適性の儀』が終わってから会えてない。彼女を護衛する『騎士団』が会わせてくれなかったのだ。


 いや、会ったところで会わせる顔も無いだろう。


 向こうは国が諸手を挙げて歓迎する『聖女』様。

 こっちは大した魔術どころか普通の魔術すら使えない『落ちこぼれ』。


 ……イグニがFランクを取ったという噂は、父親が必死になって隠しているようだがバレるのは時間の問題だ。


 この2か月間、イグニは自分の部屋に軟禁されていた。


 イグニの部屋に誰かがやってくるのは1日に3回の食事を持ってきてくれる従者と、一週間に1冊部屋に魔導書が届けられる時だけ。それ以外は父親から部屋からの外出を禁じられていた。


 今まで、祖父に出会うために抜け出していた抜け道は父親に全て封じられていた。


「父上は……見逃してくれてたんだな」


 何だかんだ口では怒ってはいたけれど、それが父親の出来る精いっぱいの愛情表現だったと知って、そしてそれがもう自分には向けられないと知ったときに、イグニは初めて泣いた。


「イグニ様。当主様がお呼びです」

「……うん」


 イグニは死んだ様な顔をして、ふらりと立ち上がった。


 2か月ぶりに出会う、実の父。

 どんな顔をして、会えばいいのだろうか。


 まるで自分のものじゃないような足取りで父親の部屋に向かうイグニ。一歩、一歩、踏み出したくないのに足が勝手に動いてしまう。


 そして、あっという間に部屋の前についた。


 ガチャリ、と従者が扉を開ける。


「……来たか。イグニ」

「…………はい」


 2か月ぶりにみた父親の顔はひどくやつれており、疲れているように見えた。


「お前には2つの選択肢がある」

「……2つ」


 何も、言わないのだろうか。


 2か月も顔を合せなかったこと。

 ただ、魔術を覚えるための魔導書と食事しか許さなかったことを……。


「1つ。一生、この屋敷の中で生きていくか」

「…………」

「2つ。タルコイズの名前を捨て、もう“家”とは関わらないか」


 ……それは。


 イグニは突然告げられた衝撃の事実に目を見開いて、黙り込んだ。


「だ、旦那様! それはあまりにも!!」

「……貴族には、貴族の流儀がある」

「し、しかし。ご子息はまだ12歳で……!」

「これ以上、タルコイズの悪名が広まることは許されない」


 ふらり、と身体が倒れそうになった。

 目の前が真っ赤に染まって、言葉が出てこない。


「この家のは、フレイだ」


 出てこないけれど、何かを言わなければならない。


 何かを……っ!!


「……ち、父上。いえ、タルコイズ家“当主”様」


 ……選択肢を与えられたことは、温情だと思え。


 イグニの言葉に従者が目を丸く見開いた。


「イグニ、お坊ちゃま……」


 その従者の言葉をイグニは手で制する。

 ……自分はもう、坊ちゃんじゃない。


「僕は、家を出ます」


 ……殺されなかったのは、温情だと思えッ!


「そうか。ならば、すぐに出て行け」


 イグニは父親に背を向けて、部屋を出た。


「やあ、兄さん。久しぶりだね」

「……フレイ」


 同い歳の、弟。

 彼ならば、何と言うだろうか。


 優しい言葉でも、かけてくれるだろうか?


「はははっ。ざまあないな! 兄さん」

「フレイ……?」


 今まで聞いたことの無いような声を発したフレイに困惑したままイグニが首をかしげる。


「当たり前の結果だと思わない? 勉強もしないで、いつもいつも屋敷を抜け出すアホな長男と、真面目に勉強と剣術の訓練を積んでいる僕。神様はしっかり僕たちを見てくれていたんだよ」

「……フレイ! お前、そんな風に俺のことを……!」

「フレイお坊ちゃまだろう! 平民なんだから!!」


 バン! と、イグニの身体が地面に叩きつけられた。


「お、重い……ッ!」

「重力魔術。どう? 『ファイアボール』の練習を一生懸命やってる間に、僕はこんな魔術まで使える様になったってわけ」

「……フレイっ!」

「さあ、僕の靴をなめろよ。


 フレイの靴がイグニの目の前に突き出される。


「……く、そ…………」


 舐めるしかない。


 イグニは舌を出して、フレイの靴をなめた。


「はははははっ! みじめだなぁ! イグニ!!」


 ぱっ、と重力魔術が消える。


 イグニはその隙をついて、逃げ出した。


 いや、隙じゃないのだろう。


 それは、フレイが見せた余裕だったのだ。


 そして、イグニは屋敷から飛び出した。

 2か月ぶりの外だというのに、気持ちは1つも晴れなかった。


「……くそっ! くそくそっ!!」


 空は、曇天。

 どろりとした空気がイグニの身体を縛り付ける。


「……ちくしょう!!!」


 こんなはずじゃなかった!

 こんなはずじゃなかった!!


 走るイグニの目から涙があふれだして、こぼれていった。



 ――――――――――――――

 それから、1年が経った。


「おい。起きろ。どぶさらい」

「……ん」


 酒場の倉庫。

 その中で、ぼろ布を纏って眠っていたイグニは店主の声で目を覚ました。


「ほら。今日の仕事だ」

「……はい」


 イグニは身体を起こして、ぼろ布を倉庫の中において外に出た。


 まだ太陽が昇りきっていないのか、空は薄暗く肌寒い。


「良いか。今日の仕事は相も変わらずどぶさらいだ。その仕事に行く前に食材を厨房に運んでおけよ!」

「はい!」


 家もなく、家族もおらず、魔術も使えず。

 冒険者にもなれず、魔術師にもなれない。


 そんなイグニを引き取ってくれたのが、ここの酒場の店主だった。

 いや、引き取ったというよりも、都合の良い労働力というべきか。


 イグニがどぶさらいで得られる給金は一日銅貨30枚。

 

 そのうちの15枚を宿代として取り、10枚を3食分の食費として取っていく。

 食事といってもカビたパンと水みたいなスープだけだが。


 だが、ちゃんとした宿に泊まろうと思うとそれだけで銅貨60枚はかかるし、食事も一食で銅貨20枚はかかる。


 ……どぶさらいは、魔術の使えない無能が就く仕事だ。

 だから、給金が驚くほどに安い。


 何しろ綺麗にするだけなら、【水】属性の魔術師が魔術を使うだけで終わるからだ。

 

 魔術を使えば簡単に終わる仕事。

 

 けれど、魔術を使ない仕事。

 だから、イグニはこうして生きていられる。


 イグニは店主に言われたことをさっさと済ませると、いつものようにどぶさらいに出かけた。


「良いか! 今日は街の下水の主流だ! 中は暗いがしっかり掃除するように!!」


 下水の出口に集められたのはイグニと同じく覇気のない顔をした男たち。


「分かったらさっさと行け! カス共!!」


 監督官の叫びに釣られるように、ボコボコにへこんだバケツをもってイグニたちは下水の中に入っていく。


 どぶさらいとは、汚水が流れる場所を定期的に清掃する者のことである。汚水のような人の澱みが集まるところではモンスターが沸いてしまう。だから、その前に人が入って清掃するのだ。


 ちなみにモンスターが沸くとは言っても、沸くのは最弱のスライムくらい。

 だから沸いても何も問題はない。


 問題はないが、


 だが、その『気になる』おかげでイグニたちには仕事がある。

 感謝をしなければいけない。


「はぁ……」


 イグニは汚水の中でも一際汚れているであろう場所にスコップを突っ込んで汚れをバケツに貯めていく。


「いつまで、やれば良いんだろうなぁ」


 イグニの呟きは誰に向けたものでもない。

 向けたものでもないが、だからこそ自分の心に深く響いた。


 イグニがしばらく無心で汚れをバケツに入れていると、ぱぁっ! と、急に下水の中が光始めた。光は上流からやってきている。


「……なんだ?」


 もしかして、モンスターが沸いたのだろうか!?


 だとしたらまずい。イグニが使える魔術は『ファイアボール』だけ。


 だが、イグニの魔術ではスライム……っ!


 けれど、その光は下水の流れにそってどうやらイグニの方にやってきている。

 

 ……流れてる?


 ということは、モンスターじゃない??


 恐る恐る光っているものに近づいて、イグニは腰を抜かしそうになった。


「……じ、じいちゃん!?」


 そう。ドブの上流から流れて来たのは光の“極点”。

 

 ――ルクス、その人であった。


「何やってんの!」


 思わずイグニが叫ぶ。


 光はルクスの身体がドブで汚れないように薄い膜になっていた。


「む? そこにいるのはイグニか」

「そ、そうだよ! じいちゃんこそ、こんなところでなにやってんの!」


 ルクスには放浪癖がある。

 それも家を勘当された切っ掛けの1つではあるくらいの強烈な放浪癖だ。


 ルクスがまだタルコイズ家にいた時は数年間家に戻ってこないとかは普通だったらしい。


 だから、この1年間。心のどこかで、祖父に出会えるんじゃないかと思っていた。


 それが、叶った。

 思わずイグニの目には涙がたまっていく。


 祖父なら、こんな現状を変えてくれるかもしれない!

 絶望にあふれた未来を変えてくれるかもしれない!!


 期待に満ちたイグニの視線を知ってか知らずか、ルクスの方は淡々とした口調で。


「浮気がばれた」

「マジで何やってんの……?」


 相変わらず、彼の祖父は彼の祖父だった。

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