第一章 学園の三才

-1

 佐藤啓こと俺はまあ、どこにでもいる冴えない高校生だ。

 ルックスは平凡。黒髪黒目の標準日本人体系。ハンサムやイケメンという言葉とは縁遠く、またカラフルな地毛故のヤンキーとかいう偏見に悩まされることもない。やや、人見知り、というのはあるかもしれない。他人に話しかけるのは得意ではない。従って、友達もいない。

 成績だって、悪くはないがパッとしない。中の中で、何もしないで成績が維持できるわけではなく、本気でではないけど、それなりにテスト前に勉強しての成績、中の中。粗点で言うなら、教科にもよるが大体六十後半から七十中盤。八十点言ったらいい方で、九十点、百点は目指してはいるわけじゃないけど、夢のまた夢という領域だ。

 あと他人と違う所言えば、アニメオタクということくらいか。だが、これについてはもはや、そんなに珍しいものでもないだろう。

 まとめると佐藤啓という人間は、どこにでもいる冴えない高校生。オブラートを剥せば、陰キャである。

 とまあ、満員電車の中、自分語りをしてみれば、不意に窓の外に見える大きな建物。

明勇めいゆう学園。

それが俺の通う高校にして、生徒数、面積において国内最大級の小中高一貫の学校である。私立の学校であるが、有名な進学校ではない。俺は高校からの入学になるが、滑り止めで受けた私立だ。従って、偏差値だって特別高いわけではない。五十三~五十五くらいなものだ。まあ、進路選択によっては国立大や医大を目指す授業も受けられるそうだが、なにせ先のことだ。あまり深くは考えていない。

『明勇学園前~、明勇学園前~。降り口は左側になります』

 車内アナウンスに、少し混雑が動く。全く、完全に止まってから動き出せばいいものを。特に席に座っていたやつ! ここまで楽しておいて降りる駅ではいち早く退散とはどういう了見だ。

 小さな、されど毎日抱いて慣れ親しんだ苛立ちを、これまたいつも通りしまい込んで降車。

 流石は、明勇学園前と学校の名の入った駅だけあって降りる者はほとんどが俺と同じ制服に身を包んでいた。

 高等部の制服はワイシャツにネクタイ、紺のブレザーとベーシックなデザインである。下は、男子はスラックス。女子はチェックの入ったスカート。学年は、胸元の学章バッジの色で判別する。と言っても他学年との交流なんてほとんどないし、ましてや高等部以外との交流も皆無である。

 ピピッと人波に流され改札を抜ければ、道路一本挟んで正門のお出ましである。

 とはいえ、最大級の学校規模だけあり教室までは正門でも徒歩で十五分はかかるのだが。走る初等部の子どもたちと同じ正門を潜る。よくもまあ元気だな、なんて高校生ながら年寄りめいた関心をしてみたり。いや実際、学校に走っていける小学生のパワーは相当なものだ。高校生にもなれば、これから授業という退屈な時間を過ごすための建物目掛けて走る気にはとてもならない。いや、俺だってパワフルな小学生の時代はあったはずだ。一体いつから変わったのやら。中学の頃には学校が面倒なものだっていう認識があった気がする。むしろもっと前からだな。小学校高学年の頃にはもうすでにだったまである。

 して、明勇学園は小さな山の上に作られた学校であり、正門から校舎までは坂になっている。そして、坂を上がって最初の分かれ道を右に行くと初等部の一帯へ、二つ目で中等部、そして高等部はさらにその上になっている。そして、高等部の校舎へ行く道よりもさらにもう一つ上に繋がる道があり、その道は山の頂上に建てられた展望台へと繋がっている。周囲を一望できる展望台は、学園祭などの折に一般開放もされ、明勇学園の一つの目玉となっている。

「……ふぅ……ふぅ……」

 されどこの登り坂。

 初等部から上がって来た生徒にとっては慣れ親しんだものだろうが、高校入試から入って来た俺としては、校舎へ行くまでで息が上がる。当然のように帰宅部な俺の貧弱スペックには、満員電車からの坂登りで一日分の活動容量を余裕で突破である。入学から一月経とうと慣れる気配がない。

「……ああ、疲れた」

 教室の扉まで辿り着いた時には、思わずそんな呟きが漏れる。

 時刻はまだ八時十五分。三十分のホームルームまではしばし余裕がある。机に突っ伏して、しばしの休息を取るとしよう。

 扉を開け、窓側の一番後ろというベストな位置取りの俺の席へと向かう。

「あ、佐藤くん。おはよう」

 不意に掛けられた声に時が止まる。いや、これは陰キャ故の話しかけられて緊張、という類のものではなく、声をかけてきた人物に由来する。

 声をかけてきたのは女の子。

 名を、皆神梓みなかみあずさという。

 このクラスの、いや学園のカーストの頂上である人気者。

 誰が言ったか、皆の女神、皆神さんとはよく言ったもので、まず見た目がものすごい。可愛いを超え、美しい、いやそれも超して神々しくさえある。

 大きい瞳に、きめ細かい白肌。ほんのり赤みのある頬に、ピンク色の柔らかそうな唇。あどけなさの残る顔立ちは万人を惹きつける。また、一方でコミュ力の塊、気配りの鬼であり、彼女の周りでは誰一人孤立しない。それでいて、誰かの意見に流されることなく一つの芯の強さもあり、頼もしい。まさに人間性としては尊敬に値する完璧さである。

守ってあげたくなるという最初の印象は、やがてすぐにそんな必要はないと掻き消え、そして、彼女の放つ芯の部分、すなわちリーダーシップから、彼女を守るのではなく支えようとその背について行きたくなる。

どう転んでも嫌われない女、それが皆神梓であり、明勇学園の三才、と呼ばれる三人の天才の一角を担う人物である。

そして、そんな人物が声を掛けて来る。

それは女子との関りがほとんどない青春を送る俺からすれば、一大イベントなのは言うまでもない。

 例えそれが、彼女が皆神梓であるが故の行動。すなわち、他の特別な感情は何一つ抱いていない彼女にとっての当たり前の行為だったとしても。

「お、おはよう。み、皆神さん」

 精一杯平静を装った俺の声は悲しいくらいに震えていた。全く情けない。情けな過ぎて涙が出そうだ。だが、情けないと思うここまでがいつも通りのことだ。皆神梓からの挨拶。それは彼女と同じクラスである限り、毎朝訪れることなのだから。声の震えはいつもこと。俺がいくら自分を情けなく思おうと、向こうからすれば全く気にもならないことだ。

「ふふっ、大丈夫? なんか、随分疲れてそうだけど?」

「っ!」

 な、なにぃっ!? 終わらない、だと? 皆神さんと挨拶以上の会話なんて! いや、落ち着け、落ち着け。これ以上、醜態をさらすんじゃない。これ以上、きょどるな! 当たり障りのないナイスな回答をするのだ!

 全俺がエマージェンシーを鳴らしていた。目の前の光景に赤いランプが点滅して見えた。けたたましいサイレンの音も聞こえた。そして、それが俺の混乱を悪化させる。

「あー、まあ、坂道がまだやっぱりきついかな。虚弱インドアボーイの俺にはね。はは、ははは」

 ピキーン。

 自分の空笑いがやけに聞こえたと思った時には、空気が凍り付いていた。ダメだ! ミスった! いや、きょどった挙げ句、下ネタとか口走ってドン引きされるみたいなでかいミスじゃないけど、若干の自虐交じりの返しはミスだった! そりゃそうだ。あんまり知らないやつの自虐ほど対応に困るモノはない。フォローも肯定もしづらい。話し合せの伝家の宝刀、そだねーを抜いて欲しいこっちが封じてどうする!? そだねー、でばっさり切られれば終われる場だったろう!?

「い、いや別に虚弱だのっていうのは俺にとって全然悪口じゃないっていうか、ほら、俺帰宅部だし、二の腕だってポニョポニョだし、腹筋だって割れて見えるのがあばらだったりするし――」

「――ぶふっ」

「え?」

 弁解すべくどうでもいいことをつらつら口にする俺の耳に響いたのは噴き出す声。そして、それが目の前の皆神さんから発せられたと気づくのに数秒のラグを要した。

「なに、貧弱インドアボーイって。語呂良すぎっ。……ふふふっ」

 言いながら目尻の涙を拭う皆神さん。

「あー、面白い。佐藤くんってそういうセンスもあるんだね」

 ズキューン!

 席に戻り際、放たれた言葉。俺はそれに完全にハートを撃ち抜かれた。

 いや、勘違いするな、佐藤啓! 今のは皆神梓の力の一端だ。

 相手の自虐さえも別角度から誉めに変える。そういう誰も傷つけない機転の利かせ方。それが皆神さんの才能なのだ。

 だから今俺は、皆神さんに救われたのだ。自分のミスを皆神さんの機転でチャラにされたのだ。

 だから勘違いするな。皆神さんは俺のことなどなんとも思っていないし、だからこそ、俺だって皆神さんに対して恋愛感情を持ってはいけない。

 いや、そうでなくとも俺には『約束のあの子』がいるのである!

 さて、さらに疲れた。

 俺のライフは、登校で肉体的に削られ、今の一会話で精神もやられた。いや、精神については最後の一言で全回復したまであるが。なんなら肉体の疲労も吹っ飛んだまであるが。あの一言で未来まで活力に溢れそうなまであるが。

「随分と愉快なものを見たわね」

 机に突っ伏していると隣から声が掛かる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る