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一瞬で舞い上がった気分が台無しになる不快な平淡トーンだ。
「ほっとけよ」
隣を見ると隣人は、文庫本から目を離すことなく喋っていた。
隣人の名は、
皆神さんと同様に明勇の三才の一角であるが、皆神さんとは正反対のコミュ難ガールだ。死んだ魚のように光の無い瞳に、きっと表情筋が殉職しているのだろう、微動だにしない表情。だが、それぞれのパーツが無駄にいいものだから、精巧な人形のようである。また、引い背丈と、声のように平淡なボディラインもその人形っぽさに拍車をかける。
どこか人間らしい血の通いが欠落した少女、それが来栖美優である。
そしてそんな彼女が明勇の三才に数えられる由来は、頭の良さである。昔から明勇学園に通う彼女は、幼少期より神童と呼ばれもてはやされてきたらしく、聞く話によれば彼女のIQは170あるそうだ。
彼女が無表情になってしまった理由。それが天才キャラにありがちな周囲からの嫉妬ややっかみなどと言った衝突や軋轢故のものなのかは分からないが、少なくとも確かなものがある。
「勘違いしない事ね。あなたは今、自分のミスを救われたのよ」
「分かってるよ。言われなくても」
「そう? てっきりセンスを褒められて俺、芸人になるわ! とか安直な考えしていると思ったのだけれど」
「ぐっ!」
それはこの女が俺に話しかける目的は嫌がらせ以外にあり得ないということだ。
人間何が腹が立つかって分かっていることを他人から改めて言われることだと思う。そして、この来栖。高いIQだか、エスパーなのか知らないが知られたくないことをピンポイントに察してくる。
「……あのなそっちこそ、人のミスをつつくんじゃなくてフォローできるような皆神さんの良い所を見習うべきなんじゃないの? 曲がりなりにも明勇の三才、なんて同じ土俵に立ってるんだからさ」
「あら、それは私が無愛想なことを遠回しに批判しているのかしら?」
「そう聞えなかった?」
「もちろん、聞こえたわ。ただの確認よ。もし別の意図があったなら私はあなたに対してお門違いな報復をしてしまうところだったから」
「物騒な話だな」
「その挙げ句の果てに、尊厳を叩き潰されたあなたが自らの命を絶ってしまうことになりかねないから」
「本当に物騒な話だな! 自殺するほどの誹謗中傷されるの、俺?」
「けれど誤解もなかったようだし、心置きなくできるわね」
「え、待って。ごめん、謝るからやめてくれる?」
「そうね、じゃあとりあえず簡潔にまとめて、言い返せないのが悔しかったからといって関連性の薄い事情を持ち出して他人を叩くのはやめなさい、童貞?」
「……オーケー。分かりました。言いたいことは十二分に汲みましたので、もうしません。すみませんでした」
自分から仕掛けはしたが、勝てない戦いなのは十分に分かっていた。なので、用意していた謝罪文を暗唱して、この話を切り上げる。一方的な降伏宣言で来栖との話を強制終了するのは俺がよくやる手段だ。
そして、来栖はこっちに反論する気がないと見えると何も言ってこなくなる。相当に洗練されたS気質なのだろう。嫌がる素振りがない相手には危害を加える価値がないのだ。
全く、これが素直になれない好意との裏腹な毒舌だったら幾分かマシに聞けるというのに。
「そ。十二分に汲めたということは、この言葉の奥にある私の好意も察したということね。嬉しいわ」
「……は?」
いつも通りに淡々と呟かれた、いつもはない一言。
その言葉があまりにも衝撃的過ぎて俺はまじまじと来栖を見つめてしまう。
え、いや、本当に好意の裏返しだったのか? あ、ふーん。確かに来栖の見た目は悪くないし、けれども顔より下、スタイルについてはもっとメリハリがあった方が好みというか……じゃなくて! それ以前に俺には約束の子がいてだな!
「冗談よ」
「へ?」
ぱたんと文庫本の閉じられる音。そして続いてこちらを眺める視線。相変わらず表情に変化はほとんどないのだが、その視線になんとなく全てを察した。
「お、お前……」
「だから可及的速やかに汚い情欲を湛えたまるでアダルトビデオを見るかのような眼差しを外してくれないかしら」
何て言い草だ。完全に否定はできないけれど。
ともあれ、要するにこの女は、からかいやがったのだ。
「あれ、もしかしてもしかして、まさかとは思うけれど、あなた如きの平凡以下の人間が私から好かれてるとでも思ったのかしら?」
「…………っ! せめてそういうのは淡々とじゃなくもっと抑揚をつけて言えよな!」
まるで捨て台詞のように吐き捨ててそっぽを向く。
もっと何とも思ってない風に言えてれば上手くあしらっている感じがして、逆転勝ちできたのに、今の俺は完全に引っかかった挙げ句の負け惜しみだ。
「はーい。おはようさん。席に付けお前ら、遅刻にすんぞー」
と、チャイムと共にガラガラと前扉から入って来たのは、このクラス、一年二組の担任、
大半の高校生からすればおっさん、にあたるが社会的に見ればまだまだ若い二十七歳。個人的な印象としては、普通の教師、か。そもそも俺自身、そこまで手のかかる生徒とは思ってないが故に、あまり目を掛けられてる実感はない。かといって、無頓着とか無責任と思えるほど生徒の扱いがずさんにも見えない。授業は生物を受け持っているが、その内容にしても、教科書通りということもなく資料なり雑談を適量交え、理解させようという努力が見える。なんて上から目線だが、俺が生物の学問について特別深い興味や関心があるわけではないのだが。
「ん。オッケーオッケー、概ねいるな。いないのは……って
平山は教壇から俺たち生徒を見下ろし、そう尋ねる。
「アヤちゃんはきっと、遅刻、じゃないかな。特に私は聞いてないけど、他何か聞いてる人いない?」
誰に向けられたわけはない平山の問いを拾うのは皆神。
そして、皆神から再度放たれた問いクラスメイト達は各々の返答をする。
「いやー、特に」「私も聞いてないなー」「知らない。というか、猪川さんと接点がないし、なんならクラスの女子と喋らない。グフフ」
この現象については、別に担任いじめがあるわけではない。ただ単純に、皆神のコミュ力が桁違いというだけだ。最初の方こそ、項垂れるリアクションをしていた山平についても、今では特に気にした様子も見られない。
「そうかー。やっぱりなー」
そして、加えて言えば猪川の遅刻についてもこのクラスについては珍しい事ではなく、大抵の場合、このホームルームの最中に教室に姿を現すのが常だ。
そして今日も例外あらず、廊下を走る音が近づいていた。
「セーフ!」
勢いよく開け放たれる扉。
入ってくるのは猪川
「アウトだ、普通にな」
山平が言葉と共にパシリと出席簿を猪川の頭の上に置く。誰が見ても体罰にならないが無罪放免にも見えない罰のような何かである。昨今の社会はそういうのにうるさいのだ。体罰やセクハラ、警戒し過ぎて損はない。だが、しかし、この猪川という生徒はそんな教師のバリケードを軽く跳び越えて来る、天然、もといアホの子、である。
「あ、あやちゃん! 前、前!」
ガタッと席を立ちそう切羽詰まった声を上げるのは皆神。
「え? 前……うっひゃぁぁぁ!」
そして、指摘された猪川はすぐに身を抱くようにしてしゃがみ込む。
まあ、それもそのはず、何せ教室に入って来た猪川はワイシャツのボタンが止まっておらず、ブラが剥き出しになっていたのだから。
「やけに涼しいと思った!」
「そんなレベルじゃないよ、アヤちゃん!」
珍しく皆神からツッコミが飛ぶ。
しかしこれも決まりの流れだ。
だがしかし、この猪川綾乃という少女も明勇の三才の一角だったりする。その理由は、遅刻魔でもエロ担当でもない。いや、エスカレーター組である彼女はその二点でも有名人なのだが、それよりも彼女の価値を上げることある。それは彼女の運動神経だ。
陸上、水泳、剣道、柔道、サッカー、バスケ、テニス、バドミントン。
これが彼女の現在所属している部活だ。
籍だけを置くようないい加減な兼部は、学校で認められていない。しかし、彼女は実際に兼部をしている。
これが何を意味するかと言えば簡単だ。
それは彼女がその全ての部で結果を出しているから。いや、結果を出しているといえばそれ以外の種目でも練習試合などで活躍している。
競技や種目関係なく、またチーム戦でも個人技でも全国大会に出場、中には優勝さえも果たしてしまうスーパーアスリート。その知名度はもはや学校の中にとどまらず、メディアを通じ、国内はもちろん世界中へと知れ渡っている。
通称、勝利の女神。彼女の出る試合はことごとく、彼女とそのチームが勝利するのだという。
それが猪川綾乃という少女である。
そして、皆神梓、来栖美優、猪川綾乃。
何の因果か、明勇の三才全員が揃っているこのクラスは、学園の中心だ。まあ、だからと言って俺自身に何か関わってくることがあるわけでもないが、ただ一つ言えることは、学校生活において退屈しない。
「何か誇らしげな顔してるけれど、ちょっと背筋伸ばしてくれないかしら?」
「うるせえ。それは断る」
猪川のルックスも他の二才と同様、ハイレベルだ。
屋外での練習のためだろう小麦色にやけた健康的な肌に、スラリと長い脚。身体が必然的に鍛えられているのだろう、体幹が良く、従って立ち姿が綺麗だ。ただ一方で、女の子らしい曲線もあり、安産型な大きい臀部や適度に汗を流しているからか、胸もたわわ。また、顔の作りもどちらかと言えば可愛い系で、結論的には、限りなく合法に近いロリ巨乳。一般性癖だと許容されたロリ巨乳。それ即ち、普通の男子には子供っぽく、同姓の友人のように思えるのだろう。彼女の気安い雰囲気もそれに助長をかけている。がしかし、少し趣向、性癖がオタク側に傾いていると、効果はバツグンだ。最大の破壊力をぶつけられることになる。
従って、いつものこととはいえ、それでもまだ二ヵ月にも満たない話。ナニがとは言わないが、毎度新鮮に刺激を受けている。
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