第5話 読書と準備、さらばご老人たち、そして旅立ちへ1

 アルムは毎日人気ひとけのない夜中に図書館の四階に行って、裏の部屋で読書をした。この場所を誰かが村の人々から隠していることは明らかであり、今も隠し通す必要があると判断した彼女は人気のない時間に来て、部屋に入る前と入った後とで出来るだけ違いがないようによそおった。


 毎晩、裏の部屋の出入りのためにドアをさえぎる本棚を手前に動かすのは骨が折れる、だから彼女はギリギリ人一人分入れるぐらいのスペースをドアと本棚の間に作った。ドアの前だけ本棚が飛び出しているのもおかしく見える、そのためアルムはあたかも最初からそうであったかのように、隣の本棚もそして隣も隣も……と四階の奥の一片の本棚すべてを、まるで隊長の号令とともに整列する優秀な兵隊のように壁から人一人分の幅だけ前に動かした。


 おそらく遠目で見るだけなら何が変わったか分からないだろう。近づいてみると以前よりも明らかに本棚が前に出ていることに気づくが、元々好き好んで四階の超難解な専門書エリアに来る人は殆んどいないため、さして問題にはならないだろう。

 図書館は一階から順番に人気のある、もしくは読みやすい本の順に置いてある(もちろんエルフ村フェンリルの成り立ち 全四十一巻を除いてだ。読みにくくてもそれは一階にある)。二階三階へと上がる人がいても、物好きでない限り四階に来る者はまずいない。本棚の位置の異変に気づくことは何年もないだろうし、そもそも気づかれたとしても彼女にとって特に問題にはならない。


 裏の部屋での読書を通して世界が広いことに気づいたアルムは、さらなる知識を得るために読書にひたすら没頭した。裏の部屋に来れるのは人がいない夜だけだったが、四、五冊本を持ち出して人通りの少ない場所や家でも読みふけった。

 本当は食料を持ち込んで裏の部屋に住み込みたい気持ちだったが、いくら他のエルフたちと距離を置いている彼女といえど、青い髪をした目立つ姿を誰もが見かけなくなると、捜索隊を出されるおそれがある。


 幼い時に家族が不慮の事故でなくなっているアルムは身寄りがなかった。実際には叔母と叔父がいるが(一〇歳になるまでは叔母の家に世話になっていたが決して良好とは言えなかった)仲良くはないし、軽く百年は話していない。

 当時、子供ながらも自ら叔母の元を離れたアルムを見兼ねて、村長やら長老やらは一人住まいの家の用意とお金の援助をした。このご老人たちは彼女が大人になった今も心配して、姿を見掛けなくなるとすぐに捜索隊を送る。


 現に家に三日間引きこもって本を読んでいると、心配性のご老人たちが兵隊を連れて家に駆けつけてくれたほどだ。そのはた迷惑な行為をきっかけに、彼女は人通りが少なく、ご老人たちが散歩で通るような道、その脇で毎日決まった時間に仕方なく読書や魔法の修練をすることになった。

 アルムはご老人たちのご好意から一五にもなれば職を紹介された。同年代のエルフたちと比べ物にならないぐらい魔法力の強い彼女は学校に行くこともなく(下手な教師よりもアルムの方が優秀だ)、ご老人たちの護衛や魔物が誤って村に侵入した際の駆除を任された。


 村に魔物が侵入することは殆ど無いし、ご老人たちの護衛も式典がある時のみ、基本的に彼女は暇を持て余していた。まれに魔物が村に現れたときはその魔法力を活かし、ロウソクの火を息で吹き消すかのようにあっという間に追い払った。大のおとなたちでも追い払うのに数十分間〜数時間かかるものをほんの数分で済ましてしまう。

 その恐ろしいまでの優秀さ、それに青い髪でみ嫌われていたこともあり、たまにの仕事だけで誰も何も文句を言うことはなかった。通常、護衛兵などは空いている時間を教官のもとでの稽古や村中の警備に当てるがアルムは免除されている。


 裏の部屋で読書をして二、三日。とても異国の膨大な量の本を読み終える気がしないアルムは日課としていた魔法の修練を一時的にやめ、しばらく読書に専念することにした。

 最低でも五時間の魔法の修練と五時間の読書をほぼ毎日欠かさず物心ついた時から行ってきたが、この日から一〇時間読書にあてることにした。


「何をあせっているのだろう? 私にとって時間は退屈で無限にあるのに……」


 なぜだか分からない、まもなく沸騰するお湯がふつふつと泡を出すように、知らない部屋に隠された奥の方から焦りというナニカが湧いて出てくるのを感じた。異国の地があり、異国の本があることに気づいた瞬間から、以前のアルムと今のアルムとは何かが変わってしまったようだった。


 彼女は裏の図書館を見つけた時点で一六九歳、それから約三〇年間一日の大半を読書についやし、約五万冊の難解な本を読破した。嵐のように膨大な本を読みふける中、目まぐるしく気づかされることがたくさんあった。

 最初の驚きはいまこうして話している、幼少期から疑わずに話していた言葉が実はエルフ語ではなかったこと。


 ――


 驚くことに実際は人語じんごという言葉で、異国の地でも共通言語として話されている言葉だった。学校ではエルフ語として教わり、図書館に置いてある書物でもほとんどがこの言葉で書かれていた。

 本来のエルフ語は一部古い書物に書かれている古典エルフ語のことを指していた。フェンリル村で本当のエルフ語が話せるのは、もはや本を読むために覚えたアルムと長老たちのジジババだけであった。


 彼女にとってもう一つ大きな驚き、それはここの書物では正しい年数は書かれていなかったが、おそらく一八〇〇年前頃にことだ。

 エルフ村に奴隷という言葉はない。アルムにとって馴染みのない「ドレイ」と言う言葉に初めはピンとこなかった。異国の書物を読み漁り――


「ドレイとは人にも関わらず売買が成立し、異族に(主にヒト族に)道具のように扱われること。自由はなく主人の命令に従い、了承を得なければ何もできない」


 そういった意味だろうと、彼女は聞き慣れない言葉をそう定義した。


 驚きが隠せない。エルフの村では陰湿ないじめはあり、アルムはいじめられていた時期もあった。しかし、それを遥かに凌駕りょうがするドレイという扱い。想像するに想像できない扱いがあることにどう思っていいことか……。


「もし自分が売り買いされたら……こき使われ、本は読めず、魔法の修練もできず……わからない」


 現実を知らない彼女は知る時が来るまでは分かってはいけないのだと、そう思った。


 こうして三〇年間、裏の部屋での読書を終えたアルムは、魔法の修練をおこたって鈍ってしまった体を、徐々に解きほぐすようにして修練を再開し初めた。

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