三十四 毒入り昼食とパイケーエス人の船

 朝が握り飯だったせいか、経木きょうぎを開くと見慣れぬ物体が鎮座していた。

「懐かしいな。お偉いさんが良く食ってたやつだぜ」

 とむはふんふんと鼻を近づけると、そのまま全部食べてしまいそうな勢いだった。

「食うか」

 手で気泡の多いはんぺんのようなそれをつかむと、とむの鼻先に近づけた。

「うへっ、毒入りだ」

 文句を言いながら挟まれた野菜だけをぺっぺと吐き捨てて、とむは不承不承といった体で私の昼飯を食べた。

 毒入りと言う言葉に身構えた私を見て、ふらんそわが説明をする。

「猫とは相性の悪い野菜ですが人体には影響はありません。ねぎの一種ですから。ちなみに昨夜出されたニラも私共の体には悪影響がございます」

「なるほどな。今後はとむに飯一つ分けるにも、色々考えなけりゃならん訳だ」

「ご配慮を頂ければ幸甚でございます」

 ふらんそわは昼食を食べてきたようで、私たちのそばに座って日光浴をしていた。


 私は気泡の多いはんぺんのようなものをえいやっと押し込んだ。

 はんぺんのようなもので挟まれたかすかな辛みのする野菜と、塩の利いた燻製の鮭の香りが口中を満たす。

「これは何という食べ物なんだ」

 二つ目に手を付けるそぶりも見せずに前足を舐めているとむに聞いてみる。

「サンドウィッチだよ。自分で作るにゃ手間がかかるから俺みたいな独り者の船乗りにゃ縁が無い食い物さ。お偉いさんの分は船の賄いが作ってくれるがな」

 さんどうぃっち、さんどうぃっちと耳慣れない言葉を繰り返して私は二個目のさんどうぃっちに取り掛かった。

 二個目にはつぶしたゆで卵が入っていた。


「そう言えば今日は両方当てたぞ」

「何をだよ」

 どろんとした目を私に向けながらとむが尋ねた。

「衣服の色は上下水色、今日は握り飯ではなくきるけえの故郷の軽食」

 とむに朝告げた言葉を私は繰り返した。

「どうするよフランソワ。おまけで正解にしてやるか」

 いきなり会話の輪に誘われたフランソワは一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、いつもの真面目そうな表情に戻った。

「すこしおまけが過ぎやしませんか」

「でも似たような食べ物はあっちにもあっただろう」

「パン類に具を挟む食べ方自体は珍しいものではないでしょうが」

「じゃあ正解な」

 とむは深く考え事をしないので、あっさりと私の答えを正解にした。


「そう言えば、きるけえの故郷の島とはどのあたりなのだ。とむの故郷はいんぐらんどでふらんそわの故郷はしゃんぱーにゅなのだろう。きるけえが言うには、ここよりはるか西の小島と言っていたが」

 ふらんそわととむが同じタイミングで答えた。

「エーゲ海沿岸」

「ローマ沖」

 そうかと納得しかかった私を横目に、二頭の獣はお互いの答えに疑問を呈した。

「ローマ沖じゃねえのか。あの辺りで潜水艦がいかれちまったからよう」

「しかしキルケ様はギリシア神話に逸話が残されているではありませんか。となればエーゲ海あたりではありませんか。ローマ沖ならキルケ様がおられた島はアドリア海に位置する事に」

「でもお前だってローマ沖で時化しけにやられたんだろ」

「確かにローマ沖もギリシア神話の地域内に入るのかもしれませんが」

 納得いかなそうな顔で黙り込んだふらんそわを横目に、とむは大きくあくびをして横になった。


「この後はまた墓場歩きを日暮れまで続けるんだろ。せいぜい頑張りな」

 確かにあの幽鬼のような歩き方は、墓場歩きと言われるとぴったりと来る。

「面倒だ。どうして普通に操舵そうだできるような設計にしなかったんだ」

 私はとむに言っても仕方がないと思いつつも不平をこぼした。

「そりゃよ、あの船が『パイケーエス式』だからに決まってるじゃねえか」

 とむはこいつは何を言っているんだと言わんばかりに鼻をひくつかせた。

「そもそもぱいけーえす式って何だ。ここでの暮らしは耳慣れない言葉ばかりで頭がおかしくなりそうだ」

 いらいらとしながら私は、乱暴に空になった経木きょうぎを丸めた。

 もし私がこの瞬間に猫型に変化したら、とむのようにいらだちでしっぽを何度も岩場に打ち付けていることだろう。


「パイケーエス式っつのはよ、パイケーエス人から採った名前なんだよ。オデュッセウスって男が四十数人の手下どもと一緒に昔キルケが住んでいた島に来たって話を覚えているか」

 私は水筒の水を飲みながらうなずいた。

海豚いるかの坊さんの話によれば、オデュッセウスは元々よその国の王様だった。キルケの元を去った後も何だかんだとひどい目に遭いながらも何十年越しに国に帰るんだが、いよいよ帰るって時に乗った船がパイケーエス人が漕ぐ船だったんだ」

「そのぱいけーえす人とやらの操舵法があれって事か」

「当時からパイケーエス人の漕ぐ船は勝手に進んで目的地に安全に着くってんで、大評判だったらしい」

 私たちのような目に遭う者は珍しいだろうが、それでなくても船旅は危険との戦いだ。

 勝手に進んで目的地に安全に着くなどと言う船があれば、誰でもそれを手に入れたいに違いない。

 だが、あの操舵法はぱいけーえす人だったからこそ可能だったのではないか。

 それでなければ海豚いるかの顔の男のように、人間離れした能力を持つまで訓練した者でなければ到底無理だろう。

 気の遠くなるような訓練から逃げ出したくなった私は、深いため息をついた。

「だから全身にチップを入れたんだろ。俺たちが今頼れるのはニヘイさんだけなんだからしっかりしてくれよ」

 がっくりと肩を落とす私を影が覆った。

「良い脱力です。その調子で行きましょう」

 海豚いるかの顔をした男が私を迎えに来た。

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