孤島のキルケ

モモチカケル

零 ヨモギ祭り前夜。きるけえ伝説を聞きながら

 時は旧暦九月の新月前。

 フリーライターである私は、とあるタウン誌の取材でウツボ海に浮かぶ母子南島はこなじまにやって来た。


 日本のアドリア海の異名をとるウツボ海に浮かぶこの島は、ウツボ海随一の漁場として名高い。

 母子南島はこなじま唯一の観光資源である海鷹四方木神社みたかよもぎじんじゃのきるけえもうでの前日とあって、ひなびた漁村であるこの島はにわかに活気づいている。




 飛鳥あすか時代の昔からあつく信仰されているかの神社は、熊野造くまのづくり社殿しゃでん鎮守ちんじゅの森におおわれた、ひなびた漁村にふさわしい素朴な作りである。


 祭りの準備に沸く氏子衆うじこしゅうがいそいそと立ち働く中、写真を幾枚も撮って取材をしてきた私は、民宿に着いて休む間もなく大広間へと通された。





「ほら兄ちゃんもヨモギ団子をようけ(いっぱい)食いんさい」

 自然薯じねんじょのとろろ飯に岩牡蛎いわがきとニラの味噌汁、それから地鶏の直火焼とタコつぼ湾で取れた活タコを平らげて茶をすすっている私に、男が声を掛けてきた。


「ここだけの話、ここの親父さんの手作り団子の方が、道の駅のきるけえ団子よりご利益があるで」

 取材の為に│母子南島はこなじまの宿に前乗りした私と同じく、祭りの見物客なのだろう。蛙のような顔をした五十がらみの男である。


「明日の祭りの取材かいな。あんた若い男なのに良うやるな」

 口からヨモギの香りを漂わせながら、とかげのような顔をした男が口をはさんだ。


「ヨモギ団子をようけ(いっぱい)食っとかんと。きるけえ様に真っ先に狙われるで」

「おうよ。きるけえ様は若くてええ男に目が無いけえのう」

 それぞれウツボ海沿岸の別の港町から来たのだと言う二人は、この宿の常連だそうだ。


「お二方も、海鷹四方木神社みたかよもぎじんじゃのきるけえ詣でを見に来られたのですか」

 数えで十七歳になる青年たちが、沖合にある夫婦岩まで遠泳して干しヨモギを奉納するきるけえもうでは、県の無形文化遺産である。


「ワシらは氏子うじこじゃけえ、祭りに顔を出さんときるけえ様に怒られるわ」

「では、お若い頃には遠泳もされたのですか」

「そうよ。旧暦九月の新月を迎える朝には、雨だろうが泳がにゃならん」

 蛙のような顔の男が、顔をゆがめながらとかげのような顔をした男の方を見た。


「ワシらの頃は氏子は強制参加よ。今の若い男は参加せん者もおるけえな」

 全く最近の若い者はとため息をつきながら、とかげの顔をした男は数本目の団子に手を伸ばした。


「ワシらの頃は『きるけえが人さらいに来るぞ。きるけえに豚にされるぞ』と言われりゃ皆行儀が良うなってなあ」

「あるある。ワシもようけ(いっぱい)言われたんじゃ」

 私はメモを片手に、二人の常連客の会話に聞き入った。




「おっ、親父待ってました! いよっ大旦那!」

 蛙のような顔をした男の叫び声で、私は大広間のステージに目をやった。

 サンタクロース然とした宿の主人が、ステージ上で私たち宿泊客に頭を下げて語りだす。


「昔々、神代かみよの頃に、きるけえと言う名の、まじないと薬作りに長けた妖女がおりました。

 はるか西の国の出であるきるけえは、ウツボ海に浮かぶ孤島で一人寂しく暮らしておりました。


 さて、ウツボ海の漁師の中にはきるけえの元に流れ着く者がおりました。タコつぼ湾の奥にあると言うきるけえの島に流れ着いた男達は、二度と島から出る事は叶いませんで――」


 私は大旦那を前に激しい睡魔に襲われ、思わず広間の隅に横になった。


 目を閉じると、妙にくっきりとした視界の中に、黒真珠の瞳をした美しい女が海辺でたたずんでいた。


 彼女と目が合った瞬間、脳の中心が揺さぶられるような衝撃が襲った。


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