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 夕食時に、私は何の気なくきるけえに声を掛けた。

「船を造る事が出来るのだから、あなたもここから出てみてはいかがです」

 きるけえは食事の手を止め、目を丸くした。

「そんな事を考えた事もありませんでした。お客人用の船の作りかけてはあるのですが」

 そう言うと、きるけえはがっくりとうなだれた。

「船が入用になる前に獣となり果てた」

「ええ。試作は繰り返しているようですが、肝心の『人』がいないのです」

「男達の為でなく、あなた自身のために船を仕立てるつもりは無いのですか。あなたは人の姿なのですから、人里にも紛れられましょう」

「私は呪われた身ですから、人里に行けば皆様に迷惑を掛けてしまいます」

 きるけえの目に深いかげりが生じた。


「一人が怖ければ私と一緒に」

 私はきるけえが呪いに押しつぶされながら孤島で一人過ごし続けるのを見過ごせなかった。

「私は忌み嫌われておりますでしょう。それに私は一人でこの島に暮らす以外の過ごし方を知らぬのです」

「呪いに操られるまま、この島に来た男を欲するだけの生で良いのですか」

「殿方を欲しても欲しても、私の渇きは絶えることがないのです」

 音もせず私のひざ元にその身を寄せたきるけえは、たおやかな手つきで私の腕にそのほっそりとした手を置いた。


「そうして私も獣になさるおつもりですか」

 私はまっすぐきるけえの黒真珠の瞳を見据えて聞いた。

 すすり泣きを始めたきるけえに、黄金色の毛並みの犬が寄り添った。


「この子は大きくて少し垂れた目をした愛らしく利発な青年でした。彼の姿を一目見るなり、なんと美しく愛らしい青年だろうと心が高ぶったのです」

 自らの手で永遠に失わせてしまったかつての青年の姿を思い起こしているきるけえは、まるで満天の星を飽きず眺める少女のようであった。

「私は家の者に命じて彼を館の湯屋に運ばせました。そしてふっくらとした形の良い唇に気付け用の膏薬を塗りこめて」

 きるけえは思わせぶりに私の目を見つめた。

 だが私はいしゅたるの呪い通り、きるけえに心を動かす事はなかった。

「私は眠ったままの彼を一糸まとわぬ姿にして、私の熱を移しました」

 そう語るきるけえの唇は、蜜を湛えたようだった。


「すべてが終わった時、彼は美しく愛らしい青年の姿のまま眠りこんでいました」

 きるけえは黄金色の毛並みの犬の前足をそっと撫でた。

「殿方を獣に変える条件は、わたくし自身にも分からないのです。本当にひどい呪いだこと」

「恋した相手を図らずも獣にしてしまうとは、お辛い事でしょう」

「故郷の島にいた頃は人間に戻す術もあったのですが、ここにはそれに必要な薬草が生えぬのです」

 こらえきれず涙をこぼしたきるけえに、黄金色の毛並みの犬がその身を寄せた。


「ところであなたの故郷はどちらなのですか」

「ここよりはるか西の小島です。空は澄んだ青色で、海は空を映しだしたような紺碧こんぺきでした」

 私ははるか西にあると言うきるけえの故郷を想像した。

「巨岩が海岸線にせり出して、その下に獣になった殿方を人間に戻す草が生えていたのです」

「気温や雨の降り方などは、この島と故郷の島とでは違いがありますか」

「気温は大して変わりませんが雨はこちらの方が多いでしょう。それに、秋ごろの強い雨風は私の故郷にはないものでした」

 きるけえは遠い故郷を思うように、その黒真珠の瞳を虚空に向けた。


「その薬草はどのような花が咲くのですか。私は色々な土地を回って来ましたから見かけたかもしれません」

 きるけえはポンと柔らかな手を叩いて、猫の耳としっぽを持つ女中を呼んだ。

 女中は無表情で紙と筆を机の上に置くと、そそくさと部屋を出て行った。

「女性たちも、貴方が偶然獣にしてしまったのですか」

 きるけえは星形の花弁を持つ植物の絵を描く手を止めた。

「いえ、あれらはわたくしの意思で人型にしたのです」

「ならば男を人間に戻せそうなものではないですか」

 私は描きあがった星形の花弁を持つ植物の絵をしげしげと見つつ、当然の疑問を口にした。

「それがどうにも上手くいかないのです」

 きるけえは憂い顔もあらわに私を見た。


「島の動物を人型にするには何を使うのですか」

「白蛇の抜け殻を巻き付けた木の枝にアオキノコの戻し汁、それから低湿地に咲く黄色の花を咲かせる水草です」

 きるけえはあっけない程にあっさり魔力の秘密を披露した。

「ちなみにそれらを男たちに使ったらどうなりましたか」

「一部の方の体のみは元に戻せたのですが……」

「それでも体全体が慣れぬ獣のままよりは余程良いでしょう」

 再びきるけえが押し黙ったので、私は彼女が描いた星形の花弁を持つ草をじっくりと目に焼き付けた。


「この花に似た花ならうとんちゅ港で五月頃に見ましたよ」

 一瞬顔を上げて目を輝かせたきるけえであったが、すぐに暗い表情になってしまった。

「私が探している草は九月の満月前の三日間のみ咲くのです。その間に花がついた状態で刈って、満月から次の新月まで月明かりにさらしながら干すことで効力が出ます」

 私は織物商人だから薬の事についてはとんとうとい。

 だが薬の事に明るい人間なら、きるけえの調合する薬の効能を調べて販売してくれるかもしれないと思った。


「あなたの作る薬で一般の人間にも売れそうなものはありませんか。例えば、腹下しや熱冷ましに痰切たんきりなど。この島で獣たちに薬の調合や薬草の栽培方法を教えて、島の薬草の種も採取して外界で売れば暮らしを立てられるかもしれません」

「暮らしを立てるとは、何ですか」

 きるけえの反応は私が想像するいずれとも違った。

 私は結論を急ぎすぎていたようだ。

「少し話を急ぎすぎてしまったようです。申し訳ない」

 私は一旦この話を切り上げる事にした。



 新月の夜と交代した太陽の光が白み始めた頃、工場に向かう私にきるけえはそっと身を寄せるように弁当を差し出した。

 玄関先まで着いてきたオオヤマネコが、意味深な目線を送ってきた。

 何かを伝えたいようだが、猫の言葉も猫の表情も分からなかった。


 工場の入り口は相変わらず様々な獣の顔をした男たちが忙しなく出入りしている。

 もうもうと蒸気の上がる煙突の下では、猫やうさぎの耳としっぽを持つ女たちが茹でた海藻や雑草を材料に機織はたおりをしている頃だ。

 確かにきるけえはここから連れ出せたとしても、人間に戻れぬ者たちが人里で暮らすのは不可能だろう。

 だからと言って、きるけえをずっとここに置いておくのも忍びない。

 この島を船で出た暁には、薬を織物と一緒に売り歩きながらきるけえが描いた花を探してみると伝えてみようか。

 彼らを人間に戻すすべが見つかれば、きるけえの表情も少しは明るくなるだろうと私は思った。

 

 海豚いるかの顔をした男は片手を上げて私を出迎えると、ぎょっとした顔で私の後ろに目をやった。

 ひゅっと黒い影が眼前を横切ったかと思うと、オオヤマネコが海豚いるかの顔をした男に飛びかかっていった。

 気配を完全に消して私の後をついてきたようだ。


 オオヤマネコが海豚いるかの顔をした男の顔に柔らかい腹を埋めて、その後頭部に前足を掛けると、海豚いるかの顔をした男はオオヤマネコの背をむんずとつかみ床に叩き落した。

「いい加減にしてくれ」

 体勢を低くしたオオヤマネコと腹毛を払い落とす海豚いるかの顔をした男の間に、私は割って入った。


 海豚いるかの顔をした男に連れられた私の後を、当然のようにオオヤマネコも着いて来た。

 確かにあの棺桶かんおけのような船にオオヤマネコは乗っていたなと思いながら、私は地下へと降りた。

 以前連れていかれた部屋に入ると、海豚いるかの顔をした男は耳慣れぬ異国の言葉を早口でまくし立てた。

 きえええっと甲高い声が部屋中に鳴り響き閃光が走る。

 まぶしさにくらんだ目をゆっくりと見開くと、黒とも茶色ともつかぬ髪を短く切った長身の若者が立っていた。

 部屋は先ほどまでの殺風景なそれではなく、私の寝室に少し似た作りに変わっていた。

 オオヤマネコの毛皮柄の裏地を張った高価そうな外套がいとうに黒い上下が、実に様になる若者だった。


「あの海豚いるかのおっさんは元はずいぶん偉い坊さんでな。その力で新月明けの日の四半刻しはんとき(三十分)だけあんたと話せる。俺はトミー・ビス。リバプール出身だ。トムって呼んでくれたらうれしいぜ」

 オオヤマネコになる前の彼の姿らしい。

「分かったとむ。早速だがあの船は安全なのか。後、きるけえは男たちを偶然獣にしてしまったと言っているが本当か」

 「船は折り紙付きだ安心しろ。坊さんはコクゾウって所から記録を引っ張り出して設計図を起こした。俺は実際にあの手の船に乗っていたから、作りはよく知ってるぜ」

 猫の目のようにとむの表情はころころと変わった。

「あいつは潜水艦だ。俺が乗船していた頃はディーゼルエンジンでバカでかい音がして最悪の腐れ棺桶だったんだぜ」

 とむはおそらく元々早口で少し口の悪いたちなのだろう。


「坊さんがコクゾウから引っ張り出した設計図は俺の知っている潜水艦の百年ぐらい後のものらしい。バイオ燃料がどうたらとか自動操縦システムとか全方位測位うんちゃらとか良く分からねえことを行ってたが大丈夫だろ。俺も試乗したから安心しろ」

 聞きなれぬ単語を早口でまくし立てるものだから、私は話に付いていくのがやっとだった。

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