第9話 朽ちた遺骸の痕跡


 何かの虫の鳴く声と、ぬかるんだ土を踏む足音以外何も聞こえない道を行く。


 木々から剝がれ落ちた枝や朽ちた大木は苔むした腐葉土に変わり、それを丸吞みにする大きな芋虫、亀のような小動物の背に生えたキノコはアリが収穫し、そこに大猿がひと舐めで甲羅の上の全てを平らげ去っていく。


 変わり果てた入り組んだジャングルに沿って、当てにならない地図をだけを頼りに進んで行く。湿り切った空気が纏わりつき、照りつける暑さは少しづつ水筒の中身をじわじわと減らしていく。


「大丈夫デイモン?汗が凄いけど」

「つらい」

「しっかりしろ」


 俺の全身から吹き出る汗の量は前を歩く二人の比では無い。


 俺はいつもそうだ。何か人よりも優れたものを持てば、とんでもない副作用出る。

 人よりも高い代謝による速い反射神経を持ち得たが、代謝が高いと言う事は人よりも心拍数が多くなり汗も出やすい。

 ちょっとやそっとの運動ですぐ身体が温まり、その熱で汗が出る。それが蒸し暑い環境で、それも長時間の行軍となればもうその量は尋常では無い。

 

「浜辺の南国と雪山の別荘育ちを舐めるなよ。湿気に晒さればただの雑魚だぞ」

「なんでそんな事で偉そうに出来るの……?」


 ジメジメした湿気の強いジャングルでは、自分の熱が空気に溶けるようで吸い込む空気も重くぬるい熱がこもっている。いつまで経っても暑さから逃れられない。

 湿って纏わり着く重い服に苛立つ。


「お前さんは砂漠出身だからそんな丈夫なんじゃろうに」

「正直あたしもつらい……けど、いくらなんでもデイモンは極端な例ね」


 見通しの悪いの変わり映え無い景色、コンパスだけを頼りに足を進める。

 時々ライラが気に登り高所から景色を確認するが、何時になってもたどり着く気がしない程、同じ景色だそうだ。


 時折、耳元で聞こえる不快な虫の羽音に反応して握り潰す。これでもう何度目だろうか?手の中でひしゃげた虫の死骸をその辺の草木に擦り落す。こんな状態では警戒もろくに出来やしない。


「アァ!ジャングルは危険地帯だ……」

「お主そんなんで、どうやってあの大戦を生き抜いたんじゃ……」

「戦場は孤島や船の上だったから風が涼しかった……」


 だが孤島も船も涼しいからと言って過ごしやすかったかどうかと言えばそうではない。限られた物資、保存性だけを追求した味気ない缶詰、足りない栄養、むさ苦しい兵士、絶え間なく鳴る砲撃、死んでいく仲間、逃げ場の少ない狭い面積。鬱憤の溜まった奴から医務室に行かされ、いつもベルトコンベアーのように人がグルグル回っていた。


 戦争は過酷だ。常人なら息抜きがあったとしてもそう長くは持たない。

 傷もストレスも、耐えられる下地が無ければそいつから死んでいく。


「ねぇ、なんかこの辺り……臭わない?」


 ライラは鼻を啜るように鳴らし周囲を見渡す。つられるようにファングも俺も見渡す。


「こっちの方……だな」


 臭いは進路を外れた先、木々が入り組んで奥の様子は解らない。

 その奥から赤く錆びたような腐敗臭と、微かに何か焼けたような臭いが漂う。


「誰かが戦っている?」

「いや、が正しいだろうな」

「銃声も物音もせん」


 耳を立ててもジャングルの中は虫や小鳥の鳴く音だけで、何かが動くような草木の擦れる音も、土を踏む獣の足音も無かった。


 「行くぞ、何か痕跡があるかもしれん。警戒は怠るな」


 俺はリボルバーを両手で握り、慎重にその現場へ足を進ませる。


 草木を搔き分け、足音を最小限になるようにゆっくり忍ばせる。一歩、一歩進ませるごとに虫の羽音が多くなる事に気付く。それと同時に濃くなる腐臭に混じり、焼け焦げた臭いは微かに硝煙の臭いが漂う。


 木陰で少しくらいジャングルを進んだ先、そこにあったのは石造りの廃墟の小屋だった。倒壊した壁に蔦や木が塞ぐように生え、それでも屋根の一部や壁は穴の空いた所が目立つ。まだ形をとどめている開けられたままの窓ガラスとドアに木々の隙間から光が射し、今も使われているのではないかと思えてくる。その臭いの元はその廃墟から漂う。


 手で合図を出しファングをドアの前に、ライラを遠くの木に登らせ、俺は窓の傍の壁に張り付く。建物に近づくにつれ、臭いはきつく思わずガスマスクを付ける程。


 そっと覗き見るが中に動く気配は無い。部屋の中は外の光とは対称的に薄暗く見えにくい。判るのは荒れた部屋の奥、陰に隠れる誰かの体。その手元は赤く汚れている。見たところ一人だけ。


 俺はライラに向け建物内に指を射し、もう片方の手で指を一本立てる。

 一人見える。その合図だ


 「ねぇ!誰かいる!」


 ライラの呼びかけに建物内で反応は無い。誰かが動く物音もしない。


 「負傷者か、死体」


 ファングが頷くと扉を蹴破り、銃を構え突入。俺もそれと同時に窓から跳び入る。


 中に立っている人物は居ない。おろか身動きする人物も全員壁にもたれるか、床で伏せている。皆、体の何処かに乾いた血の痕が有り、矢が突き刺さっている。蝿は彼らの周りを飛び交い、その爛れた肉が腐敗しているのが見てわかる。


「クリア!死体しかない!」

「……あたしは、見張りしとくよ」


 小屋の外のライラに呼びかけるが、鼻を押さえ近づこうとする気は無いようだ。まぁ見てて気分の良いものでは無い。そのまま警戒を頼む事にした。


「さて、彼らはどこの誰じゃろうか?」


 小屋の中へ向き直り、彼らを見下ろす。乾いた金属と肉の腐敗臭が混ざり、嫌な甘ったるい臭いと飛び交う虫がストレスを溜める。

 この感情は生物としての本能的なモノなのか、死の臭いとそれを餌とする害虫を嫌悪するだけのように思える。


 中を見る限り死体は三つ。


 窓際に力なく壁にもたれ掛かる耳長のエルフ。

 床で倒れるうつ伏せになり腐敗で特徴の解らないヒューマン。

 身長からしてドワーフだろうか?その髭と腹肉が散らばった染みのある床の痕が無ければ、そうとは気付かず子供だと思ったかもしれない。仰向けで手には拳銃が握られていた。


 どれにも蛆が沸き、原型が辛うじて分かる程度だ。ガスマスクをしていてもその臭いは強烈で、無ければえづいていただろう。


「だが、こんな状態じゃあ随分経つ事くらいしかわから無さそうだ」

「後は矢で殺されたくらいかの」

「このヒューマンの倒れ方と矢の角度……立っていた時に背後から撃たれた」

「急所に一撃じゃな、その先は開いた窓の外。気づかれずにとなるといい腕じゃな」

「こっちのエルフはなんだ?少なくともこいつに矢は無い」


 なけなしの情報を求め彼の身に付けている装備に手を伸ばすが、ネチョ……っとした汚れが強く腐敗汁が染みており、思わず眉間にしわが寄る。


「クソ!川が近くに有れば良いんだが……」

「仕方ないじゃろう、それで何か判るか?」

「この服装と手元の銃、マスケットとなんだ?」

「焼けた硝煙の臭いの元はこれか、服は汚れて分からんがこのヒューマンとドワーフと違うのは分かるのう」


 彼ら二人の服装は動きやすい作業着や軍服のような質素で機能面を重視した物だがこのエルフの死体は一般市民のような一般着に、何かの牙や骨をあしらった装飾品を首からかけている。

 死因はぱっと見では判らない。恐らく胴体に何かあるのかもしれないが、それを知るのに虫だらけのそれに手を伸ばしたくない。


「さて、このドワーフじゃ。問題は」

「死体の状態が良ければもっと解ったかもしれんが……多分、床の上を見る限り、腹に何か爆発物でも喰らった」

「それでこの床の惨状……ひどいのう」

「拳銃はリボルバー、軍や警察に採用されてた357マグナムだな」


 その手に触れないように銃を引き抜き、シリンダーを出して中を確認する。空薬莢は一つだけ。床に転がっている薬莢は一つも見当たらない。再装填された訳じゃなさそうだ。


「一発だけ撃たれてる」

「やはり誰かがここで戦っていたのは事実じゃろう」

「碌な抵抗をする間もなく三人は死んで、仕掛人の弓使いは何処かに行った」


 手に付いた汚れを拭きながら立ち上がる。判るのはこれくらいだろう。


『デイモン!大尉!誰か来てる』


 胸元の無線機からライラの通信に、俺たちはすぐさま銃を引き抜き、窓とドアの傍にそれぞれ張り付き臨戦態勢に入る。


「いつでも奇襲出来るようにしとけ」

『駄目!もうバレてる!』

「はぁ!?マジかよ!?」


 それと同時に銃声と怒号が聞こえる。その後、直ぐにライラが開いた屋根の隙間から跳び降りてくる。


「大丈夫か!」

「少し掠っただけ!問題ない!」

「身を低くしろ……いつ撃たれてもおかしく無い……!」


 エーテルのアンプルを首元に打ち込み、痛む手首を押さえリボルバーを構える。


 ここに居る彼らと外から来る誰かの関係は判らないが、いつだって厄介なのは同じ人間だと言うのは変わらないんだ。


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