第3話

「ここです。狭そうに見えますが、中は…やっぱり狭いです。」

にこりと洒落た冗談をマリは言う。

彼女の案内する先にはいかにも大人の隠れ家といったバーがあった。

店内は薄暗く、マリの言った通り狭くはあったが、センス良く置かれた洋酒の瓶と変わった形のグラス、そして店の主人が集めただろう様々な絵画が飾ってあり、同じ狭いバイト先のパン屋とは天と地の差だった。


また、ジャズが流れていて、普段せいぜいファーストフード店にしか行かない愛梨にとってそこはまさに未知の大人の空間であった。

かしこまっていると、それに気づいたマリがそんなに緊張することないですよと優しく話しかけてくれた。


「あの、私、お酒はまだ。」

「あ、まだ未成年でしたね。大丈夫。ソフトドリンクもあるから。ここが出しているジンジャーエールなんかはすごくオススメなんです。」

「あ、それなら飲めますね。よかったぁ。」

いつも通りの調子に戻ったのを見てマリはくすりと笑った。


「お、マリどうしたの!若い子なんか連れて、彼女?」

ホッとしたのもつかの間、急に後ろから話しかけられた。

驚いて振り返ると、そこにはバーテンダーの格好をした女性が立っていた。

「やめて、碧。知り合いの子なの。彼女は普通の子よ。」

「なによ、怖い顔して。からかっただけ。」

愛梨がぽかんとしていると、マリは申し訳ないと言った。

「ごめんなさいね、彼女は私の知り合いでこの店の店主なの。口は悪いけれど根は優しいんです。」

「お褒め頂きありがとう。まぁ、ごゆっくり。」

愛梨はとりあえず頭を下げる。

マリとは全くタイプは違うが、なかなかの美人だ。こちらも男性にモテそうである。


それにしても。


彼女は普通の子。


確かマリは先程そう言ったがどういう意味だろうか。

まぁ、その通り普通なのだけれど。

あと彼女とかどうとか…いや、茶化しているだけだろう。深く考えてはならない。これは大人の冗談というものだ。

愛梨はそう思い直したのだった。


それからしばらくすると、愛梨にジンジャーエールとマリにグラスの縁に塩のようなものがついた飲み物が出された。

それと肉の盛り合わせ。

愛梨の腹がぐぅと鳴る。

「ふふふ、どうぞ食べてください。遅いしお腹も空いたでしょう。」

そう、マリが微笑むものだから愛梨は自分の単純さが恥ずかしくなった。

「す、すみません。」


ああ、八尾さんのように綺麗で欠点などない大人になりたい。

愛梨はそんな羨望の眼差しをマリに向けた。

あまりに見入ったせいかその視線はマリに気づかれてしまった。


「どうしたの?何か私の顔についていますか?」

愛梨は慌てて取り繕うとしたが、言葉が浮かばない。

これは正直に言うべきだなと思い口を開く。それは勢いで告白した中学生の時の感情に似ていた。

「いや、八尾さんってやっぱり素敵だなぁと思って。」

「なんです?急に?」

笑いながら言うマリに愛梨は自分だけ真面目になって告白した事に顔が熱くなった。

だが、もう言ってしまったのだ。この際、日々思っていることを伝えようと再び大真面目に口を開いた。


「だって、すごくお洒落で美人だし、優しいし、言うことないですよ。きっと八尾さんみたいな方を神様に選ばれた特別な人間って言うんだと思います。」

するとマリはまた笑い出した。そしていつものように謙遜する。

…そう思っていたが、今回ばかりは違った。

愛梨の予想外のことを彼女は口にした。


「そうです、私は特別な人間なのです。」

「え?」

確かにそうは思っているものの急に肯定されるとは予想していなかった愛梨は目を見開いた。

「そう、特別。ただし、悪い方に…です。」

マリは深く椅子に腰掛け腕を組みながらゆっくりと口を開いたのであった。

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