第39話 いつも隣にいて欲しい相方

 人の良さそうなおじさんに、頭を下げられる。


「申し訳ありませんでした!」

「いいえ、こちらこそ。診察代まで払ってもらってすいません。しかもここまで送ってもらいましたし」


 謝罪されたのは、栞を轢きそうだった車の運転手だ。

 非接触の事故ではあったが、後々になって問題になるのを避けるために警察を電話を呼んだ。

 それから簡単な調書を取られ、その後、おじさんには車で病院まで送ってもらった。


 外傷は擦り傷ぐらいで済んだが、診察代はおじさんに出してもらった。

 それから元の場所まで車で送ってくれたのだ。


 飛び出したのは栞の方で、おじさんには悪いところはないのだが尽くしてくれた。

 未遂とはいえ、身内の事故現場で内心あたふたしていたので、迅速に対応してくれたおじさんのお陰で冷静さを保てた。


「もし、何かあれば連絡下さい」

「あー」


 名刺を渡される。

 そこには電話番号と名前が記載されていた。


 そうか。

 大人は名刺を持っているのか。

 こういう時は便利に使えるものなんだな。


 ただ、俺は名刺を持っていないので、スマホを取り出す。


「それじゃ、こっちも俺の電話番号を……写真でも撮ります?」

「は、はい。一応」


 あちらも予想していなかったみたいで動揺したけど、咄嗟に出て来た案がこれしかなかった。

 メールアドレスやRINEのIDを教えるのも抵抗あるしな。

 これで連絡先の交換は済んだ。


「本当に申し訳ございませんでした。会社があるのでこれで僕も失礼します」

「いえ、こちらこそすいませんでした」

「……すいませんでした」


 車が視界から消えるまえで見送ると、栞の方を向き直る。


「大丈夫か? 本当に」

「怪我無いから」

「そういうことじゃなくて、精神的にだよ」


 こんな事件が起こったのも、元々栞が精神的に追い詰められていたからだ。

 怪我がなかったのはいいが、このままでは事故を起こさなくとも衰弱していきそうだ。


「……ごめんなさい。心配かけて」

「無事で良かった」


 今にも消え入りそうな声しか出せない栞に、そんなことしか言えなかった。

 栞は、ゴクリと唾を呑み込むと、


「私、ShowTuberを辞めようと思うの」


 衝撃的な宣言をする。


 いや、予想はできたことでもあった。

 引退を覚悟するのは当然かも知れない。

 むしろ、辞めた方が今の栞の為になる。


「……栞が決めたことならそれでいいと思う。ただ、理由は聞いておきたい」

「理由は、もう、巧に迷惑かけたくないから」

「迷惑って……そんなこと言ってないから」

「言ってなくても、私は感じてる。私、ずっと巧の足を引っ張ってばかりで何もできていない。だから、家も出ようと思ってるの」

「…………」

「親に、実家に帰ってこないかって言われているの」


 親、か。

 そうなってくると、俺が口出ししてどうにかなる問題の範疇を越えてしまう。

 親も心配だろうな。

 娘が一人暮らししている時に、こんな炎上騒動になったら。


 それに、家を出るって……。

 それって、つまり同棲を辞めるってことだ。

 そうなると、もう俺達を繋ぐものは極端に減るだろう。


「……それって大学も辞めるってこと?」

「まだ決めてない。休学も考えてるけど、どうすればいいのか分からない」


 家から大学まで通えなくはないが、家から大学への往復はかなりしんどい。

 距離が短いなら最初から一人暮らししていないのだから当然だ。


 引退、実家に帰省、大学中退。


 重い物がどんどん圧し掛かって来る。

 だが、今一番疲弊しているのは栞だ。

 グッと踏み止まって、脳を回転させる。

 どうすることが一番、栞の為になるのかを考えたいし、自分がどうしたいのかもしっかり栞に伝えい。


「俺は栞には家に居て欲しいと思っている。動画に出るのが怖いなら、俺も動画辞めるよ」

「なんで……。続ければいいじゃない。ここまで来るのに苦労したんだし、やった方がいいわよ」

「一人になったら意味がないんだよ。栞と一緒じゃなきゃ動画を続けたくなんてない」


 言ってしまってから後悔する。

 こんな言い方をしたら気に病んで、栞の負担になるかも知れない。

 だけど、口が滑ったのだからしょうがない。

 事実なのだ。

 もう後戻りはできない。

 自分の思いの丈をぶつける。


「それでも続けるなら、ずっと一人で動画を上げ続けるよ。そして、待ち続ける。カザリちゃんには一緒に撮ろうって言ってくれたけど、俺は栞とじゃなきゃShowTuberは続けられないよ」

「なんで、そこまで……」


 口元が歪んでいて、栞は辛そうだった。

 今、俺は栞を苦しめているのかも知れない。

 だけど、だからこそ、ありったけの思いを込める。



「だって、俺の隣は栞じゃなきゃ駄目だから」



 栞がいなかったら、ShowTubeを始めていない。

 俺の隣に他の誰かがいて、そして動画を投稿し続けることなんて想像できない。

 動画の相方なら栞以外考えられない。


「いつだって支えてくれたよね。栞がいなかったら俺、ここまで頑張れてないよ。ShowTubeも始めてなかったし、大学生活も伽藍洞だったはずだ。だから、感謝しているし、頼りにしてる。栞、これからもずっと傍にいてくれないかな」


 俺一人じゃ、演者になろうなんて決心とてもつかなかった。

 だから、これからも相方として一緒にやっていきたい。

 なのに、


「うっ……えぐっ……。うそつぃい……」


 栞はこっちが引くぐらい泣いていた。

 そんなに変なこと言ったか?


「な、泣くなよ。しかも、なんで嘘つき!?」

「指輪外してた癖にぃい」

「そ、それは、あれ、気の迷いというか何というか……」


 指輪について結構根に持ってるな。

 これについては正直に話そう。


「あの時は正直気持ちが離れてた。だけど、離れてたからこそ、栞がどれだけ俺を助けてくれたかって思い知った。だから、もう一度指輪をつけたんだ。ほら」


 ちゃんと指輪を付けている手を見せる。


 喧嘩しないカップルなんてこの世にはない。

 別れてしまうカップルだってここにいる。

 そして、元の鞘に戻るカップルもいる。

 ただの一般論だけどな。


「迷うことだってあるけど、その時は隣に立って助けて欲しい。助けられた分、何度だって命を懸けて栞を助けるよ」

「……ありがとう。でも二度と無茶しないでよ。こんなタイミングで二人して交通事故に遭ったら、それこそネットニュースに自殺だって載るわよ」

「自殺って、太宰じゃないんだから」

「二人して入水自殺したら、太宰ね」


 お互いに笑う。


 そういえば。

 久しぶりに栞が笑っている姿見たな。


 不謹慎ではあるけど、こんな会話、栞としかできない。

 それに、太宰治といえば、大学の図書館を思い出す。


「なんだか、最初に会った時のこと思い出したわ」

「俺も」


 自然と歩きだした。

 二人の帰る場所は、いつもの場所だ。


「お腹減っちゃったな。何か作って」


 ご飯か。

 作るのはそんなに嫌じゃないから、何でも作ろう。

 最近栞がご飯を食べていなかったので、食材は冷蔵庫の中に揃っている。


「何がいい?」

「うーん。まだ食欲あんまりないから、お粥」

「徐々に食べられるようになろうか」

「うん、徐々に」


 食事も動画も、色んな事もゆっくり自分のペースでやっていこう。


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