第38話 記憶が走馬灯のように駆け巡る(火野栞視点)

 ここ二週間ほど眠れていない。

 眠れたとしても、気絶していつの間にか寝ていた時ぐらいだ。

 一日の睡眠時間は三時間未満だ。

 だから、歩いているだけでもフラフラする。


「あれ? もしかしてあの人――じゃね?」


 通行人の人がボソッと呟いてビクつく。

 振り返ると、その通行の人はあらぬ方向を見ている。

 私のことについて話した訳じゃなかったようだ。


 ホッとして歩き続ける。

 巧は気にしなくていいと言ったけど、やっぱり動画の罵詈雑言は気になった。

 すれ違う人みんなが自分のことを知っていて、批判しているような気がした。


「私、病んでるわね」


 精神科の病院にでも行った方がいいと自嘲する。

 久羽先輩から何度か心配のRINEが届いているけど、既読スルーしてしまっている。

 エゴサーチはしている癖に、勝手なものだ。


 水上さんは言わずもがなだが、久羽先輩や巧はもう吹っ切れているようだった。

 未だに落ち込んでいるのは私だけらしい。


 私のことについて検索したら、こいつのせいで巧と別れて炎上そうになったとか、早く死んで巧を自由にしてやれとか過激なコメントが書かれていたけど、本当にその通りみたいだ。


 メンタルが弱い人間は、動画配信者になんてなっちゃ駄目だったんだ。

 ただ眩い芸能界みたいな世界に憧れて配信者になって、影の部分に目を向けていなかった。


「ああ、キツい……」



 一番心にグサッときたのは、親の言葉だったのかも知れない。


 ――あんた、何してるの!? 犯罪者みたいに扱われてるけど!? 地元に帰ってきたら? 大体その付き合っていた彼氏はどういう子なの? まともな子なの? だから私はあれだけ反対したの? いつだって私の言う事は正しかったでしょ? まだ社会人になっていないのに二人暮らしなんて、しかも動画配信? 何よ、それ? そんな訳の分からない仕事未満のお遊び、いつまでも続けられる訳ないでしょ? 本当に楽よね、最近の世の中って。私の時代はね、そんな自由なんてなかった。お母さんにそんなの許されるってね、とっても幸せなことなのよ。あなたは幸せなのよ、私と違って。それにね、働くってね、そんな簡単なものじゃないのよ。世の中にはね、あなたが知らないような悪い人ばかりなの。大学辞めていいんだから、さっさと家に帰ってきなさい。仕事は父さんの会社で雇ってもらえないか訊いてみるから、安心なさい。中退しようが、私が面倒見て上げるから。


 そんな、専業主婦でまともに社会に出たことがないような母親からのありがたいお言葉の残響は、いつまでも鼓膜にこびりついていた。


 母親はネットもまともに扱えないぐらい疎くて、未だに新聞やテレビが全ての人間だ。

 私だって、動画投稿者を全肯定する訳ではない。

 まだまだ発展途上であり、ほんの一部の人間しか甘い蜜を吸えないような業界だ。


 ただ、世間からは認められつつある職業であることを、母親は決して認めない。

 広告収入で利益を得るということ自体がいまいち理解できないらしい。

 テレビにCMが入ったり、新聞に公告が入っているのと同じなのだが、柔軟な発想ができず、得体の知れないことを娘がしていると思い込んでいる。


 どれだけ世間の風当たりが強くとも、親が一言大丈夫だと言ってくれるだけで子どもが勇気づけられるのか知らないらしい。


 太陽を見るといつもよりも日光が強くて、眼が痛い。

 久しぶりに外に出たからだろう。

 眼を開けるのでさえも億劫だった。

 横断歩道を歩くと、車のエンジン音がいつもよりも大きく聞こえてきた。

 一時停止線手前までいっても車はブレーキを踏む様子はなくて、車道側の信号を見たら青だった。


「あ」


 何も意識せずに、赤信号で横断歩道を渡っていたことを知る。


 ああ、私、死ぬのかな。


 走行する車から逃れようとするが、もう間に合わない。

 のけぞる身体の動きよりも、頭の回転の方が早く考える時間が長い。

 車や周りの動きがゆっくりになる。

 走馬灯ってこんな感じなのだろうか。


 家族や友達との思い出が断片的に蘇る。

 そして、巧との思い出も。

 初めて出会った時に手が触れあった時、美術館でデートした時にチケットを忘れた時、動画を撮影し終わってからマイクが入ってなかったのを落胆した時、ファミレスで大学のレポートを二人で徹夜した時、そんなキラキラしている過去が全部消えて、前照灯を全身に浴びたように全てが白に塗り替わって、そして――


 すんでの所で、後ろに腕を引かれる。

 車は急ブレーキするが、あのままだったら轢かれていた。

 靴の先がかすったような気がして、ブレーキ跡からはゴムが焦げたような臭いがする。


「良かった」


 その安堵したした言葉で、自然と涙が零れた。

 全身を振るわせながら、抱きかかえてきた人を視認する。


「巧」


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