第3話 不運な難聴男

 全く昨日は災難だったな。あの後はメンテナンス時間が長引いてくれたお陰で、辛うじてイベントには間に合った。

 ただその分、すっかり時間を忘れて夜中までゲームをやり込んでしまった。睡眠不足で足取りがどうもおぼつかない。


「ふわあ……眠いなあ」


 昼休みが終わるまではまだ時間がある。まだいっそのこと午後の授業はバックレて、屋上で昼寝でもしていようか。


 ぼんやりと考えながら廊下を進んでいると、曲がり角から不意に現れた女子と接触事故を起こしてしまった。


「きゃっ」

「どわー!」


 ぶつかった相手はその声ですぐに分かった。幼馴染の鹿波だった。

 だが問題はなのはそれより俺の両手が今、大きく柔らかい彼女の胸を掴んでしまっているということだった。

 驚いて咄嗟に身構えてしまったため、最悪の状況を生み出してしまった。


「か、鹿波。これはちがっ……」


「和紀の変態ッ」


「でかるとっ!」


 鹿波の強烈な平手打ちが右頬まで飛んできた。鞭のようにしなった打撃で俺は後方へ大きく吹っ飛ばされる。鹿波は足早にその場から立ち去った。


「いてて、ビンタまではしなくて良いだろ」


 紅葉型に赤くなった頬がじんじんと痛んで来る。とんだハプニングだよもう。でもがっつり掴んじゃったし今度謝ろ。そしてこの記憶は消去だ消去。


 触れてしまった禁忌を忘れようと試みて立ち上がろうとした次の瞬間だった。金髪ギャルのレイナが曲がり角からいきなり現れたのは。


「なあ霜崎、英語のノートなんだけど……」


「あっ、ちょ」


「へ?」


 連続して二回目の接触事故が発生する。顔に向かってゴツンと痛々しい衝撃が加わった。


 次から次へと何なんだよ。ここは魔の曲がり角だな。次からここを通るのは控えよう。

 それよりなんだ? 視界が今いきなり奪われたぞ。そしてなんだこの、顔面に覆いかぶさっている生温かい布は。ま、まさか嘘だろ⁉


「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 彼女の絶叫と同時に俺の腹へ重い膝蹴りがぶち込まれた。見事鳩尾に入り、その場で蹲った。


「ほっぶす!」


 崩れ落ちた途端、真っ暗だった視界が一気に解放される。そして目に飛び込んで来たものは、可愛らしい赤のリボンが付いた白いパンティだった。


「このドスケベ! 次やったら岸川先生に言いつけるからね」


「ふ、不可抗力だぁ」


 赤面したレイナは足音を立てながら小走りでトイレへと向かう。これは事故とはいえ、流石に悪い事をしたな。とほほ。


 もうこれ以上災難に見舞われたくない。俺はこの呪われた場所から離れ、屋上への階段を上り始めた。


 溜息をつきながら階段を上っていたら、踊り場の方から唐突に声を掛けられる。


「霜崎君、こんなところでどうしたの?」


「増木さん……?」


 屋上への扉へ背もたれていたのは増木詩乃さん。うちの学校のマドンナ的存在な絶世の美女。顔面偏差値は全国でもトップレベルの軌跡のような人だ。魅了してきた男は数知れず、数百人規模のファンクラブまで存在するという。


 そんな美女に遭遇してしまったからには、これから屋上でサボるなんて言えるわけがない。


「少し屋上で外の空気吸おうかなって思って。勿論、授業が始まる前には戻りますよ?」


「そっか。それより顔も腫れてるけど、大丈夫? 一緒に保健室行こうか?」


 こんな陰キャの俺にさえ優しいところが彼女が人気の理由だ。まさに聖母と言うにふさわしい人物だなとしみじみ思う。


「これくらい大丈夫ですよ……」


「あっ」

「うお⁉」


 滅多に掃除されない屋上前の踊り場ワックスがかけられていないのか、俺の足が滑って前のめりに倒れる。今回は本日三度目の転倒なだけあって頭は冷静だ。増木さんが壁にぶつからないように頭と腰に手を回す程度の余裕は残っていた。

 間一髪のところで彼女が倒れる際の衝撃は殺せた。


「増木さん、怪我はないでs……ひゅっ」


 倒れてから数秒後、俺はようやく自身の状況を悟った。俺はまるで増木さんを押し倒したような体勢になっていたことを。

 吐息がかかる程の距離に彼女の顔があって、体の至る所が硬直した。


「ごっ、ごめんなさ……」


「ううん、良いよ」


 こんなことになってしまっても尚、増木さんは嫌悪の表情は見せなかった。なんて心の広い女性なんだろう。


「霜崎君。嬉しいんだけど、できたらもう少し見えないところで……」


「え、ごめん今なんて?」


 耳鳴りのせいで増木さんの言葉が全く聞こえなかった。一体何をいったのだろう?


「つまり、その……」


 俺の質問に対する回答は、次の瞬間階段の下から聞こえてきた鹿波の声によって遮られた。


「ちょっ、和紀そこで何やってんの⁉」


「ち、違うんだ! これはそういうのじゃない」


 振り返って後ろを見ると、鹿波だけじゃなかった。レイナや萌巳、若菜や怜など何人もの女子と岸川先生まで来ているじゃないか。


「てめー何しようとしてんだ」

「霜崎君、また不純異性交遊ね!」

「ダメダメー、かずっちの初めてはアタシのものっス~」

「霜崎さん、夜伽の相手はわたくしにー」

「お前ウチとの約束は破らせねぇぞ!」


 彼女達は俺の姿を見るや走って一斉に飛び込んで来た。

 ここの床はただでさえ滑りやすいのに、階段近くのこんな所で転んだら大惨事になる。そう思って咄嗟に屋上への扉を開いて増木さんを退避させる。


「おっ、お前ら一気にそんな来たら危な」


 言いかけたその時、案の定彼女達は足を滑らせたままこっちに向かって来た。俺達は屋上へ流れ込むように転倒して、もみくちゃになる。


「るそぉ」


 俺は転んだ彼女達の下敷きになり、半生き埋め状態になった。俺は頭から足先にかけてまで全ての肌が女子の体に接触している。しかも色々と当たってはいけないものも含めてだ。


 なんて不運な日なんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!


 ※※※


 霜崎君が入院してから2日が経過した。しかし彼の身元はまだ判明していなかった。警察から送られてきた書類に目を通し、私は深く溜息をついて椅子へ腰かける。


「近隣の学校で調査しても該当者なし、か」


 霜崎君の身元調査は予想以上に難航しているようだった。警察によれば、霜崎君は付近の高校に所属しておらず生徒達に聞き込みをしても見覚えはないと答えたらしい。

 状況から考えて予想より長い距離を彼は移動したと見られる。


「困ったな。それにもしも彼が成人していたら、更に困難になるだろうな」


 彼が一人暮らしの大学生や実家から家出をしてここまで来ていたとすれば、ご家族との連絡さえ取れないかもしれない。そもそも年齢も彼が高校生と自称しているに過ぎないため、実際のところ顔の雰囲気からでも高校生か大学生か見分けは難しい。


「祈るしかない、という訳か」


 一刻も早くご家族とコンタクトを取れる事を願おう。まだ身元が分かっていないとはいえ、私のやるべきことは変わらない。私は医者としての責務を全うするだけだ。


「茅本先生、大変です!」


「加藤さん、どうしました?」


「霜崎さんが、大変なことに」


「なんだと? すぐに向かう」


 新米看護師の加藤さんに連れられて霜崎君の病室へ向かうと、想像を絶する光景に思わず絶句した。


「霜崎さんがベット下でぬいぐるみに生き埋めに!」


「何がどうしてこうなった⁉」


 病室のベット下には大量のぬいぐるみが詰め込まれており、霜崎君はそこに自らの上半身を突っ込んで挟まっていた。体はシャチホコのように反ってとんでもない恰好になっている。


「これってエントランスに置いてあるぬいぐるみじゃん」


「すいません、私が目を離してしまったせいで」


「彼抜け出してたの⁉」


 ちょっとこの病院の管理体制が不安になってきた。大丈夫か色々と。

 いや今はそれどころじゃない。


「霜崎君、大丈夫かい⁉」


 彼の体を軽く触って即座に安否と意識の確認を行う。するとぬいぐるみの中からくぐもった声が聞こえてきた。


「みんなぁ……当たってる……」


「ダメだ、幻覚のせいで多分本人も状況分かってない!」


 あまりに特殊な状況となって何処から対処しようかと一瞬迷いが生じた。

 ひとまず彼をベット下から出さなくてはいけない。この体勢がとにかくまずい。全体重が頸部にかかって、最悪の場合折れて死んでしまう。


「あかん首の方向ヤバい事になりそう! とりあえず救助救助!」


 急いで看護師達を呼んでぬいぐるみの除去と霜崎君の救出作業へ取り掛かった。


「だめです先生、霜崎さんが何故かめちゃくちゃ力入れてて体を動かせませんっ!」


「誰か筋弛緩剤打ってあげてぇー!!」


 十分後、救助完了。霜崎君は無事生還。

 病院で前代未聞の死亡事故が起きるところだった。マジ焦ったぁ……

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