第2話 続々と登場するヒロイン

 岸川先生に説教をされていたら、下校時間より大幅に遅くなってしまった。あの先生は何故か俺にだけやたらと厳しいんだ。他の男子達にはあまり注意しないのに。

 これって嫌われているのだろうか?


「やれやれ、今日は早く帰らなきゃいけないってのに」


 なんて言ったって今日はソシャゲのイベント開始日だ。ソシャゲに情熱を注ぐゲーマーとして、一日目に周回しない選択肢はない。

 親友の元へ帰るときのメロスのように、俺は夕暮れに向かって走り出す。


「お前は引っ込んでろよ! アイツは私と帰るんだ」


「いいえ、あの御方はわたくしと一緒に帰るんですの」


 突如、俺の鼓膜に届いてきたのは女子二人の怒号だった。普通じゃない女子達の口論にビビって電柱の影へ退避した。

 覗いてみると、口論になっていたのは俺の同級生達だった。


 ドスの効いた声をあげているのは明日川怜。ここ一体を縄張りとするヤクザの娘で、歴史の授業で俺の席の隣にいる。性格は気が強いが、黒髪ロングの超絶美少女だ。

 一方でお嬢様口調で捲くし立てるのは愛染若菜。大企業アイゾメホールディングスの社長令嬢。巻かれたサイドテールが印象的で、俺と同じく美化委員会に所属しているおっとりとした子だ。


 そんな彼女らがどうしてこんな喧嘩をしているんだ。


「大体お前に構ってる暇なんてないんだよ。こうしてる間に霜崎が来るの見逃したらどうするつもりだよ」


「ありえませんわ。霜崎さんがわたくしの半径五メートル以内にいらっしゃったら見えずとも匂いとオーラで分かりますわ」


「お前って、気持ち悪いヤツだな」


「一番に学校を出て待ち伏せしていた貴女に言われたくありませんわ」


 なんかあの二人、俺の事を探している⁉ よく分からないけど、絡まれたらまずいのは確かだ。仕方ない、ここは迂回して別の道から帰るか。


 少々手間だが、裏路地を通りながらグルっと回って家を目指す。急がば回れというやつだな。

 だが回った先でも俺は知り合いにエンカウントする羽目になった。


「あっ、お兄たん!」


 小3の女児が道端で体育座りをしていたのだ。女児は俺の顔を見るとぱあっと表情が明るく変わった。

 この子はサナ。近所に住む女の子で、この子の母親とうちの母さんが仲が良くたまに遊んであげている関係だ。


「サナ、もう結構遅い時間なのに。どうしてこんなとこに」


 サナに尋ねながら目線を下すと、彼女の白く細い足から血がダラダラと流れている様を目にした。


「足、転んで怪我しちゃったの」


「血だらけじゃんか! ちょっと待ってて」


 俺はバックの中に常備していた消毒セットでサナの患部の汚れを軽く落とし、大きめの絆創膏で応急処置を施した。

 サナは俺が手当てしている間、泣いたり痛そうな声を上げることはなかった。少し成長したのかと父性のような感情から涙腺が緩みかける。


「痛そうだなこれ。よくサナ泣かなかったな」


「痛くてもサナもう泣かないもん。でも歩くのは……」


「良いよ、兄ちゃんが家までおぶって連れてくから」


「えへへやったあ」


 流石に怪我した女子小学生を放っておけるほど非情にはなれない。背中にサナを乗せ、予想以上の遠回りをすることとなった。まあこれに関しては仕方ないだろう。

 おんぶされているサナは嬉しそうに鼻歌を歌って揺れていた。貧弱な男子高校生の俺の腰には中々堪えたが、我慢するしかあるまい。


 そうしてしばらく歩いた頃、曲がり角からまたもや見知った女性と対面する。


「あらあら、和紀ちゃんとサナちゃんじゃない」


「絵里さん!」


 この絵里さんは俺の男友達のお母さんだ。近所でも評判の美人さんで、見た目の若々しさは二十代と言っても通用するレベル。小さかった時はずっと友達のお姉さんだと勘違いしていたぐらいさ。


「二人ともどうしたの?」


「実はかくかくしかじかで」


 事情を伝えると、絵里さんはにっこり笑って俺にある提案をしてきた。


「そういうことなのね。それじゃあおばさんが連れてってあげるわ。ちょうどサナちゃんのママに回覧板渡さなきゃだから」


「そうなんですか、じゃあお言葉に甘えさせて頂きます。それと絵里さんはおばさんじゃなくてまだまだお姉さんですよ」


「お姉さんだなんて、和紀君は女性の扱いが上手いんだから。でも私達の仲なんだから遠慮しないで」


 上品に笑うと絵里さんはサナの手を繋いで家の方まで歩き始めた。今度お菓子を作って我が家に持ってきてくれると聞き、今から期待を膨らませる。絵里さんのスイーツはいつも絶品なのだ。


「お兄たんじゃあね~」


 サナは繋いでいない方の手を俺に振って別れを告げた。

 別に良いのだが、お前普通に歩けるんじゃねぇか。という言葉は飲み込んだ。


「大幅なタイムロスだな。早くしないと」


 そう思った瞬間、スマホがブルっとバイブレーションで一瞬震えた。こんな時にメールを送って来るのは誰だ。


「朱里からメール?」


 妹の朱里から短いメッセージが届いていた。


『バカ兄貴へ、帰るときにいつものカフェで苺ケーキ買ってきて』


 やはりパシリだった。最近は思春期のせいもあって、妹は俺のことを召使いのように扱っている。全く、兄貴をこんな風に使うとはけしからん。


「なんだよもう、こんな時に! まあいい、帰り道の途中だしな。帰ったら覚悟してろ、妹ぉ」


 全方位に車や人の気配がないことを確認し、全力疾走で件のカフェまで向かった。タイムリミットが30分を切り始め、いよいよ余裕がなくなって来る。


 か弱い我が心肺に時間外労働を強要し、飛び込むように俺は例のカフェへ入店した。


「よおカズ、いらっしゃい。珍しく勉強でもしに来たかい?」


 エプロン姿で俺に声をかけたのはここの看板定員、女子大生の二奈さんだ。

 俺はこの二奈さんが正直苦手だ。いつも糸目で笑っているように俺を眺め、来るたびにからかってくるのだ。別に嫌っていうほどではないが、毎度二奈さんは年上を理由にした冗談で俺を弄んでくる。

 色っぽいところがあって俺も不覚ながらたまに惑わされてしまうまさに魔性の女。


「二奈さん……俺が勉強嫌いなの知ってるだろ?」


「ハハハ、君のことだからどうせゲームとかそんな理由だろ。それで、ご注文は?」


「いつもの苺ショートを二つ」


「朱里ちゃんにおつかい頼まれてたんだね~。承りましたっ」


 ご機嫌な様子で二奈さんは注文したケーキを箱に詰め、保冷材も足してくれた。カウンターまで行き、財布からちょうどの金額を皿の上に置く。


「ほい、釣りなしありがとね。お預かりしまーす」


「ありがとう、また買いに来るよ!」


「次来た時は大人のキスでもサービスしとくよ~」


 不意打ちで赤く染まった頬を見られまいと、背中を向けそそくさと店を後にした。店から出る時二奈さんはケタケタと笑っていた。


「ああ、イベント更新時間が近い! 急いで帰らないと。頼む、これ以上邪魔は入らないでくれ……」


 疾風の如く俺は住宅街を駆け抜けた。


 ※※※


 夕日も沈んだ頃、本日の問診時間は終了した。あとはいくつかの書類をまとめさえすれば業務はひと段落だ。


「茅本先生、本日の報告書です」


「ああ、ありがとう鈴木さん」


 婦長は看護師達の書類をファイルしてこちらに手渡した。内容を見たところ、今日は患者さん達に目立った変化は起きていないようだった。


「ところで先生、霜崎さんの身元は判明しましたか?」


「いいや、まだ分かっていない。状況が状況だから、今警察に協力してもらっているところだ」


 霜崎君は元々道端に倒れていたことが原因で搬送されてきた患者だ。発見当時の彼の衣服はスウェットで財布やスマホさえ不携帯だったという。靴の汚れ具合から長距離を移動していたと見られ、身元がまだ分かっていない。

 だが彼の年齢からして今頃きっと親御さんが探している筈だ。名前が判明している以上、捜査に時間はさほどかからないだろう。


「彼自身の状態はどうだったかな?」


「依然、幻覚症状は続いています。確認出来た限り問題行動は一切されていませんが、終始霜崎さんの目の焦点はどこか遠くにあります。まるで意識だけが別の世界にあるみたいに」


「そうか」


「ですが食事やトイレの指示は素直に聞いて頂けますし、情緒は安定しているのでそこは安心です」


 診察の時はどうなることかと思ったが、少しでもこちらの声が届いているようで良かった。回復の見込みもまだ十分見込める範囲だ。


「ただ見ていると、霜月さんの口からは色んな女性の名前が出てきましたね」


「それはどれくらいの人数だい?」


「私が確認できただけでも、二十名は下らないかと」


「めっちゃ多いじゃん!? 特定の数人とかのレベルじゃないんだ」


 彼の発言からするに、それはクラスの女子達なのだろうか? やはり女性恐怖症やいじめの経験からのPTSDの線も疑うべきか……


「それも反応を見ていると、その一人一人に設定があるようで」


「ほう、例えば?」


「幼馴染、ギャル、女性教員、美少女転校生、ヤクザの娘、金持ちの令嬢、小学生、友達の母、妹、カフェ店員、幼馴染の親友、学校のマドンナ、エトセトラエトセトラ」


「多い多い多い多い」


 想像の5倍以上多いわ。しかもJK以外にも小学生から友達の母親って、守備範囲があまりにも広すぎるだろう。それに属性多いわ。


「その霜崎さんの尋常でない様子に新人の若い子達は怖がってしまっているようで、怯えながら対応している状態です。注意はしているのですが」


「まあうちは病院自体、設備の観点であまりに過激な入院患者さんや暴力的な方の受け入れはほとんどしていないからね。相対的に霜崎君を恐れてしまうのも無理はないよ」


 だが私は恐れも逃げもしない。なぜなら私が医師になったのは人を助けられる人間になりたかったからだ。勿論安定した給料も魅力の一つだったが、今でも根底にはその信念がある。


 デスクに置いてあった私の学生時代の写真がふと目に入り、そんな初々しい気持ちを不意に思い出していた。


「大丈夫だ。私は困っている患者を見捨てるような真似はしないからね」

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