第23話 そ、それは…優奈さんのブラジャーとパンツなんだ…

「これが、ブラジャーか」


 真っ暗な時間帯。夜道を歩きながら闇に包まれ、それを手に持っている。

 肌触りとか、程よく手に馴染んできていた。

 暗くてハッキリとは見えないものの、大きさはHカップほど。手で触るだけでも優奈を連想してしまう。


 だ、誰もいないよな……。

 琴吹は辺りをチラッと見、さらに入念深く確認するようにキョロキョロしていた。

 不審者のような立ち回り方で、他人が見たら不可解に思うだろう。


 んん、誰もいないな。

 ようやく冷静になれるというものだ。


 嗅いでもいいよね……?

 いや、そんなことをしたら、普通にただの変態じゃないか。

 それをしてしまったら、もう二度と普通には戻れないような気がする。


 優奈の体の匂いを知りたいものの、背徳を感じてしまい、手にしているブラジャーを鼻に近づけることなんてできなかった。

 でも、優奈の感じてみたいと思う。

 自宅に帰ってからだと、そんな機会は得られない。


 心が震えながらも、手に持っているそれを鼻に近づけようとした直後。

 正面の方から黄色と白の光が、薄っすらと濃くなってくるのが分かった。

 それは自転車のライトだとわかると、琴吹はブラジャーをサッとリュックにしまったのだ。


「……」


 無言のまま道を歩いていると、先ほどの自転車が通り過ぎていく。


 大丈夫なのか?

 もう行ったよね?

 背後をチラチラと確認した。


 というか、ブラジャーを持っていたのはバレてないよね……?

 憶測が飛び交い、いまだに心臓の鼓動が収まりそうもなかった。


「はああ……」


 琴吹は一度、大きな息を吐き、自身の胸に右手を当てていた。


 怖い……。

 もしブラジャーを持っているのが、見られていたらと考えると死にたくなってくる。


 けど、少しの間だけでも、優奈のブラジャーを触っていられただけでも良かったと思う。

 今後の不安が募り、今は下着を持たずに帰ろうとし、再び歩き始めるのだ。


 よくよく考えてみれば、今、リュックの中には優奈のブラジャーとパンツが入っていることになる。

 普通に考えて、ありえない状況。

 絶対にバレるわけにはいかないのだ。

 慎重な足取りで、一〇分ほど歩き、自宅近くまで到着する。


「すうう、はああ……」


 琴吹は自分の胸に手を当て、何度か深呼吸をし、鼓動を平常にさせてから敷地内に入った。

 自宅の扉を開け、玄関に足を踏み込んだ。


「た、ただいま……」


 小さく帰宅言葉を口にした。

 早く帰ると、心菜と約束を交わしたものの、現時刻は九時を少し過ぎた頃合い。


 絶対に、何か言われるだろうと思い、消極的な足取りで靴を脱ぐ。

 遠くの方から足音が聞こえた。

 心菜だと、本能的に感じる。

 俯きがちになり、妹を見なくても、そこにいるのだと。見られているのだと、察することができた。


「ねえ、お兄ちゃん?」

「……」

「今、何時かな?」


 無言のまま、琴吹は顔を上げた。


 妹は笑顔の中に鬼を隠しているように、黒く淀んだオーラを背後に放っていた。

 ヤバい……どうしよ。と思う。


「九時……七分です」


 的確に答えた。


「だよね? じゃあ、お兄ちゃんが本屋を出たのは?」

「えっと……」


 言葉に詰まった。


「私は六時くらいだったよね?」

「は、はい……」

「じゃあ、もう一度聞くけど、お兄ちゃんは?」

「……八時半……」


 琴吹は小さくしか発言できなかった。


「へえ、そうなの? じゃあ、さっきってこと?」

「うん、そうだよ」

「結構、本を探していたって感じ?」

「そうだね」

「……」


 心菜はジーっと疑うような眼差しを向けてくるのだ。


 なんだろ。

 バレてるのか?

 いや、信じてくれるよな。


 琴吹は心の中で一人会議的なことをしていた。


「ねえ、じゃあ、どんな本を買ったの?」

「何って? 普通に、本屋で言った本だよ」

「へえ、あの三冊あったの?」

「え? まあ……その」


 焦っている事で、嘘をつくのがさらに下手になる。


「なかったんでしょ?」

「……」


 なんで、そこまで勘づかれるものなのだろうか?

 怖くてしょうがない。

 焦るあまり、次の言葉を探すことができなかった。


「でも、その……予約はしたんだ。無かった本は、ね?」

「有った本もあったってこと?」

「まあ、そうだな」

「じゃあ、確認させて?」

「どこを、ですか?」

「お兄ちゃんのリュックの中」

「いや、いや。無理だって」


 琴吹は後ずさる。妹から不自然にも距離をとるのだ。


「じゃあ、買っていないってこと?」

「そうじゃないよ。買ったには買ったよ」


 一応事実であり、同時に嘘も混じっている。


「じゃあ、見せて。本当に購入したか証拠を見せて」


 心菜の覇気ある声に、目をキョロキョロさせてしまう。

 どうすればいいんだ。

 リュックの中は見せられない。どうしても無理。

 なんせ、中には優奈のブラジャーや、パンツが入っているからだ。


「いいから見せて」

「いや、それは無理」

「やましいことがなかったら、普通見せてくれるでしょッ」

「いや、それは」


 心菜とリュックの取り合いになった。

 ああ、これじゃあ、リュックが壊れるって。

 互いに引っ張り合う中、リュックの蓋が外れる。


 そして、運が悪いことにチャックを閉め忘れていた。

 自転車とすれ違う直前、チャックをする前に蓋をしてしまったからだ。


 中にある教科書、ノート、筆記用具、購入した恋愛本などが、玄関近くの床に散らばってしまう。そして、一番見られてはいけないモノまでもがヒラヒラと落ちる。


 それはブラジャーと、パンツ。


「……」

「……」


 女性用の下着を目にし、互いに硬直した。

 時間が止まったかのように、息苦しさを感じてしまう。


 心菜はその場にしゃがみ込んで、女性用の下着を手にする。


「……お兄ちゃん? これは何?」

「えっと……だな」

「本屋にいたんだよね?」

「え、ああ、そうだよ」

「じゃあ、なんで、下着がリュックの中に入ってたの?」

「それはさ。なんというか」

「んんッ」


 心菜の頬が赤く染まっていくのが分かった。

 恥ずかしいとか、そういう感情を含んだ、怒りのような顔。

 怒られそうな勢いに、琴吹は俯いてしまう。


「お兄ちゃんの最低ッ、変態、バカッ」


 妹の心の底からの叫び声が、全力で響き渡る。


「ごめん、それは優奈さんのモノなんだ」

「優奈さん? あのおっぱいの大きな?」

「は、はい」

「……」


 心菜は、パンツと大きなサイズのブラジャーを交互に見つめている。

 何を言われるか、考えるだけでも怖かった。


「……でも、なんか、ごめんね」


 心菜の口から出た予想外の言葉。琴吹は顔を上げ、妹を見る。心菜の声は低く、申し訳なさそうな瞳で、琴吹を見つめているのだ。

 一体、どうしたんだ?


「別に謝らなくても」

「んん、今回は私が悪いの」

「何が?」

「だって、お兄ちゃん。女の子のブラジャーとか、パンツが欲しかったんだよね」


 え?

 なんだ、このシチュエーション⁉


 琴吹は困惑していた。

 そういう感じではない。

 またまた、下着が手に入ったわけであって、積極的に貰ったわけではなかった。ブラジャーの方は、等価交換的な感じだったが。


「そういうところに気づかなくてごめんね、お兄ちゃん」

「いや、気にしなくても、いいよ。そういうのはさ」

「だからね、私のブラジャーと、パンツをあげるね♡」

「……え⁉ いや、いいよ。そこまでしなくて。本当に」


 どうすりゃいんだよ、これって。


「だって、ブラジャーとかパンツが好きだから、あの先輩から貰ったんでしょ?」

「え、まああ、そう、かな……?」


 貰ったというか、優奈の弟経由で盗んだというのが正しいかもしれない。

 事実であっても、そんな事、口にはできなかった。

 濁す感じに返答する。


「今から脱ぐね」

「え⁉ だから、やめてくれッ」


 琴吹は大声で止めようとする。


「お兄ちゃんと今後結婚するかもしれないでしょ」

「いや、まだ、気が早いって。というか、まだ、正式に付き合ってないだろ」


 緊迫した環境下で、琴吹はツッコみを入れてしまう。


 妹は迷うことなく制服の上下を脱ぎ、下着姿になった。

 このままでは玄関前で全裸になってしまう勢いだ。


「ダメだ。ちょっと落ち着いてくれ」


 琴吹はか弱い、妹の腕を軽く掴んで抑制させようとした。


「……お兄ちゃんがエッチなのがいけないんだよ」

「え?」

「私、恥ずかしいよ」

「だったら」

「でもね。お兄ちゃんが私のことを好きになってくれるなら。なんでもするよ」


 そんな妹の言葉に、気恥ずかしさを感じ、琴吹は何も言えなくなったのだ。


 本当に、こんな関係のまま、同棲を続けてもいいのか?

 疑問を抱きつつ、その瞬間を肌で感じていた。

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