第12話 お、お兄ちゃんッ…さっきの話、聞いてないよね? ね?

 夕暮れ時からかなりの時間が経過したと思う。琴吹は制服のポケットから取り出したスマホを手に画面を確認する。辺りは暗いものの、スマホの光で普通にわかる、今は夜の八時半。


 普段よりも遅れて岐路についたことで、多少、新鮮味のある光景が広がっていた。

 妹の心菜も自宅にいるだろうし、面倒なことにならないように、早めに到着した方がいいだろう。


 琴吹は少しだけ、早歩きになった。スマホには妹からのメールは来てはいない。

 だからこそ、不安になるのだ。


 いつもなら……いや、互いに高校生になってからは、メールのやり取りなんてしなくなったな。

 と、思いつつ、そんなことをしていたのは、二、三年前の記憶だと、納得した。


 やはり、時が立つのは早いと思う。

 数年前のことでさえ、身近に感じてしまうなんて、大分、歳をとったのだと考えさせられる。


「はあ、はあ……」


 気が付けば走って、自宅の玄関前に到着していた。息を切らしながら、自宅の扉の取っ手に手を付ける。

 あれ? そういえば、心菜って、夕食食べたのか?

 一瞬、妹のことが気になってしまう。


 琴吹は、神楽家で優奈が作ってくれた料理をご馳走してもらっていたのだ。

 普通にお腹は膨れていた。


 コンビニで何かを買ってきた方がいいと思うが、妹のことだ。

 一人で料理をして、勝手に食べているだろう。

 そんな結論に至ったのだ。


 それはそうと、神楽家での夕食を振り返る。彼女のパンツを見てしまったことで、終始無言の気まずい空気感の中であった。

 優奈のパンツは見た目によらず、大人びた感じの黒とピンク色で構成され、今振り返ると、体の内面から火照てくる。


 な、なに考えてるんだ俺は……。

 変な気分に陥ってしまう。


 間近で見、触り、匂いを感じてしまったことで、明日、優奈と出会うのが気まずい。

 彼女の家を後にする時だって、ほぼ無言であり、会釈する程度で、岐路についていたくらいだ。


 どうしよ……。

 んんッ、

 いや、今はそんなことを考えないんだ。


 琴吹はスマホを制服のポケットに一旦、戻す。

 あれ?

 手に布のような感触が伝わってくる。


 なんか、嫌な予感しかしない。

 この触り心地、まさかと思う。

 スマホから手を離すと、布のようなモノを掴み、ポケットから引っ張り出す。


「……」


 何から何まで終わった気分になった。


「これって……優奈さんのパンツ……だよな」


 どう考えても、黒とピンク色のそれであった。

 今更、パンツだけをもって返す勇気もない。

 けど、いつまでも所有することも良心が痛み、苦しくなるのだ。

 この場合、どうすればいいのだろうか?


 自宅に入り、妹の心菜に、こんな現状を見られてしまったら、さらに距離感が広がりそうで怖い。

 というか、いつまでも、女の子用のパンツを手にしてたら、変質者として間違われてもおかしくないだろう。


 運がいいことに今は夜であり、気が付けば辺りは真っ暗である。誰にも見られずに、事を乗り越えられそうだと思った。

 琴吹は背負ってたリュックの中にサッとしまい、何事もなかったように、自宅に入る。


「ただいま……」


 心菜との関係は芳しくない。

 小さく呟くように言い、靴を脱いで家に上がった。


 刹那、誰かの声が聞こえる。

 よくよく耳を澄ましてみると、心菜の声だけであった。


 他には誰もいないのか?

 話しているということは誰かと会話しているのかと思ったが、そうではないようだ。

 だとしたら、スマホとかで、友人と電話しているのかと考える。


 まあ、妹に友人がいてよかったと思う反面。琴吹自身には、友人らしき人は少なく、自分に対する絶望感の方が増した感じだった。


「お兄ちゃん……これ……でも――それは――……」


 リビングの方に近づき、耳を扉に当てるように、妹の声を聴く姿勢をみせた。


 一体、何について話してるんだ?

 そう思いつつ、耳を澄ましていると。


「お兄ちゃん、そこはダメだよ。んん……もう、また、小さいって言って――……」


 小さい? そこはダメって、どういうことだ?

 意味不明である。


 そもそも、なぜ、お兄ちゃんという言葉が、今使われているのだろうか?

 疑問しかなく、色々な意味合いで不安な感情が募っていく。


「私、お兄ちゃんのことが好き、大好き。結婚したいくらいには好きッ」


 え?

 んん、さっきのは?

 聞き間違いなのか⁉


 動揺を隠せなくなり、心臓の鼓動が早くなっていく。

 まさか、ああ、聴き間違いだよな。

 そうだよな、と自分の心に暗示をかけていた。

 どう考えても、あの妹が兄である琴吹を好きになるとは思えない。


 そもそも、兄妹という関係性であり、なおかつ妹は、兄のことを普段から見下し、バカにしているのだ。


 聞き間違いさ。そうだよ、聴き間違いなんだ。

 ホッと胸を撫でおろそうとするが、心臓の鼓動がより早くなっていくのが、自分でもわかった。

 いや、何考えてるんだ、俺は。

 動揺しているのか?

 ただの利き間違いなんだ。

 そう思い込むものの、胸の熱さを誤魔化すことなんてできなかった。


 心菜の口から出た兄に対する想いは本当の言葉のように聴こえ、妹のことを考えると、複雑な心境になる。


「んん、今日はこれで終わり。私もそろそろ、お風呂に入らないと。お兄ちゃんと一緒にお風呂に入りたいなッ。でも、今日は遅いし。んッ、もう、何考えてるのよ、お兄ちゃんの、バカ……」


 心菜は優しい口調でディスりを入れ、扉の方に近づいてくる足音が聞こえる。


 ヤバいッ……。

 と、思った時にはすでに遅かった。

 強引に扉が開かれ、琴吹は離れるように、扉から距離を取ろうとする。


 しかし、態勢を崩してしまい、尻餅をついてしまった。


「イテテ……」


 琴吹がぶつけたところを摩りながら、立ち上がろうとすると、悍ましいオーラが解き放たれているのを感じた。


 そのオーラは正面からである。


「お、お、お兄ちゃん⁉ ど、どうしてここにいるの⁉ 帰ってないって」

「いや、ごめん。さっき、帰ってきたばかりでさ、あはは……」


 その場を和ませるように、愛想笑いような、苦笑いをしてみせた。


「んん……」


 今向き合っている妹からは殺気を感じた。


「もうッ、なんで帰ってくるのよッ、さっきのことは聞いてないよね。ね、聞いてないよねッ」


 心菜は何度も問いかけてくる。妹の瞳は雫のようなもので滲んでいた。


「……」


 なんて話せばいいんだ。

 素直に言った方がいいのか?

 妹と目線を合わせることなんてできず、対応に困ってしまう。


 ただ、無言で頷く程度。


 その時、何かが変わったのを、琴吹は視線を合わせずとも、察することができたのだった。

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