第9話 そのぬいぐるみより…優奈さんの方が可愛いよって、言えたらいいんだけどな…

「琴吹君? これって良くない?」


 街中の、とあるお店のショーウィンドウに展示されている、大きなクマのぬいぐるみを指さし、優奈は愛らしい瞳を見せていた。


 彼女はそういうぬいぐるみが好きなのだろうか?

 買ってあげてもいいのだが、琴吹の財布の中には購入できるほどの額はなかった。


 税込み、五千円か。

 高いな。

 まあ、クマのぬいぐるみは一メートルのほどの大きさがあり、妥当な値段価格だろう。

 今すぐにお金は用意できないが、いずれ購入してあげようと思った。


「琴吹君、ここのお店に入ってみようよ」


 優奈は明るい笑顔を見せ、誘惑してくる。

 わざとそう言った顔をしているわけではないと思う。

 たまたま、琴吹が好意を抱いているから、そのように感じ取ってしまうだけかもしれない。


「ねッ、早く」

「えっ」


 優奈は意外にも積極的だ。

 学園にいるときは比較的おとなしい感じなのに、知っている人が少ないからこそ、グイグイ来るのだろうか?


 店内に入ると、そこには多くのぬいぐるみが丁寧に展示されていた。

 人間ではないのに、子供扱うように優しく手入れされているようで、好感が持てるお店だ。

 辺りを見渡してみると、そこには少人数だが、お客の姿が視界に入る。大半が学校帰りの女子小学生や、付き合いたての中学生カップルの姿もあった。


 琴吹の中学時代と言ったら、数人の友人と関わっているだけで、恋人すらもできなかったのだ。

 早い段階で好きな子と付き合っている事に、嫉妬してしまう琴吹がいた。

 年下相手に感情をむき出しにするのは大人げない。


 今では、まだ恋人とは言えないが、親しく会話できる女の子の友人がいるのだ。

 むしろ、ある程度、幸せを満たせている分、他人のことを貶めるような感情は控えた方がいいだろう。


 琴吹は隣を見る。が、そこには彼女の姿はなかった。

 どこに行ったのか、辺りを見渡していると。


「琴吹君、こっち着て」


 遠くのぬいぐるみエリアで、笑顔を見せながら呼びかけてくる優奈の姿があった。

 もう、そこにいるのかと思いつつ、近づいていく。


「琴吹君、これ可愛くない♡」


 優奈は手の平に収まるほど小さな猫のぬいぐるみを見せてくる。

 か、可愛いって……。その、優奈さんの方が可愛いよ。

 と、内心思うが、恥ずかしくて素直に口にできなかった。


 そういうところができれば、グッと距離が縮みやすいと、恋協部の指導員である詩乃が言っていたはずだ。

 琴吹は自分の不甲斐なさと、男らしくない言動に軽くため息を吐いてしまう。


「どうしたの? 琴吹君?」

「え、いや、なんでもないよ。なんでも」

「そう?」


 優奈は俯きがちな琴吹の顔を覗き込むように、優しく問いかけてくるのだ。

 同世代なのに、ちょっとばかし、大人びて見えてしまう。


 そもそも、彼女は年下の弟や妹がいるのだ。

 必然的にお姉さん的な印象を抱いてしまうのも納得がいった。


「こういうの欲しいなあー」


 彼女は、そのぬいぐるみを見つめながら言う。


 この場合、買ってあげようかとか、積極的に話しかけた方がいいのかな?

 その方が自然な対応になるのか?

 琴吹は一人で悩んでばかりだ。


「じゃあ、私、これ買うね」

「うん……いいんじゃないかな」


 ああ、発言するタイミングを大幅に逃してしまったああ……。

 ひどく後悔してしまう。


「琴吹君は何か買う?」

「え、俺は、その……」


 まったく決めてない。

 何にしようかと、店内を見渡す。


 近くの棚には、ぬいぐるみエリア、毛糸コーナー、子供が読むような絵本など、パッと見ただけでも色々あった。


「ねえ、何にする? 私とお揃いのにする?」

「う、うん」


 優奈の誘惑的な問いかけに、ドキッとしてしまい、流されるがまま頷いてしまった。


「はい、これが琴吹君の分ね♡」

「ありがと」


 琴吹はお揃いの猫ぬいぐるみを渡される。

 さっきから気の利いたことなんて言えず、琴吹は辛くなった。


 どうしたらいいんだ……これじゃあ、彼女からリードされてばかりじゃんか。

 男性としてカッコ悪いな。

 後ろめたさがあった。


「今回はさ、俺が払うよ」

「琴吹君が? いいよ。割り勘しよ」

「でも、一応付き合っているわけだし。一緒に街中に来た記念にさ」

「んん、まあ、そう言うなら、お願いしちゃおっかな」


 優奈は軽く上目使いになり、小さな猫のぬいぐるみを渡してくるのだ。

 ふと脳裏をよぎる。


 昨日、恋協部のアンケートでも、“相手に与えられるものはあるのか?”という問いがあったことを思い出す。

 これでようやく、自分も女の子に何かをしてあげられるんだと考えると胸が熱くなる。


「そうだ、琴吹君は妹に買っていかなくてもいいの?」

「心菜に?」

「うん」

「……」


 今、そこまで妹とは仲が良くない。先ほどだって、さらに距離が変に開いてしまったのだ。彼女と付き合い始めたとは言え、強引な話し方だったかもしれない。

 あまり好きではないが、妹の悲しむ顔を振り返り、ちょっとだけ心が痛んでしまった。


「私もね、小さな妹に何か買っていこうかなって。今思っていたところだったの。琴吹君の妹は何が好きなのかな?」


 なんだろ……そんなに妹の趣味なんて考えたことがあまりなかった気がする。

 今思うと、中学の半ばあたりから、趣味の話をしなくなったような。

 関係がこじれてしまったのは、自分にも原因があるのだろうかと、琴吹は考え込んでしまう。


「私の妹はね、ぬいぐるみかな? 私と大体同じでね。小さくて可愛いものが好きなの♡」


 優奈が自然に見せる笑顔は、まさに天使のような魅力があった。

 彼女には妹とかがいて、年下の子のことも気にかけ、忙しい中、生活を送っているのだ。


 琴吹は、というと、妹からバカにされ、ただ単に嫌いになり、距離を取っているだけ。

 妹を持つ兄として、ダメな存在だと感じてしまう。


 同世代ながらも、自分のことよりも他人のことを意識しながら生活している優奈からは、学ぶことがたくさんあると思った。


「琴吹君の妹って、こういうの好きそうだよね?」


 俯きがちだった顔を上げる。

 優奈が手に持っていたのは、子犬のような小さなぬいぐるみだ。


「え、そうかな?」

「今日見たけど、実際のところ、可愛らしい子でしょ? だって、他人に対して礼儀正しそうだし」

「そうかな?」


 男子生徒から告白されてばかりいて、周りの同姓から嫌悪感を抱かれている妹がまさかと思う。


 そんなに礼儀正しいとは感じたことはない。

 むしろ、いつもバカにしてくるし、すぐに見下すし。琴吹からしたら、散々な奴なのだ。


「でも、ちょっとは悪い噂は聞くけどね」

「……」


 やっぱり、あの噂を知っているとのだと思うと、心が急に痛くなった。


「でも、心菜に好きな人ができれば、解消すると思うんだけど」

「好き人って誰なの?」

「さあ? わからない」

「なんで、わからないの? 妹なんでしょ?」

「そうだけど、そんなに仲良くないし」

「そうなんだ。でも、琴吹君も一応お兄ちゃんなんでしょ? もっと、妹のこと可愛がってあげなきゃね♡」

「う、うん」


 まさか、優奈の口から“お兄ちゃん”という単語が出てくる時が来るとは思わなかった。


 おっぱいが大きい女の子から、近い距離間で優しく忠告されたら、心臓がどうにかなってしまいそうだ。


「そ、それよりさ。妹には、その子犬のぬいぐるみでいいや。俺が買うからさ」


 琴吹は優奈が手に持っているそれを取ろうとすると、誤って彼女の白い肌に触れてしまう。


 ちょっとだけ、手を放す。

 さっき普通に手を繋いでいたのに、意識してしまうと物凄く恥ずかしくなるのだ。


「……はい。琴吹君がこれ買うんだよね?」

「う、うん」


 優奈は赤く頬を染めている。彼女も意識しているのだろう。


 子犬のぬいぐるみを受け取るなり、二人はレジカウンターへと向かっていくのだった。

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