中編
アレから何度か定食屋に行っているのだけれど、あの時のお姉さんと会う事はほとんどなかった。仕事の終わる時間が僕の方が早いという事もあるのだろうが、お姉さんと会った時は毎回残業させられた時なのだ。
「お仕事大変なんですね。私は仕事が終わってすぐに帰りたいのに、先輩たちの長話に付き合わされて帰れないんですよ。先に帰ることも出来るんですけど、気にせずに先に帰った同期が先輩たちから仲間外れにされて精神を病んじゃって休職しているんですよ。上の人達も先輩たちに注意することも出来ずに野放しになってるんですけど、このままだったら他にも精神を病む人が沢山出てきそうなんですよ」
「それってさ、お姉さんは大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。私って見た目の通り図太いんでそういうの気にしないんです。むしろ、私の方がいじめてるっぽく見られちゃうことがあるんですよね。やっぱり、私って目がちょっときついですかね?」
「どうだろう。僕はそうは思わないけど、怖い一面を見てないからかな」
「でも、私って誰かに対して怒ったことって無いんですよ。いつも怒ってるのって聞かれるんですけど、それは私の目つきが悪いだけで本当に怒ってないのに。あ、そう言えば、最初に会った時に煮魚定食を譲ってくれたのって、私が怒ってるって思ったからですか?」
「そんな風には思ってないよ。その時は女の人がいるんだなって思っただけで、顔とか見てなかったからね」
「それって、本当ですか?」
「本当だよ。僕はあんまり人を見れないからね」
「それは恥ずかしがり屋だからって事ですか?」
「まあ、そういう感じかも」
「なんだ。私が綺麗だから直視できないのかと思ったけど、そうじゃなかったんですね。もしかして、学生時代ってそっち側の人だったんですか?」
「そっち側とは?」
「ほら、今だとなんていうんでしたっけ。そうそう、陰キャ。陰キャだったんですか?」
「まあ、それは否定出来ないね」
「そうなんだ。それなのに営業の仕事は出来るんですね。それって、なんだか凄いことですよね」
「営業って言っても、決まってるところに行って確認するだけの仕事だからね。それに、取引先の人は皆男の人だからさ」
「もしかしてなんですけど、お兄さんは付き合ってる人いないんですか?」
「もしもさ、僕に彼女がいたとして、週末に一人で定食を食べてるって知ったらどう思う?」
「私だったら、どこかに誘えよって思いますね。あれ、もしかしてですけど、私の事も一緒にディスってません?」
「そんなことないって。ただ、最近は良く姿を見るなって思っただけだよ」
「それは、私の事を一人で定食屋に来ている寂しい女だって言いたいって事ですか?」
「そんなつもりで言ったんじゃないって。悪気は無いんだって」
「あはは、そんなの知ってますよ。お兄さんがそんな事を言う人じゃないってのは知ってますから。それに、それを認めたら私だけじゃなくてお兄さんも寂しい人になっちゃいますもんね」
「そうかもしれないけどさ、本当にそうじゃないんだって」
「はいはい、お待たせしました。お姉さんはいつもの煮付け定食ご飯少な目で、お兄さんはお勧めの豚丼豚汁セットね。それにしても、あなた達っていつもお兄さんが尻に敷かれているわね。でも、結婚するならお姉さんみたいにしっかりしている人が良いと思うわよ。お兄さんもしっかりしてそうだけど、お姉さんの方がちゃんとしてそうだもんね。二人はもう付き合ったりしてるの?」
「いえ、全然ですよ。私もお兄さんと合うのはここだけなんです。お母さんと条件的には一緒ですね」
「あら、そうなの?」
「はい、お互いにどこに住んでるかは知らないんです。それくらいの関係の方が気兼ねなく何でも言い合えるんじゃないかなって思ってるんですよ」
「おばさんにはよくわからないけど、それはそれで気楽に付き合えていいかもね。それを聞いた後に出すものじゃないと思うんだけど、二人はトリックアート展に興味があったりするのかしら?」
「私はちょっと気になりますね。ちゃんとしたのを見たことは無いんですけど、面白そうだなって思いますよ。お兄さんはどうなんですか?」
「まあ、そういうのは好きですよ」
「そう、それならさ、今月いっぱいの招待券があるんだけど二人で行ってみたらどうかな。おばさんとおじさんで行く予定だったんだけど、週末は孫の面倒を見ることになっちゃってね。孫はまだ小さいんでそういうところに連れて行くことが出来ないのよ。で、良かったら二人で行ってみたらどうかな?」
「私はお兄さんと二人でもいいですけど、お兄さんはどうですか?」
「僕もお姉さんと二人で出かけるのは良いと思いますよ」
「ええ、そんないい方しちゃうんですか。私ちょっとショック受けちゃいますけど、そんないい方で大丈夫ですか?」
「え、いや、そう言われてもな。でも、僕はお姉さんと一緒にどこかに行ってみたいなって思ってましたよ」
「もう、それだったらもっと早くに誘ってくれたらいいのに。私は暇じゃないんで早めに行ってもらわないと困るんだけどな。ところで、お兄さんは明日と明後日だったらどっちの方が都合がいいですか?」
「僕はどちらでも平気だよ。お姉さんの都合に合わせるよ」
「じゃあ、明日にしましょう。早めに行ってみたいですしね」
「はい、そうしましょう」
「今更ですけど、連絡先を交換してもいいですか?」
「はい、僕の連絡先はこれです」
「あ、普通に電話番号とメールアドレスを教えてくれるんですね」
「普通は教えないんですか?」
「いや、教えないってことは無いと思いますけど、最近はLINEとかその辺を教え合うんじゃないかなって思ってまして。でも、お兄さんがそっちの方が良いって言うんっだったらそれでいいですよ」
「そう言うもんなんですね。じゃあ、LINEをっていいたんですけど、僕はアカウントを持ってないんですよ。だから、そういうのがわからないんですよ」
「お兄さんって本当に陰キャなんですね。いや、近頃は陰キャでもLINEくらいやってると思いますよ。でも、そういう人の方が安心出来るってのはあるかもしれませんね。アカウントを作る前にご飯頂いちゃいましょうよ。せっかくの美味しいご飯も冷めたらもったいないですからね。それにしても、豚丼を頼むなんてシェアする気ないですよね」
「そんな事ないって、たまたま勧められただけなんだって」
「ふふ、そんなの知ってますよ。でも、その豚丼も美味しそうですよね。今度食べてみようかな。って思っても、結構ご飯入ってますよね?」
「結構はいってるかも。じゃあ、先に少し食べてみる?」
「良いんですか?」
「良いよ。そんなに食べてみたいんだったら遠慮しなくていいからさ」
「一口いただきますね。なんか、お互いに名前も知らないのにこんな関係って、面白いですね」
彼女は確かに見た目はきつく見えてしまうかもしれないが、こうして笑っているところを見るととても優しそうに見えるのだ。時々意地悪な事を言っているのだけれど、絶対に無理な事は言ってこないのだ。
それにしても、明日はお姉さんと一緒にトリックアートを見に行くことになったのだ。誰かと休日に遊ぶのっていつ以来なんだと思っていたのだが、それは僕の記憶の片隅にも残っていないようではあった。
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