第二章 幽霊少女(3)

    ○


「なんか悪かったな桜宮、うちの姉さんはいつもあんな感じだから」

「い、いえ……個性的でしたけど面白い方でしたよ」

 部屋に帰ってきたあと亮介がびの言葉を入れると、瑞穂は苦笑で答えた。

 実際悪い人ではないのだけれど、とにかく癖が強いのだ。人見知りの激しい瑞穂のようなタイプにとっては最も付き合いにくい人種だろう。

「さて、それじゃあさっそく撮影始めるか? もう着替えるなら俺は外に出てるけど」

「あ、いえ、実は着替える前に今からウィッグセットをしないといけないんです」

「ウィッグセット?」

 初耳の単語に首を傾げる亮介に、瑞穂は補足するように説明を加える。

「え、えっと……さっき購入したウィッグは髪色と髪型が涼香に近いものなんですけど、髪型の方は手を加えないといけないんです」

「なるほど。確かに既製品をそのまま使ったらキャラクターらしさはないかもな」

「す、すみません。お待たせしちゃうことになってしまいます……」

「いいよいいよ。そんなこと気にすんなって」

 恐縮しきったように肩を縮こまらせる瑞穂。どうも過剰に遠慮がちなところがあるんだよな、と思いつつ亮介は肩をすくめてみせた。

「それより見学してもいいか? コスプレの準備とか見たことないから興味あるんだ」

「え? あ、はいそれは構いませんけど……えっと、面白いものでもないですから飽きたら他のことをしていてくださいね」

「了解。それで時間ってどれくらいかかるんだ?」

「その、普段は何時間もかけますが……今日は、超特急で仕上げるので三十分くらいかと」

 そうして瑞穂は持参してきたスーツケースを開け、中から必要な道具を取り出した。

 ハサミやヘアスプレーだけでなく、毛をかすためのコーム、毛束を固定するためのダッカール、毛先をねさせるためのヘアアイロンなど様々な道具が床に並ぶ。そして服飾店でおなじみのマネキンの頭部を置くと、その上に買ってきたウィッグを載せて瑞穂はさっそく作業を開始した。

 用意してきた画像と見比べながら、素早く丁寧にハサミでカットしていく。

(うわっ……す、すごいな)

 その姿を見て亮介は思わず息をんだ。

 それは今まで見たことのない瑞穂の表情だった。

 たとえるならば、職人だろうか。

 周りが見えなくなるほどに作業に集中しており、その瞳は真剣そのものだった。張り詰めた緊張感に亮介が圧倒される中、ウィッグの方は既製品としての元の姿からどんどん涼香の髪型へと近づいていき、宣言通り三十分でそこには完成品が出来上がっていた。

「おおっ……」

「ど、どうでしょうか?」

「びっくりしたよ。桜宮ってすごい技術持ってるんだな」

「あ……ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げうれしそうにお礼を言う瑞穂。

 きっとこういうクオリティへのこだわりの強さが、瑞穂が人気コスプレイヤーたる所以なんだろう。亮介はそんなふうに感じていた。

「そ、それじゃあ着替えますので……その」

「わかった。廊下で待ってるから、着替えが完了したら言ってくれ」

 亮介はすぐに立ち上がると、部屋を出て外から扉を閉めた。


「お待たせしましたー!」

 しばらくしてコスプレ姿に変身した瑞穂が姿を現した。前回同様、普段とは別人のように明るくはきはきした声だ。それはいいのだが──

 その姿を見て、亮介は絶句してしまった。

 なぜかというと、衣装が相当に過激なものだったからだ。

 真っ白なワンピースの胸元にはハートマークの穴が開いていて、思いっきり谷間が露出するような仕様である。

 そしてワンピースといっても下半分、胸より下の部分は透け透けの布になっているせいで、細くてなめらかな太ももとか真っ白なパンツとか色々と見えてはいけないものがガッツリ見えてしまっていた。

 おかげで一目見た瞬間、亮介は反射的に目をらしてしまった。

「な、な、なっ……」

「どうしたんです? 最上くん」

 顔を真っ赤にして動揺する亮介に対し、瑞穂はすました表情のままで。

「桜宮、そ、その衣装は」

「もしかして変ですか? 精巧に作ったはずなんですが」

「いや……ちょっと過激すぎない?」

 すると瑞穂は不思議そうに首を傾げたあと、ポケットから携帯を取り出した。

「だって原作の服装がそうなんですよー!」

「……ほんとだ」

 確かに瑞穂の衣装は、涼香の服装と同じだった。細かいところまでものすごい再現度だと感じたくらいだ。

 亮介は原作アニメを見たことがないし、ウィッグ選び等で瑞穂から見せてもらっていたのは首元より上だけが写った画像だった。そのため服装を見るのははじめてだったのだ。

 とはいえ事情を知ったところで相当に露出度が高いのは変わらず、目のやり場に困ってしまう亮介である。

「ではさっそく撮影始めましょう!」

「お、おう……」

 そうして撮影が始まる──

 スマートフォンを向けると、被写体になった瑞穂は別人のように様変わりする。前回ミリアのコスプレをしたときはまるで眼前に敵をとらえているかのような緊張感を放っていたが、今回のキャラである涼香は戦闘員ではない。

 というよりも、エロいキャラなのだ。主人公の部屋に居座り、あの手この手でエッチなろうらくをしてこようとするという説明だけでも十分わかるだろう。

 そのキャラに「なる」ことの意味を亮介は理解していなかった。

 撮影を始めてわずか十分か二十分かで、そのことを悟ることになる。

(こ、これはやばいぞ……)

 原作の展開上、撮影するのも瑞穂ふんする涼香が主人公を誘惑するようなポーズが多い。

 例えば、胸元の穴を広げるように両手で引っ張って胸を強調するポーズ。

 例えば、ワンピースのすそを手で持ってメイドのような立ち振る舞いをするポーズ。

 そして瑞穂はノリノリというか、本気で亮介を誘惑しに来ているのではと錯覚してしまうほどだった。おかげで亮介は写真を撮りながらも、興奮しないよう心を静めるのに必死になっていた。

 そんなギリギリの状況で、ダメ押しとなったのが瑞穂の一言である。

「じゃあ次はキス待ちのポーズやりますね!」

「キ、キス待ち!?」

「アニメ三話で主人公にキスをするように誘うシーンがあるんですよ。主人公はあやうく一線を越えちゃいそうになるんですけど、結局寸前で思いとどまるっていうシーンです!」

「なるほど……わかった」

「正面から撮ってくださいね! えっと、わたしがここに立ちますので……最上くんは机に向かってる主人公の目線ということで、その椅子に座って撮影してください!」

「了解」

 亮介はさっきからこんなふうに瑞穂の指示を受けて一つずつの構図を撮っている。

 椅子に座って手元にスマートフォンを持つと、瑞穂は亮介の前に座って目をつむり、ちょこんと小さく唇を突き出してきた。

(や、やべえええっ……)

 亮介は、思わず心の中で叫んでしまう。

 金髪へきがん、いわゆるギャルと呼ばれるような外見の涼香は、口紅もわりと濃い赤色のものを使っている。無防備にさらされた深紅の唇は、その気になればいとも簡単に奪えてしまえそうで、とにかく心臓に悪い。

 何とか撮影のボタンを押し、写真をいくつか撮影したのだが、そこでキス顔をやめて目を開けた瑞穂はとんでもない行動をとった。

「どうです? いい写真撮れましたか?」

「うわあああっ!?」

 ぐっと顔を近づけて、亮介の携帯の画面をのぞき込もうとしたのだ。

 さっきから妙にその唇を意識してしまっていたせいで、瑞穂との距離が近づいたことに驚いた亮介は反射的に後ろへと体をそらしてしまう。座っているときにそんな動きをしたらどうなるかなんてわかりきったことで。

 亮介は椅子から転げ落ち、大きな音を立てて背中から床にぶつかってしまった。

「い、いってえ……」

「だ、大丈夫ですか最上くん!? どうしたんですか!?」

「いや、その、足を滑らせただけだよ」

 まさか本当のことを言うわけにもいかず、ごまかしたような言い方をする亮介。瑞穂はというと純粋に心配してくれていた。

「そうですか……ケガとかしてませんか?」

「ああ、ちょっと痛いけど全然平気だ。それより撮影の続きをしよう」

「はい!」

 気を取り直して立ち上がり、倒れてしまった椅子を元に戻して次の撮影へと移る。こんな調子で撮影終了まで心臓が持つんだろうか、とそんな不安を抱く亮介だった。

 その後も更に心臓に悪い撮影が続いていく。

 次に撮ることになったのは主人公のベッドに入り込むシーンだ。主人公が寝ようとしたらすでに布団に入っているというアニメ一話のシーンと、寝転がっている主人公に乗っかってくる五話のシーンの二つである。

「じゃあ、最初はそちら側から撮ってください!」

 指示を出しながら瑞穂は亮介のベッドの上に乗った。

 そしてあろうことか、枕にぎゅっと顔をくっつけてしまう。

 そのまま顔を亮介の方に向け、上目遣いで誘うようなようえんな目つきをしてみせる。確かに強烈な誘惑なのだが、それよりも──

「さ、桜宮! 待ってくれ!」

「はい?」

「枕に顔をくっつけるのはだめというか、その……臭かったりしないか」

「大丈夫ですよ! 最上くんの匂いはしますけど、嫌な匂いじゃないです!」

 曇りのない笑顔でそう言われてしまうと、亮介としても返す言葉を失ってしまう。

 しかし、非常に問題のある絵面である。自分が普段寝ているベッドに美少女が横たわっているというのは何だか変な気分になってしまいそうだった。

「撮れましたか?」

「ああ、まあ撮れたけど……」

「じゃあ次のシーン撮りましょう! 五話の冒頭なんですけど、主人公がベッドの上でくつろいでいるところに涼香が乗っかってくるというシーンなんです。首に手を回して誘惑するんですよ」

「なるほど、それじゃあどの角度から撮ればいい?」

「最上くんは主人公と同じようにベッドにあおけになってください! わたしがそこに乗っかるので、下から撮っていただければ!」

「え?」

 今まで以上にとんでもない要望に、亮介は思わず固まってしまう。

「ま、まじで?」

「はい! その角度だと一番再現度が高くなると思うんです」

「わ……わかった」

 亮介がスマートフォンを手に持ったまま布団の上に仰向けになると、瑞穂は亮介の腰の上あたりに乗っかった。

 柔らかい感触が伝わってきて、もはや撮影どころではなくなってしまう亮介。もんの表情を浮かべていると瑞穂はちょっと心配そうに、見当違いのことを尋ねてきた。

「あの、重くないですか? 大丈夫です?」

「いや……むしろめちゃくちゃ軽い、けど」

 問題はそこではない。亮介はただ、煩悩にあらがっているだけだった。

 しかし瑞穂が亮介の首元に手を伸ばし、涼香がひようしたような色っぽい表情を向けてくると、もう耐えられそうもない。爆発寸前である。

(……よし、素数だ。素数を数えよう)

 ピンク色に染まっていく脳を正常に戻すべく、亮介は二から順番に頭の中でひたすら数字を並べていくのだった。

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