吸血鬼

 現れたのは燕尾服の優男。狐のような細面が優しく微笑んだ。


「あれは精神を私と同調させ、五感と記憶を支配する魔法だ。性格や性質を破壊して操るだけの低俗なものと一緒にしないでほしいね」

「十分、破壊されていたように思うが」

「操ることが目的だ。その過程で壊れるのは致し方ないだろう。何より操るだけではなく、彼が見た景色や音声は、直接私の元に届く。これは大きな違いさ」

「お前たちの魔法談義はどうでもいい。貴様は何者だ」


 割り込んだアルミテラ、男に拘束をするのも忘れ、今にも掴みかかろうと勇んでいる。


「無粋なヴァルキリーだ。静かにしていたまえよ」

「ふざけるなよ。いいか、これが最後だ。お前は何者だ」


 剣を抜き、構えた。


「我々にとって名は大きな重要性を持つ。簡単に教えるわけにはいかない」


 ひゅうと風が吹き抜けて、男の首が床に落ちるよりも早く剣は鞘に収まった。


「すまんジカルド」

「謝る必要はない。どうだ、怒らせると怖いとわかっただろう」


 蛇口はその落ちた首に話しかけた。その頭部はぶくぶくと泡立ち消えたが、胴体の方はまだ健在である。頭のないまま肩をすくめ、手のひらで頭のあった部分を撫でると、虚空から落ちたはずのそれが現れた。


「ふむ。そうだな、怒らせたいわけではなかったんだ。謝罪しよう」


 丁寧に一礼し、アルミテラの喉が無意識に鳴った。


「まあ怒りの琴線というものは人それぞれだ。温厚なつもりはないが、彼女は私よりもずっと敏感なようだね。しかし美しい太刀筋だ」

「おっとそこまで、次はどこが落ちるかわからんぞ」


 蛇口は指で袈裟懸けに剣を振る真似をした。コミカルにえいやあとまるで緊張感がない。


「はっはっは。なるほど、さすがだ。肝が座っている」

「どうだろう、二人きりで話をしないか?」


 蛇口のその申し出にアルミテラは絶叫した。


「駄目だ。危険すぎる」

「私が言うのもなんだが、ヴァルキリーに従ったほうがいい。きみの対魔の法を見たい気もするが」


 すっと男に指を突きつける蛇口、指先には剣の様な鋭さを込めてある。


「俺は名を明かしたぞ。礼節を語ったお前がそれを無下にするのか」


 そしてアルミテラの肩に手を置いた。


「おいヴァルキリー殿、二人だけになりたいと言ったのは、名とはそれだけ重要だからよ。奴にとっても、俺たちにとっても。こいつは、こいつらは名を使って相手を縛る。ディグスラの二の舞になるぞ」

「こいつらって」

「体を霧や液体に変質させ、独自の魔法で他者を操る。魔族の中でも高位の存在」


 吸血鬼だ。蛇口の断言に男は満足そうに小さく拍手をしてお見事と言った。


「そう、私は吸血鬼。ただし、はぐれものだ。誰かを使役するには直接名を聞いたり血を用意したり、少々面倒な手順がいる。アスカーヴァンパイアと呼ばれる亜種さ」


 恭しく一礼をするその仕草は余裕によって支えられたものである。すなわち、この様な状況になろうとも己にはいかほどの支障はないという自信である。


「自分から正体を語るかよ。俺はそこまで推理できていなかったぞ」

「なんだ、そうだったのか。黙っていれば良かった」

「それで、どうだ。ここ以上に静かな場所はそうそうないとは思うが」

「ジカルド! 相手は吸血鬼だぞ」


 ここは戦乙女の詰所であり、彼女たちの戦力がほとんど集結している。だが、吸血鬼が相手となるとその全滅も危ぶまれる。それほどに力を持った魔族なのだ。

 アルミテラの危惧をよそに蛇口は無造作に結界に触れた。どの様な力を込めたのか、結界は粉々に砕けた。


「お前を信じた私が愚かだった」


 切っ先が首筋に押し付けられ、ぷつりと血が滲む。


「俺はお前と違って、首が落ちたら落ちっぱなしだ」


 こうなることを望んでいたがごとく、蛇口は吸血鬼の檻へ踏み出した。


「助けてくれてもばちは当たらん」

「ふふ、己の頑固さに苦労してはいないかい? まあいい、逃避行などいつぶりだろうか」


 観念したのか吸血鬼は蛇口の腕を掴んだ。その何気ない握力にも顔をしかめる。


「逃がさん」


 アルミテラの覚悟の一閃、しかし霧を揺らすだけで、もはや二人の姿はなく、残った檻にはディグスラの服の切れ端だけがあるばかりである。

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