人形
「ジカルド、何があったのか説明しろ」
先ほどまでの煌びやかな、壊される前のことではあるが、法廷とはうって変わり、かなり質素な戦乙女たちの詰所である。その中で一番ましな部屋へと通された蛇口は結界を外され、その代わりに手枷をつけられていた。
アルミテラには怒りや不審よりも困惑が強い。死闘を演じたとはいえ顔なじみだった粗野な男が見目麗しい粗野な少女に変身しているのだから。
「話せば長くなる」
「全部だ。事細かに」
冗談で和ませようとするとその気配を察してケイトの腕がピクリと動く。身動きすると生真面目なコルメアが肩を抑える。これでは話にならないと、アルミテラは外の扉の前で見張りをする別な部下を呼んだ。
「隊長、どうして」
「ケイト、打ってもいいが、お前は力加減がわかっていない。コルメアもそうだ。顎や肩が外れては尋問にならない」
説得され渋々外に出たのを見計らい、蛇口は自分の老衰から語り出した。
「フォルトナ? なぜあのぐうたらが」
出だしから理解不能に陥ったアルミテラだが、そのあとは辛抱強く話を聞いた。黙ったまま蛇口だけが要点を語る。
「真意はわからんが、無敗の俺を負けさせたかったらしい。それで転生させられた。この女の肉体で、俺の力をそのままにしてな」
負けるための全てをあてがわれ、一段落ついたと思えばさっきの有様。見張りは見張りだけの役に徹していたので、手枷をされながらも身振りを交え交友関係や戦勝の推移も説明した。
「嘘、ではないのだろうな」
それは問い詰めたのではなく、自分自身に言い聞かせているようだった。じっと蛇口を見据えて、嘆息。話題を変えた。
「しかし久しいな、ジカルド。最後にお前を見たのはいつだっただろうか」
「戦場だ。頭をかち割られた時、お前が現れた。致命傷ではあったが、すぐに治せた。それなのにお前は突如として現れて、俺を強引に天界へと引っ張って行こうとした。あの姿といったら咥えた綱の端を引いてくれとせがむ犬のようだった。肘が壊れるほど引くものだから、頭の傷を一時忘れるほどだった」
「よく覚えているな」
やや赤面し、アルミテラは咳払い。クスクスと笑う部下たちを睨んだ。
「お前が天に召されれば、おそらく神格、もしくは私たちのような立場を与えられたはずだ。与すれば勝利、敵すれば敗北のジカルド信仰があったのだから」
「俺が神に? 馬鹿な、御免だ。俺自身があてにしないものになってどうする」
「であれば拒めばいい。そのためにあの判事、転生のディグスラがいるのだから。普通は転生して新たな人生を送る。力や記憶をまっさらにしてな」
「では、あの判事の気まぐれか?」
その可能性は否定できない。神とはそういうものである。
「どうだろう。まあ力をそのままに負けさせるという試みは悪く無い」
あの自信に溢れた男が負ける様を想像し、アルミテラは顔を綻ばせた。
「その目論見が外れて俺はここに呼び出され、さっきの有様よ」
「どうせ焚きつけたのだろう」
バレたかと舌を出す蛇口。呆れるアルミテラだが、それにしては何かが引っかかる。
外にいたケイトが書類を手に入ってきた。上司に手渡し、蛇口と目があうと軽く笑み、頬を張って、また外に出た。
「奴の獲物は槍だったか。しかし平手打ちでも俺を殺せるな」
打たれてもにこやかにそう言った。蛇口は戦乙女たちに特別な情があるようである。
「ディグスラにお前のことを問いただしていたのだが」
「俺にこっぴどく馬鹿にされて悔しいと?」
「誰彼構わず挑発をするな。悪い癖だ、そうやって何度死にかけたと思っている」
じゃなくて、とアルミテラは頭を振る。
「問いただしても、奴はお前のことなど知らないと言っているらしい」
蛇口の眉が跳ね上がる。「白を切るか」
「いいや、どうもそんな感じじゃ無いらしい」
まるっきり覚えていないのだ。アルミテラは調書を蛇口に投げ渡した。めくれ、と目で促すと警備の一人が渋々そうした。
蛇口の名を知らないところから始まり、転生の経緯も記憶になく、さらにはルカ・ジカルドの名を聞くと頭が割れるように痛むという。明らかに魔法の影響を受けていた。
「ほー。これはまた」
「親切丁寧が売りの次なる命の案内人だ。お前の言では、相当に乱暴でろくすっぽ説明もなかったそうだがな」
「俺が嘘をついていると?」
アルミテラは背もたれに体を預け、顎を上向けた。それを蛇口が真似をする。警備の乙女たちは天井に何かあるのかとつられて上を見上げるも、そこには天井以外の何もない。
「それはわからない。ただ、私がお前と知己でなければ、とうに牢屋へぶち込んでいるだろうな」
虚偽の証言、神々への冒涜、器物破損、暴力行為、指折り数え、
「お前が手枷程度の拘束でヘラヘラしていられるのは、はっきり言って私の温情だ」
と、ようやく正面に向き直った。気だるげな態度は蛇口の処遇を決めかねているからで、まだ頭の整理ができないでいる。
「全て成り行きだ。美琴はこう言って俺をさらった。蛮なる男よ、神に祈らぬ男よ、その人生で何を成し遂げたかったのか、とな。そうして判事ディグスラの前に引っ張り出されてみると、言うに事欠いて俺の敗北を見たいときた。少しくらい温情をかけてもらわねば。俺だって訳がわからんのだから」
今際の際に敗北を知りたいと口にはしたが、そんなことを本気にするはずもない。いくら気まぐれな神とはいえこんなことを叶えたりはしない。ただ敗北させたいのであれば神自らでもいいし、そうでなくとも力を奪って転生させればいい。
力を残したままそれ以上の力を持つ相手と戦わせ、その敗北する様を見たいというのがディグスラの望みであったが、そのディグスラは蛇口を知らないという。
「調べる必要がありそうだな」
腰を上げるアルミテラ、同時に見張りの二人が蛇口の両脇を抱えた。
「両手に花、そしてこれほど堂々とした逢い引きは俺にも経験がない」
「あまりそいつらをからかうな」
とはいうものの、頬を染めているのは彼女だけである。
廊下に出て階段を降りる。地下にあったのは簡易な牢だ。カビ臭さや埃っぽさはなく、かなり清潔にしてある。
三つ横並びに収監スペースがあって、その一番奥に彼はいた。
憔悴しやつれたディグスラだ。意地悪く法廷に立ち、あれほど剛毅に戦った男とは思えないほどに弱り切っていた。目は落ちくぼみ、頬はこけ、顔面は蒼白。腕も枯れ木のように細い。
(まるで別人だ。あの細腕で先の剛拳をどうやって)
「ディグスラ殿、彼女に見覚えは」
鉄格子を挟んでアルテミラは声をかけた。警備の乙女にも緊張が走る。
ゆっくりと顔を上げたディグスラは、蛇口の顔を見てすぐにまた俯いた。興味もなければ記憶にもないらしい。
「なんだ、あれほど俺をこけにして、あれほど俺をぶん殴ったくせに。つれないね」
蛇口は自由になった足で檻を蹴った。無機質な音が地下に響き、アルテミラに頭を小突かれた。
「ルカ・ジカルドをご存知でしょうか」
質問には答えない。彼に許されているのは顔を上げることだけであるかのように。
「あんたが俺に言ったんだろう。負けたいならそうさせてやると。馬鹿馬鹿しいがあんたはそれをやった。やったくせに、こんなしょぼくれて知らぬ存ぜぬを通すとは」
「私は」
初めて口を開いた。たったそれだけで彼の持つ知性と良識、品性が計れるバリトンボイスだ。
「私は何もわからない。少し前から記憶が朧で、戦乙女アルミテラよ、私は何か罪を犯したのか」
「部下からお聞きでしょうが、不審な転生を行ったと疑いがかけられています」
他者の運命をたやすく変えてしまう神々だからこそ、転生にはかなり気を使う。ディグスラはより良い次の人生を歩んで欲しいという心のあり方を認められ判事となっているが故に、この疑いは不本意だっただろうが、身に覚えはなく牢にも入っているために精神をすり減らし、そしてこのみすぼらしい姿だった。
「本当にわからないんだ」
寂しそうにつぶやき、またうなだれる。「わからないんだ」
手枷が動いた。蛇口はふむと顎に手を持っていき、軽く撫でている。
「別人だな」
声量はなくとも十分に反響した。
「俺との初対面、まあ覚えていないだろうが、あんたはもっと高慢で、意地悪そうで、鼻持ちならない奴だった。俺の知るあんたは、この場合しおれるより激昂するような奴だった」
そんなはずはない、と言い切れるほどに親しくはないアルミテラだが、風聞でのディグスラは高潔な人物だった。蛇口の感想とは真逆である。
「誰かに操られていたのかもしれない」
「信じたくはないが、可能性はある。お前の言うことを信じればの話だが」
蛇口は虚ろな判事に目を向けた。彼はもう亡骸のようにぐったりとしていて、こちらまで沈鬱になる。
「あんた、誰かに恨まれたりしているか」
「わからない」
ディグスラはそればかりを繰り返し、お手上げだと蛇口は肩をすくめた。
次第に彼は疑うべくもない狂人となる。紫色に変色した唇を震わせ、頭を抱えて喚きだした。蒼白な顔に血走った目だけが浮き上がり、神というよりもその対極にある悪しき何者かに変容したのだ。
「わからない! お前のことなんか知らない! 私を解放しろ!」
鉄格子を激しく揺さぶり、警護の乙女が殺気だった。
「なぜ私をここに閉じ込めるのだ、私の居場所はここではない!」
「今はここだ。もっとも、あんたは誰かの操り人形なのだから、どこだっていいじゃないか。少女の部屋の机の上を陣取れるとお思いか? めでたいことを、あんたにゃあこの清潔な地下牢が似合いだよ」
蛇口は彼を誰かの人形と決めつけて罵った。
「人形? ふざけるな、これは」
ディグスラは吠えた。ただ、尻切れとんぼのその先は、またわからないを繰り返す。
「今のは」
アルミテラは剣の鍔元に手を添えたまま、狂人から視線を外さず蛇口に囁いた。
ボロが出た。嬉しそうな女の笑みは地下牢に咲く唯一の美しさだった。
「とちったな誰かさん。誰でもいいから自己紹介といこう。まずは俺から。ご存知、蛇口の無心だ」
ディグスラは苦悶の表情を浮かべたまま血の混ざった泡を吹いた。体をくの字に曲げたかと思えば仰け反らせる。自らの体を壁に当て、しかしその濁った瞳は蛇口をずっと射抜いている。
もはやこれは伝え聞くディグスラではない。魔法か、それ以外の何かか判断はつかないが、アルミテラは一刻も早く楽にしてやるべきだと思った。
「ジカルド」
待て。と、この異常を楽しむかのような声音である。
「俺を知っているのだろう? 対魔の法など両の指では足りぬほどある。無理やり口を割らせることなど造作もない。しかしそれをせぬのはお前の体面を思ってのことだ、自ら名乗れば、この場は見逃す。始末は後々にしておいてやる」
甘言に違いなく、それに、やはりディグスラの様子は変わらない。「病か」
アルミテラは奇病の類を疑った。ただ蛇口はそうではないらしい。
「違うと思う。まあ、はっきり病であるとわかればこの苦しみようだ、その時は楽にしてやろうじゃないか」
蛇口の右手の甲に紋章が浮かび上がった。そのまま差し伸ばし、呪文を唱えた。
「渓谷の神カーディオの代理が命ずる。汝の名を明かせ」
ディグスラの体が大きく痙攣した。皮が骨に張り付いたかのように痩せ、衣服が肩から落ちた。
その露わになった肋骨の隙間から黒い瘴気が揺れ、肉を割いて吹き出した。
「結界!」
アルテミラは叫ぶより早くそれを拘束した。部下たちも遅れはしたが、言う通りにした。
「ジカルド、なんだこれは!」
「魔族だ。これはおそらく霧だ。体を霧に変えることができるのは、まあ何種類かいる。まだわからん」
すでに事切れているディグスラ、霧は拘束ごとその体を包み込み、液体のように床へと滑り落ちた。
結界のあるためこちらにはこれない。さらには地下牢であるために逃げ場はない。追い詰めたはずなのだが、戦乙女たちは戦慄している。彼女たちの拘束は、それほど簡単に砕け散りはしない、蛇口が異常なのであり、それはこの霧も同じだった。
「初めまして、誰かさん」
水たまりは円錐形に盛り上がり、凹凸が成型され人型となった。
「礼儀を尽くしてくれて感謝する。だが、私の芸術を人形と呼んだのはいただけない」
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