蛮なる男、再び


 確かに俺は廊下に出たはずだが。蛇口は眼前に広がる悪趣味なほどにきらびやかな法廷の床を踏んでいる。

 生まれ変わったあの時の場所だ。そう直感し、また何かあるのかと身構えた。一段高い場所にある席、判事がにこやかに小槌を叩いた。


「説明は抜き。その方がよかろう?」


 笑みではある。しかし、怒りや侮蔑、嘲りが多分に含まれている。


「俺は理解が早いほうでな。負けっぱなしとなる予定の俺が連戦連勝。気に入らんのだろう?」


 判事のひたいに青筋が浮いた。が、否定する。


「まさか。間違いなくお前が負けるはずの実力者が揃っているよ。まだ出会っていないだけさ」


 そこには己のしたことに間違いはないのだという高慢がある。蛇口はそういう肌で感じ取れる秘部に噛みつくことが大好きであった。


「おおそうか。じゃあ運よく弱っちい奴らとしか戦っていないのか。今までのはいわば遊びで、あんたら神様が授けてくださった試練ではなかったのか。よかった、おかげで負けることなく済んだわ。感謝してもいいが、しかし俺は負けねばならんのだろう? そうあれと送り出されたのだから、負けてこそ初めて礼が言えるというもの。あんたらも俺の礼などいらんだろうが、言わせてくれてもいいじゃないか。あのようなお遊び、片手間で終わってしまうような連中だ、もしや俺があの程度で負けるものだとお考えになっていたか? それならば申し訳ないなあ、これは神の目をも欺いてしまう俺の実力がいかんのだが、謝るのもちょっとおかしい。なにせ負けてみてはいかがかなと全てをあてがわれ、しかしながら当然のように勝ってしまったのだもの、謝るべきはそちらのような気がするわ。なぜってそちらの不履行だからよ。負けさせようとして、勝たせてしまって申し訳なかった。次は負けさせてやると、そう言え。お前らが俺に頭を下げたいからここに呼んだのだろう? ほら、わかっているから」


 言え。ここぞとばかりに蛇口ははしゃいだ。瞬間的に沸騰した高揚が彼女の胸をざわめかせている。

 判事の笑みは途中から怒りに変わっているのだが、それすらも楽しんでいる蛇口である。思惑通りにことが進むと、彼女は少しやりすぎる。


「もしやそうではないと? ではこうか? 意外にも善戦しているではないか、褒美をとらす、とこういう具合か? それならば早くしてほしいものだ。別に予定があるわけでもないが、こんなところに突然呼び出されては俺も困惑してしまう。ほら、言いたいことがあるなら、なんでも言ってくれ。申し訳なかったかとか、よくやったとか」


 木槌が打たれた。判事の机を粉砕し、木槌ごと砕けて、柄だけをもつその手がわなないた。


「二度は言わん、戯れるな」


 芬々たる神の怒りが鼻腔から脳から突き刺さり、良順たちがやはり人間であると実感させられた。感情だけで人を殺せる神のそれは、蛇口といえどもたたらを踏ませる。

 だが、それがどうしたと前のめりで吠えた。


「俺は何度でも言ってやる。龍獣人間、天魔の使徒やその主人、俺の八十年はそんな連中を殺しに殺した一大戦記だ。切った張ったは望むところの蛇口だぞ、最後に立っているのは」

「愚物めが」


 判事はついに身を乗り出し、ちりちりと空気を焼き焦がす波動を纏わせ歩み寄った。傍聴人は一様に神であるが、その怒気に我先にと逃げ出した。


「蛮物といえ。よく考えれば笑止千万な題目だ。なにが負けさせてやるだ。そんなに負けが見たくば見せてやる。ただし、お前のその身に、直に食らわせてやろう」


 スローモーションのように判事の腕が振り上がった。上から下へ拳を叩きつけること以外、できない動作である。


「あんたが俺を転生させたのに、そのあんたが俺を殺すか」

「神を愚弄した罰だ」

(挑発しすぎたか)


 悔いというには軽すぎるし、反省しているようでもない。蛇口は両腕を横に広げ、無抵抗をアピールした。

 だが、判事の腕は落ちてくる。蛇口の脳天にそれは叩きつけられた。

 ごつん。それはありふれた喧嘩の音である。神が全力で行った攻撃にしては、かなり間抜けな響きであった。


「痛えなあ」


 仁王立ちがこれほど似合う女もそうはいない、腕組みのままケッケッケと肩で笑う。

 殴った判事の拳の方がよりダメージを負っていた。本来は人間どころか神すらも吹き飛ばすほどの一撃であるのだが、蛇口は少しよろけただけである。

 蛇口の額には魔法の方陣が収まっている。それが頭部への一撃を即死から軽度の痛みへと変質させたのだろう。


「これが辺境ヨストロクの老騎士セルジュから賜りし加護だ。龍の一撃を耐えその肉を抉る力を授かった」


 判事は再度仕掛けた。結果は変わらない。蛇口の両足はそこから一歩も動かない。

 手の平に淡く輝く幾何学、次第に強く明滅し、ちりりと火花を散らした。彼女が龍から頂戴した加護である。


「龍からは神殺しを授かった。魔法を打ち消し、潰えさせることができる」

「小癪な」


 ならば肉体でと判事は魔力を抜きにした蹴りを放った。強弓のような鋭さであるが、蛇口の腹に突き刺さるには至らない。まるで大地を叩くような分厚い感触が判事をぞっとさせた。


「セルジュ老と龍、二つの加護は獣の王を打ち砕くのに大いに助けとなった」


 獣王レオシスタは百年に一度目を覚まし全ての獣を引き連れて大陸中を渡り腹を満たすという。獅子の頭、胴体は虎、腕は大猿のように太く器用で尾は鋼の鎖であるその怪物は、蛇口と死闘を演じ果てた。死の間際、彼女もまた加護を授けたのである。


「獣王レオシスタからも加護を頂戴した。そうやって、次第に俺は人の身には余るほどの力を得た」

「その他者よりの授かりものによって今日まで生きながらえたのだろう! 偽りだらけの盗人めが!」

「そうよ。だが俺と同じ力を持っていても龍は殺せぬ。レオシスタは倒せぬ。堕天使アズリアは滅せぬし、魔虫バルバドスを駆除できぬ。渓谷の女神カーディオを知っているだろう、奴は魔法も加護も一様に介さぬ化け物だったぞ」

「盗人猛々しいわ」


 蛇口と判事の拳がぶつかった。衝撃と波動、大気が擦過に割れた。腕の肉と骨に響く大時化の波のような痛みを伴わない揺らぎの痺れが二人を弾き飛ばした。

 壁に激突してからようやく痛覚が反応し、砕けた壁の瓦礫を踏んだ。


「おい、どうした。終わりか」


 判事も反対側の壁に寄りかかっている。一度は起き上がるも、膝をついた。


「寝てもらっては困る。俺を元の場所に戻してもらわねば」


 蛇口が気だるげに歩みを進めると、幾重もの光の円が両腕を巻き込み胴体を固定した。


「そこまでだ」


 声は上空、見上げると純白の鎧を纏った女が降りてくる。重厚な甲冑、剣は両刃、戦乙女だ。


「ヴァルキリーか。何の用だ」

「神聖なる領域で騒ぎを起こすなど言語道断。我らが法に乗っ取り厳正なる罰を与える」


 蛇口はその女の面をじっと見つめた。見覚えがある気がした。拘束されたまま思案していると、続々と似たような格好の戦士が降りてくる。女性だけで構成されたこの兵団、主に死者を天界に運ぶことが任務なのだが、こうして警邏の役割もしている。


(大隊規模、百かそこらの大人数。俺一人になんとまあ。それより奴はどこかで見たような)

「胡乱な奴め。誰だお前は」


 隊長格なのだろう、歩み寄り蛇口の顔を眺めた。不用意ではあるが、それだけ拘束魔法の力を信頼しきっていた。


「ヴァルキリーよ、名を聞かせてくれ」


 地上の伝説にも戦乙女は登場するし信仰の対象にもなる彼女たちであるから、この質問に胸を張って答えた。いつもはひとくくりで戦乙女と呼ばれるため個々の判別をされるということがあまりないらしい。


「シェリー・アルミテラだ。階級は三等戦、序列は六十位。この大隊を率いている」

「アルミテラ。ははあ、なるほど」


 思い当たる節があったようで、蛇口はふやけたように微笑んだ。これをお目にかかれて光栄であるという態度として受け取ったアルミテラは、先ほどまでの剣呑さを吹き飛ばし、温和にたずねた。


「お前は何者だ。何があったのか事情を話してみなさい」

「何十年も前のことだ。俺は大雨で氾濫した川を鎮めてもらうため、渓谷の神のもとを訪れた」


 突然に何を。アルミテラは少女から少し離れた。呪文の詠唱ではないようだが、しかし警戒を強める。


「鎮めてもらうよう頼んだが、この氾濫は自然なものであり私が手を出すことではないと断られた」


 神話か民間の寓話だろうか。よくある類の話だが聞き入った。瓦礫の撤去を済ませた彼女の部下たちが報告のために集まり出しても蛇口はそれをやめない。


「思い出してきたよ。川下では多くの人々が困っていた。俺にしては珍しく純粋な人助けだった」


 だが神が駄目だいうのだ。俺は神を恨みもしないしあてにもしない、しかし民はどうだ。連中は苦しんでいる。普段甲斐甲斐しく祈りを捧げる者たちがだ。

 蛇口の語り口は当時の激情そのままである。


「おお、その後ろのおかっぱ頭。お前はたしか、ナンシーだったな。その横のポニーテールはコルメアだ。目の覚めるような金髪、ケイトだろう。どうだ、当たっているか」


 驚きに目をみはるヴァルキリーたち。その後も蛇口はそれぞれの名前を言い当てた。


「な、なぜそれを」

「新入りが半分以上。そうか、あの後でリズやメグ、マーシー、ジェーン、ラウルなんかは戦死したか」


 アルミテラは思わず蛇口の胸ぐらをひったくり、部下からそれを諌められた。


「貴様ァ」

「俺とて悲しい。敵方ではあったが、あれほど素晴らしい時間を共有したのだ。覚えているぞあの夜を、川のせせらぎは消え失せて爆炎が月をも眩ませた。覚えているとも、ルナーハス、トリス、ジェス、ハンナ、まだ覚えている。お前の悲痛な叫びが未だこの耳をつんざくようだ」


 川の氾濫、渓谷の神、そして戦友の死。これらはアルミテラの中で忘れられない記憶として残り続けてはいたが、こんな場所で掘り起こされるとは思っていなかった。


「誰から聞いた。知っているのは私たちと一部の神だけだ」

「俺はカーディオから加護を授かったぞ。優しき女神にふさわしき癒しの力を」


 それだけではない。蛇口は古き友人たちとの再開に打ち震え、その勢いで拘束を破壊した。


「懐かしい血みどろの友人たちよ。俺だ、わからぬか」


 アルミテラは片手を挙げた。その合図に蛇口はさっと飛び退いた。


「知らん。それに誰でもよろしい。貴様は我々の拘束を破った。抗戦の意思有りとし、さらなる罰を与える」


 一触即発、挙げた手が振り降ろされれば始まってしまう雰囲気だ。剣を抜き、あるものは舞い上がり弓を構える。やや下がったのものは魔法による支援を行うのだろう。


「征け、ヴァルキリー」


 緊迫した中、火蓋は切って落とされる。

 魔弾が爆ぜ、弓が唸り、剣が跳ねる。その標的はただ一人の少女である。


「待て、やり合う気は無い!」


 などと言ってはみるが攻撃の手は休まらず、激しくなる一方だ。


「殺しはしない、ただ斬るだけだ!」


 アルミテラの太刀筋は、蛇口の記憶にあるよりもずっと鋭い。その研鑽を確かめるため、あえて剣で受けた。


「これは、レディ・ベル? なぜこの剣を貴様が」


 坂々の大会では幾人もの血を吸った蛇口の剣をそう呼んだ。蛇口の他にはほんの少ししか知らない名である。


「お前らを友と呼び、カーディオの一件を知り、を扱い」


 蛇口はせわしなく攻撃を避け続け、隙あらばと乙女たちを次々と昏倒させていく。


「こんな芸当ができる者を、お前は一人しか知らんはずだ」


 アルミテラは空に舞った。上方から強烈な光弾を放つ。


「ヴェルカ・ライティアか。これもまた懐かしい」


 堂々とはじき返した少女の顔に、アルミテラは吠えずにはいられなかった。


「まさか、ルカ・ジカルドか!?」

「そのまさかよ」


 動揺は伝播する。ジカルドの名は歴戦の戦乙女であればあるほど知れていた。先ほどのコルメアやケイトなども半信半疑ではあるが、この実力も口ぶりも彼ならば納得がいくと顔を見合わせている。


「話せば長い。抵抗はしないから、聞いてくれ」


 アルミテラは自ら拘束のリングを蛇口に巻きつけ、地上へと降りた。部下にもそうさせる手の込みようで、それからようやく対話するムードになった。


「場所を移す。その男、じゃなくて女を連行する」

(どちらでも間違いでは無いがな)


 余裕そうな彼女は攻撃を無力化する結界に押し込められ、剣を没収され、馬がひく荷車に乗せられての護送となった。

 見張りについたケイトは口より先に手が出るタイプで、蛇口が懐かしさで口元が緩むたびにいちいち結界を解除してまで殴った。

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