フォルトナの望み

「あなた、何者なの」


 ヨゼルは蛇口に体を預けた。魔力を全て使い切ると、ずるずると力なく跪き、黒く変色したまま仁王立ちするその足にすがった。

 加護があったとはいえ長時間の火炎に獣の肌は焼かれ、臓器はほとんど活動を停止している。動かせば崩れ落ちそうだ。

 だが損傷が激しいとはいえ立っているために必要な足、胴体は死守した。


「も、もう終わりか」


 彼女は声を失うわけにはいかなかった。デタラメを言うにもハッタリをかますのにもそれがいる。


「言いつけを守れて偉いじゃないか。跪いたのはいいが、も少し頭を下げろ」


 人間離れというよりも、生物離れしている。俺の勝ちだ、と最強の尾が見えた気がして嬉しくなって、ヨゼルを小突こうかと手を伸ばす。炭化した肩に亀裂が入り、さらさらと粉状の人体が散った。

 どうしてこれで生きていられるのか。これが加護の恩恵か、ならばいっそ死なせてやったほうがよほど慈しみがある。これでは呪いだ、死ぬるを禁ずる呪いだと、ヨゼルはその舞い上がる粉を振りかぶって目を細める。


「あなたも大変ね。その」

「性格がか?」

「ふふ、違う。ただの人間には大きすぎる力があるってこと」


 今にも死にそうな蛇口だが、それについて焦りや不安は微塵も感じさせない。茶目っ気たっぷりに威張って、そして笑う仕草をするたびに粉が舞った。


「俺の敵はいつも人のふりした化け物ばかりだ。人間には、なんて型にははまっていられない。この力は必死になって生き延びて得たものだ、俺を見て強すぎるだとか天災だとかほざく連中が寝ている間に」


 俺はずっとこんなことをしていたのだ。崩れた肩を揺すると、ぱらりとまた一欠片。


「無敗だなんて呼ばれてはいたが、敵わなければ逃げ、徒党を組み、罠を張り、実のところお前の嫌いな連中と同じだ」

「そうかしら。あなたは私に興味がなさそうだけど」

「こんな手足でなければ抱きしめているさ」

「さっきみたいに? あれは熱烈だったわね」


 ヨゼルは震える指先で蛇口の胸に触れた。


「もう一度、どうかしら。なんてね」


 骨の髄まで焦げた全身に生気が満ちた。「私の方がこりごりだわ」

 制服まで修復していたし、火傷の一切は消え歩ける程度に骨折も癒えている。細々した傷や痛みがむしろ命を感じさせた。


「なぜこんなことを」


 王に膝を折る忠臣のように、ヨゼルは颯爽と跪いた。無傷であることも合わさってとても敗者の姿ではなく、視線すら合わないよう深く礼をした。


「負けたわ。吸血鬼と真っ向から戦って、真っ黒焦げになって笑うなんて、これじゃお手上げよ。それに今まで出会ったどの人間よりも私に対して真摯だわ。軽口にだって裏がない」

「殊勝な鬼め。この不気味な空の下で今すぐ可愛がってやりたいが、そうもいかん」


 蛇口はあぐらをかいた。ヨゼルの頬に手を添えて、視線を合わせた。


「誰が俺の転生を考えた。お前の一存ではあるまい」

「薄々気づいているでしょう。神よ」

「そうだろうとも」

「神は自らの願いを叶えることに尽力を惜しまない。たとえそれがどんなに怠け者の神でもね。私みたいな吸血鬼に芝居を、あのダンディな神を操るよう指示されたわ」

「もったいぶるお前も魅力的だ。気忙な俺が悪いのだが、少し急いでくれ。つまりは誰だ。そこを頼む」


 一々言うことがキザでうざったい。しかしそれも激闘の後の疲れには甘く響く。答えなければこの問答がいつまでも続くのではと、ちょっとためらった。蛇口ならば付き合うだろう、誘えば自宅でワインも飲んで、夕食すら優雅に過ごすだろう。

 しかしそれでは己が惨めになるだけだ。あの女神が頭にちらついて、二人とも無為な時間を過ごしてしまう。ヨゼフは一呼吸置いて、


「運命の女神フォルトナ。彼女があなたの転生を望んだの」


 とはっきり言葉にした。


「美琴が」

「ええ。あの紅蓮の髪色、百合の髪飾り、真っ白な衣装、間違いないわ。ていうかそう名乗ったわ。本当に不用心だし、あの気だるげな態度は神としてどうなのかしら」


 特徴は全て捉えてある。思えば巡は最初にそう言っていた、俺をあの法廷に連れ出した。大げさなことになったが、答えは最初から近くにあったのだ。


「ではなぜ改めて俺は天界に呼ばれたのだ」

「それは」


 ヨゼフはふいっと顔をそらす。


「あなたが全然負けないから、ちょっと腕試しを」


 くだらない理由である。だが重大で黒幕が糸引くようなことよりも、このくらいの悪ふざけの方がよほど好みだった。


「これからは腕試しがしたくなったら直接来い」


 と頬から手を離した。


「俺の学友に、お前と正面切って勝てる奴はいるか?」

「見た感じいないわ。少なくともあなたの友人で、あなたの知る力量が全てだと仮定した場合だけど」

「えらく回りくどいな」


 ヨゼルは埃を払って立ち上がった。疲れも痛みもないらしく、そっと蛇口を抱きしめた。


「直接的なのが好みかしら」


 珍しく、蛇口はおろおろとどうしていいかわからずに、抱きしめ返すこともせず棒立ちになった。


「困ったな、どうすりゃいいかわからねえ」

「じっとしていて」


 風が吹いた。黒い霧はさっと消え、二人の姿もなく、そこには焼け焦げた大地と石のかけらが何かがあったことを示している。傷ついた時計も残ったが、霧と同時に崩れて消えた。


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