我慢比べ


「あ、う」

「まだ喋れるのね」


 言ってごらんなさい。とロレックは蛇口の会話に必要な器官を自らの魔法で治療した。約束の五分まで残り三十秒である、最後の言葉でも聞いてやろうという気になったらしい。ただしまるっきり強者にありがちな余裕というわけではなく、言葉が発せられるだけの治療であり、体の方は折れていない骨を探す方が難しい。痛みはとうになく、激しい痺れがある。二度目の死が目前にあった。回復させたのも、退屈しのぎにはなった礼、その程度の感覚だった。

 蛇口はまともな呼吸を心底ありがたがるていだ。あと何度か攻撃されれば彼女はきっと死んでしまうだろう、だが最後となる可能性が非常に高いこの際にも、彼女は彼女らしさを保とうとした。


「女の頃から、ロレックか?」


 ウインクでもしようかと思ったが、それすらも億劫だった。


「ミーシャライ・ヨゼル。よろしくね」


 ふりかぶられた鉄拳、言葉とは裏腹に、さよならを撃ち付けた。蛇口の両足がばね仕掛けのように跳ね、馬乗りになっているヨゼルの腰も浮くほどに大きく痙攣した。

 蛇口の腕が浮いた腰を押し、自らも回転した。自分の死すらも、反射的な痙攣すらも餌にして脱出狙っていたのか、呼吸する屍人は折れた足を精神力だけで起立させた。ひじ関節からは骨が二本突き出ていたが、するすると元の位置に戻っていく。


「まだ動けたのね」

「踏ん張っているだけだ。取り決めの五分は過ぎたし、その終わりにあって寝転がったままでは格好が悪いからな」

「そう。賭けはあなたの勝ちね」


 じゃあ、とヨゼルは言う。報酬のなぜ蛇口を転生させたのかを告げようとすると、瀕死の女が待ったをかける。

 加護の光がその全身を駆け抜けて、獣姿の蛇口は目覚ましく息を吹き返した。


「賭けには勝った。それは事実、だが真実は一方的にいたぶられていただけだ。ルールを盾にした勝利だ」

「いいじゃない。それでも」

「俺の我だ。勝ちたいんだ。これで終わらせれば俺は無敗のままだ。贅沢だと思うか? 俺は思うよ、正直な。だが仕方がない、勝ちたいのだもの。さあ、もう一度やろう。ルールなどいらん、やろう。朝も晩も忘れて楽しもう。五分など糞食らえだ、五時間、五日、五十に五百、お前が俺に跪き、恭しく礼節の限りを尽くして理由を述べるその時まで」


 戦おうじゃないか。回復までしてもらったくせに堂々と言った。心底そう思っていそうでやはりどこかおかしい蛇口である。ふらりと歩き出し、レディ・ベルを地面から抜いた。

 ヨゼルは表情を消して聞いていた。残虐をぶつけられた過去を思い出しているのかもしれない。


「意外と好戦的なのね」

「気がついたのさ。戦いはもちろん、勝つのも好きだ。もしかすると敗北にこそ味があるのかもしれんが、知りたくもない。まずい勝利とうまい敗北があれば、俺は迷わず前者を選ぶ。なぜって、敗北が次に繋がる世界にはいなかったものでな、お前はむしろ運がいい。俺が討伐隊にいれば決してワインではすむまいよ。ロレックは存在せず、惑いの名もなかった」


 聞いていられない。蛇口の戯言にヨゼルは飽きていた。退屈そうに、しかしこの日一番の速度で蛇口の首を取りに行った。

 人差し指の爪が薙ぎ払われるも、蛇口はバックステップであしらう。しっかりと攻撃を確認し、その上でかわしたこの行動にヨゼルは戦闘欲求を刺激された。続けざまの中段蹴りは回り込まれ、振り返るとすでに蛇口は距離を取り、何事もなかったかのようにへらへらしている。


「滾るわ。なるほど戦は男の欲求を解放させもするが、抑圧もさせる。お前ほどの美女が横たわっていれば、たとえ罠だとわかっていてもすがりつきたくなるわ」

「私の古傷をいじるのがそんなに楽しいの?」


 吸血鬼は体を霧に変えた。大気を滑り、蛇口を取り囲んだ。


「弱点を突くのは常道だ」


 人が変わったように興奮する蛇口だが、いつでもこの女はこうである。

 霧が首にかかった。実体化した細腕は瞬く間に切り捨てられる。返す刀が足を吹き飛ばし、ぐらついた体躯はそっと抱きかかえられた。


「何を」

「優しさや余裕だと思うか?」


 ヨゼルは脱出しようと胸を突き飛ばした。しかし蛇口の抱擁からは逃れられない。ならばと首筋に噛み付くも、体毛と皮膚に歯が立たない。吸血鬼としての誇りを打ち砕かれそうである。


「何もそれはお前らの専売特許じゃない。世は広いぞ」


 両腕を抱えたままの鯖折り、蛇口のハグは力を増す。抜け出せないことへの疑問はやがて想像を絶する痛みに変わった。

 悲鳴は衝撃波を発生させるほどで、蛇口の耳からは血が垂れた。


「変質を禁じた。カーディオの癒しの応用だ。それとこの膂力は龍だ。俺への干渉もさせぬ。対魔の法があると言っただろう、十六人がかりでやったことは、俺一人になお劣る」


 もがくヨゼル、素で強力な上に逃れようと暴れているため制御されていないので、蛇口の腕を引っ掻く傷は刀傷のそれである。悲鳴が止むのは噛み付いている時だけで、繰り返すうちに肉が見えた。


「獣姿はレオシスタより。奴は強かったぞ、何せ魔法の類が一切通用しないのだから」


 大木が周囲の枝を巻き込みながら倒れるような騒々しい破砕音。ヨゼルは噛み付いたまま泡を吹いた。


「観衆もいないし、こんな勝ち方でもいいだろう。まさか殴って蹴って、そんな勝負をご所望だったか?」


 蛇口はヨゼルの白い首筋に歯を立てた。獣と龍の牙があっさりと食い破り、吐き出す。肉片が落ち他のと同時に、吸血鬼の体も力が抜けた。


「はっ、こうやって英雄の油断を誘ったのか?」


 クラッチした両腕をさらにきつく固定し、反り投げした。フォールはせず、立ち上がりまた投げる。


「意識があるうちはまだ辛い。いっそ気絶したいと思ったら言ってくれ」


 風を唸らせまた投げた。ヨゼルの後頭部は幾度も大地に打ち付けられ、その度に蛇口は励ました。「調子はどうだ」から始まり「こんな抱き心地のいい女は滅多にいない」まで八回ほど続けた。


 ただの投げ技ではない、人知を超えた加護を付随させ、吸血鬼の力をもってしても脱出や抵抗を許さない技量と膂力を有し、さらには蛇口のいやらしくうざったい言葉による精神攻撃も多少の効果はあったらしく、


「もう、いいでしょ」


 とか細く聞こえた。すぐにもう一度投げられた。それもかつてないほどに激しく。


「悪いが降参すると言って降参してきた試しがないのでな。言われてからものが言えなくなるまで叩くことにしている」


 ヨゼルは心の奥底の人間不信のくすぶりに身を任せ、蛇口の腰に手を回した。


「ほらな」


 白い腕からほとばしる黒い火柱は女二人を中心に空へと高く昇った。


「女は嘘を吐くものよ。こうやっていつまでも抱き合っていたいわ」


 密着した組み合いは投げ技を許さない。熱が喉と鼻を焼くが、彼女は彼女であった。


「龍の火を、くらってみるか?」


 ごうと灼熱、龍の息吹、黒き火柱と螺旋になって舞い、ヨゼルは露骨に渋面をつくった。


「わっはっは! 我慢比べだ! だがなあ、俺はこう言ったぞ。膝を折って恭しく理由を述べろとな」


 どうやら火柱など俺でもできるとただ演じただけだったらしい、すぐに火炎は黒一色に戻り、


「手を離すなよ」


 と、鯖折りから力が抜けた。「焼いてみろ。できるものならなあ」


「お望みなら」


 ヨゼルの抱擁は火炎より熱烈で、その微笑ですらも蜃気楼に歪む。蛇口の顔も同様だが、ぐにゃりと曲がった口角は、たとえ熱波がなくとも上を向いていただろう。

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