決勝戦


「黒辻飾。Eランク」


 簡単な紹介のアナウンス。彼女にとって不本意なランクだったので家族にも見にこないでくれと頼み込んでいたほどである。この祭りの本質は強いか弱いかを決定づけるものであり、さすがは決勝戦でその観客も千を軽く超えている。熱気をもろに浴び火素ははしゃいだ。


「火素小町。Eランク」


 おどけたようにくるりと手を振って、この客たちは全て自分を見に来たのだという態度だ。


「蛇口無心。Eランク」


 蛇口は腕を組んで、客席に誰かを探した。


(宝、南、山暮と浜野もいる。尾崎はいないか)


 記憶にあるかぎりの知人を探した。それをすることで、緊張を和ませようとしている。この俺が、とそれを情けないと思いつつも、しかしこれから戦う良順たちを見ればみるほど自信がなくなっていく。

 正真正銘、今までとは違う本物の強者だと認めていた。先ほどの顔合わせのときも、良順はその肝の太さを褒めたが、蛇口は手のひらにも脇にも背中にも、轟々と流れる冷や汗をかいている。


(負けるわけにはいかん)

「巡美琴。Eランク」

「私は勝敗などどうでもいいが」


 お前らが勝ちたいと思うのであれば、私もそういう気持ちになる。巡も少し興奮していたのか、そう言った。


「勝てばやはり嬉しいものだ」


 ポケットから小さなパック酒を取り出した。花見気分できていたオヤジ連中からもらったらしい。


「正気か?」


 司会はもう良順の名を読み上げている。開戦まで待った無しなのだが、おもむろにストローをさし、すすった。


「んっくっく、そのうち麦だとか米だとかをそのまま食ってしまいそうで、私は私が怖くなる」


 はははと笑って、巡は突然に蛇口の股を思い切り打った。目玉が飛び出るほどの衝撃にうずくまる。


「ぐわっ!」

「冗談だよ。縮み上がっていただろう? だから殴っても平気かと思った」

「馬鹿! そういう仕組みじゃない!」


 男であれば容易に想像できるこの痛みに、当然ながら黒辻班は共感できないでいる。


「なにやってんだ? 変態か?」


 火素もむろんそうである。この戯れを怪訝そうに見ている。


「美琴、俺もお前の乳房をひっぱたいてやる」

「気色の悪いことを言うな。もう始まるぞ」


 とことんまで緊張感がない。対して良順たちの気合いに入りようはどうだろう、三人が三人とも目がくらむような凄絶な戦意だ。


(痛え、何も考えられないくらい痛い)


 回復に努めてはいるが、しばらく時間がかかるだろう。痛みで集中できないし、これでは腹を切ったときの方がよほどましだった。


「ビビるなよ。蛇口」


 黒辻と火素は駆け出した。目の前の敵へのみ、己の意識や暴力を差し向けている。

 まだ痛みの去らない蛇口へと、巡は久しぶりの声音をぶつけた。出会った時の、森の祠で聞いた荘厳なる声だった。


「確かに連中は強いのだろうが、それでも奴らは八十年後に大往生などできない。奴らには無理だが、お前はそれを成したのだ。我ら神々に祈りもせず、怨嗟をぶつけることもなくな。飽くことなく狂気そのまま生を駆けた蛮なる男よ、私はお前の守護神のつもりなど毛頭ないのでな、股座を打つことしかできんのだが」


 何が言いたいかというとだな。巡はあぐらをかいて、酒を飲んだ。ひょっとすると、客などは戦いに興じるものよりも彼女を疑問視する連中の方が多いかもしれない。


「早く負けてこい、ということだ」


 巡はそう、半分だけの本心を告げた。


「そんなに酒が飲みたいのか?」

「バレたか」


 蛇口は幽鬼のような足取りで、律儀にも待っていてくれた氷澄に頭を下げた。


「お前、金的についてどう思う」


 続けてそうきいた。


「一つの手ではありますけど。それを防ぐ練習もしています」

「別に仕掛けようってわけじゃない。ただ、痛いよなあって。なあ、痛いよな?」

「え、ええ。そうですね」

「ごらぁ! 好、楽しくおしゃべりなんぞするなぁ!」


 良順は黒辻と早くも切り結び、剣戟の最中に叫んだ。首を竦ませ、軽く微笑み、氷澄も瞳の輝きを深く鎮める。張り付いていた微笑みはその面影を残さない。

 蛇口はこの大会で初めて剣を抜いた。妖しく輝く幾何学が慈母のごとくに持ち主を励ました。


(あの阿呆に励まされるとは)


 振り返りはしない。どうせ酒をかっくらって、もしかしたら寝そべっているかもしれない。まさかとは思うが居眠りなどしていないだろうか。想像するだけでおかしくなって、つい笑みがこぼれた。




 残影と流れ星の戦いはそのあだ名通りの剣速と身のこなしで、あたかも静止しているようにすら錯覚させる。止まったかと思えば、また別の位置に高速移動しており、一般観客のほとんどを置き去りにした別次元の戦いをしている。

 だが坂々の関係者には、どちらが優勢なのかわかる。


「音に聞こえた残影が、こうもいいようにされるのか」


 良順は魔法を使い、身体に装甲をまとっている。星羅装甲という、彼女の一族に伝わる魔法だ。

 巫女装束に似た紅白の装甲が藍染の道着を包み、さらには木刀を大ぶりの本身に変えている。

 身体機能や動体視力を底上げし、さらには炎を生み出し刀に纏わせるなど、とてもEランクとは思えない。もっとも、彼女は氷澄への態度が災いしてのランク付けなのだが。


「明星流の剣の冴え、とくと味わえ!」


 どちらも刀を用い、どちらも流派の子である。差は魔法にあった。

 防戦一方、肌には無数の赤い線。眉の上の流血が片目を隠した。しかし勝機を探すその精神の太さに良順は感激し、さらに攻撃の手を増やしていく。




「火素だ。よろしく」


 三つに分かれた戦闘模様。蛇口の痛み、黒辻の防戦、そして火素。彼女の相手は会津高町である。


「うん。会津です。よろしくね」


 中性的というよりも、ずっと少女らしい顔である。変声期が訪れないままのアルトボイスで、制服が詰襟でなければ、とても男子高校生には見えない。

 だが殺気は本物である。火素は彼から発せられる不気味な殺気、というよりも、様々な不穏を凝縮させた物理的な圧迫感を正面から受け、対峙しているだけで鼻血がでた。


「おっと」


 ぬぐい、覚悟を決めた。会津の刀が不気味に光る。じりじりと距離は縮まっていき、その間にも、鼻血が垂れる。顎から滴る。呼吸は荒れて、肩が上下する。がふっと咳き込んだりもした。

 生来の気質が勇猛だから、一歩前に出る。それだけで息がつまる。大観衆がいる、歓声もある、しかし火素にはそれが届かない。この舞台がまるで密林のような、自分と、こちらを睨む猛獣しかいないようなむっとする息苦しさを感じていた。


(本当に人間か)


 会津はそこにいる。正眼に構え、にじり寄ってくる。それだけでなんだか人の形をしている別の生物のような気がした。

 一足飛びすれば、火素は切り捨てられてしまう間合いではあるが、素手の方からするともう一歩だけでも近づきたい、そういう位置関係にいる。

 火素は顔の下半分を赤く染め、床をこするように足を進めている。会津の間合いを探りながら、突きつけられた死そのものとも闘っている。

 呼吸がなかば封じられているため、火素は気力を振り絞りゆっくりと息を吸い、素早く全てを吐き出した。同時に会津の間合いへと飛び込んだ。すると、人型の獣も呼応して、わずかに重心を前に倒す。それだけで足が止まりそうになるのを必死にこらえる必要があった。

 ぴっと風切り伸びる一刀、すでに麻痺した感覚によるものか、火素はこれにあまり恐怖を感じなかった。


「あっ」


 やや鈍い巡にも二人を取り巻く猛毒のような空間は知覚できていた。おそるべき気配に目が離せず、だからこそ見てしまった。何かが火素の背中から飛び出すのを。




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