尾崎班
「新入生大会、準決勝戦、これより開始いたします」
ここまでくると、ひとりひとり名前を呼んでもらえる。先に黒辻たちの名が呼ばれ、さらにはランクまで発表された。
Eランクなので、どうしてここまでこれたのかと会場がざわついた。例年であればメンバーの全員がDランク、優勝する班に一人はCランク以上がいた。
ただ、残影と猟奇魔だけは周知であったようで、黒辻班は彼女だけで成り立っているのだと判断された。ほとんどの観客は、黒辻たちの試合を見ていない。eランクはいつ消えてもおかしくないため見物していても雑談の方がよほど興に乗るのだ。
黒辻たちにはなかった盛り上がりが対戦相手にはあった。紹介のたびに爆発したような太い叫びがきこえる。黄色いものも混じっていた。
「一ノ瀬水樹。Dランク」
細面の女で背が高い。制服の上から分厚いジャケットを着ているのだが、それは軍人だった父親のお下がりである。ナイフを手の内で遊ばせているのはくせなのだろう。
「道満忍。Dランク」
一ノ瀬よりも頭二つ小さい少女。くせ毛が視線を隠し、大きめの制服や肩を縮こませる緊張が、彼女の印象を実年齢よりも幼くみせた。腰に巻いてある鎖の束が彼女の武器なのだが、ぶかぶかの服装に他の武装を隠していても不思議はない。
「草陰透子。dランク」
真っ黒なショートカットが風に揺れ、ギラギラと瞳を光らせている。拳に巻いたバンテージと鼻の頭に貼られた絆創膏が彼女の活発さを引き立て、紹介に合わせてジャンプするなど、目立ちたがり屋でもある。
「尾崎聖奈。Cランク」
革のベルトから鉈を外し、二、三度振った。尾崎班の班長でもあり、一見大人しそうではあるが、これまで六人に重傷を負わせている。坂々学園の内外からもかなりの注目を浴びているルーキーだ。
割れんばかりの歓声を浴びて、尾崎が恭しく一礼する。
「班長の尾崎です。よろしくお願いしますね、黒辻さん」
にこやかだが、その裏にある残虐性は隠せない。瞳に生気はなく、返り血のついた制服だけが風に踊る。鉈で肉を切る瞬間のみが彼女に生を与えていた。
「うん。胸を貸してやるから、勉強しなさい」
黒辻ははっきりとそう言った。挑発ではなく、真実そう思った。表情も晴れ晴れしい。
(あんな連中に負けるものか)
単純に彼我の戦力を考えたとき、それはあくまでも自然な発想だった。言い方はまるで教師のようなものであったが、どうやら火素や巡を下に抱えていると時としてこういう言い方をしてしまうらしい。
懸念すべきは巡であり何度も後ろにいなさいと言い含めている。そこさえ無事なら問題はなかった。試合を重ねていくうちに、火素を信頼し蛇口を頼るようになった。黒辻があれこれ指示を出さずとも、彼女たちは自発的に自らが倒すべき相手を選び、そして倒す。その選択は妥当に思えるものばかりだったし、黒辻をちらりと窺うなど、可愛らしいこともする。
「勉強、ですか。ええ、たくさんさせてもらいます」
尾崎はこの連中、Eランクの分際で何を、と侮辱された思いがした。しかしさすがはEランクというべきか、深呼吸一つで冷静さを取り戻し、小声で作戦を確認した。
「全員で一人を落とします。まずはあの火素、赤の一番から」
人伝ながら、火素が先陣を切ることが多いと知っていた。それを囲んでしまおうという作戦である。ついでながら巡を赤の二番と呼び、黒の一番、二番を黒辻、蛇口としていた。
多人数で一人を倒すという、今まで黒辻たちがやってきた一対一の場面を作り出すことと真逆を作戦とした。この方法が効果的だということを歴戦の蛇口が知らないはずがないのだが、彼女は口出しをしない。巡が参加できない以上、どうやっても四対三になってしまうので、最初からそうすることをやめていた。
黒辻は先ほどの大言について、仲間に説明している。
「ああ言っておけば私に敵の目が集まるだろうから、それをお前たち二人で阻んでくれ。そのうち一人だけこっちによこせ。蛇口が前に言っていたことだ」
勝つと信じて疑わないからこその発言だった。挑発したとは思っていない。
「ああ、なるほど。巡の堂々とした態度にかかっているわけか」
「責任重大だな。頑張るぞ」
(ホントにこいつは)
と無邪気な巡に微笑むが、火素は自分が狙われているとはもちろん知らない。しかし全員私が倒すのだという気ではいる。
「俺は草陰をもらおうか。お前となんだか似ていてぶっ飛ばしやすい」
「うるせー。つーかダメだ。あれは私のもの」
「じゃあ誰をくれる」
「道満だ。陰気臭さそうだし、根性もなさそうだからいらない。で、一ノ瀬ももらう」
後ろに、つまりは誰を黒辻にぶつけるのかはすぐに決まった。
「うまいのは、やる。尾崎は残影が斬れ」
こうした誰に誰をぶつけるとかの作戦は火素がよく仕切った。不思議なことに、異論はほとんど出ない。
尾崎たちは決めてあることを確認したが、黒辻たちはぶっつけ本番である。審判がイラつく程度には話し合っていた。
「ごめんね。昨日の晩飯がうまかったから」
火素は悪目立ちしている。ふと、目立っているとかを抜きにした、殺気が四つぶつけられていることに気がついた。
(あれ? 私狙いか?)
そうと気づくと、蛇口に目配せした。審判の号令寸前である。
「なんだ、お前が四匹も食らっては、俺の腹と背がついてしまう」
「話が早い。誰でもいいや、一匹あげる」
「試合開始!」
殺到する尾崎班、泰然と進むは火素で、そこに追従するような蛇口だ。
蛇口はあえて歩みを遅らせて、火素だけを戦場に放った。
道満の鎖がさっと解け、火素の腕、ひいては身動きを封じ、そこに三人の剣尖を、という流れが尾崎たちには見えていた。
火素は身をよじり、それを掴んだ。超人じみた動きである。
その背後には蛇口がいる。餌を前にした獣のように舌舐めずりをした。
尾崎たちが、奴らは危険である、と判断した順でいうと、尾崎がまず横っ跳びに転がり、一ノ瀬も倒れこむように逃げた。
遅れたと判断するにはあまりにも俊敏で、しかし結果だけを考慮すれば、それはやはり遅れたといえる。草陰と道満だ。
前に突っ込んできた蛇口の鞘に収まったままの一刀が草陰の脳天を激しく撃ち、頭蓋の白さが露わになって、すぐに眩しい赤色が皮膚のあった場所を埋めた。
傷口をむんずと掴み、客席に放り投げると、まだ戦闘中であるというのにも関わらず、高らかに笑った。
「頭を下げろ、三つ指をつけ。黒辻先生に届くようにな」
肩に剣を担ぎ、返り血を制服で拭った。
「まずは、二匹だ」
火素は鎖を引いた。何気ない動作だったが、鎖の先を持つ道満は勢いよく引かれ、宙に浮いた。
鎖から手を離し、トンボを切って着地すると、また草陰のものと同種の、大輪の花が咲いた。その花の刈り取り方も似ていて、二人は堆肥のように客席で積み重なった。
「赤毛、全部俺で、よろしいか?」
「冗談。次は私がやる」
尾崎たちは、慢心を捨てるには遅すぎた。すでに主導権を奪われ、人数も半減している。舐めていたなどとは言い訳に過ぎず、もはやここから挽回できるかどうかを信じ切れる精神力もなかった。
「おい一ノ瀬! 勝負だ。一対一でやろう」
集団戦で勝ち目がない。黒辻もいるし、何よりあの不敵な巡が気になる。相手が個人戦を望んでいるのならばそれに乗った方が、と、もうほとんど敗者の心理で顔を見合わせ、一ノ瀬が前に出た。やると決めれば覚悟を決めるあたり、戦士ではあった。
「レディファーストだ。ああ、なんかこのフレーズ、気に入った」
舐められている。しかしそれはチャンスである。一ノ瀬は勇敢な本来の彼女に立ち直り、ナイフを順手に構えた。
短い息吹、距離を詰め、突き出すその手は火素の腰へと疾った。
パン、と腕の内側を弾かれる。視界の下方に映る影に身を起こしバックステップ。この選択は正しかったのだと、火素の蹴り上げた足が教えてくれた。
そこからは短剣と拳が皮を裂き肉を削り、しかし命には届かない、熱視線がぶつかり合う際に生じる火花のみが互いを刺し貫く、魔界の拷問のように苛烈な血戦となった。
ギラギラと刃は火素の腕や足を切り裂いた。しかし拳は一向に一ノ瀬に届かない。
一ノ瀬はその殴打に触まいと、もてる力の全てをもって抵抗している。対して火素は、まるで怪我を恐れず手足を無造作に晒している。武器に素手で挑む場合の常識を完全に無視していた。
一ノ瀬にはわからない。こうまで火素が強気な理由がまったくわからない。一対一を望んだ理由もそうであるが、一番わからないのは、耳のそばをナイフがかすめるそのたびに、この女はどうしてこんなにも嬉しそうにするのかである。
そうした雑念が勝敗をわける。こんな些細な思考のブレで勝敗は決まってしまう。
一ノ瀬の膝が崩れた。外側からの下段蹴りが、関節をこれでもかと痛めつけたのだ。たった一発、されど一発、一ノ瀬は骨が飛び出た関節に、むしろこれを理由に負けを認めたふりをして、その隙を突こうとした。手にあるナイフを捨てひょこひょこと足を引きずり、激痛に目尻を下げた。健闘したふりがふりにはならない怪我だ。
彼女はどう勝利するかを考えて、その上で降参をする。
「私の負けだ。もう満足に歩けもしない」
言い終わらないうちに、ナイフが蹴飛ばされた。「負けなら武器はいらねえよ」
「わかった」
と、スカートに忍ばせた数本のナイフも落とした。ジャケットの裏、腰に備えた一本に望みを託した。
「私には、わからない」
無事な足をひっかけられて、倒れた。痛みに歪むその顔に、火素渾身の一撃が叩きつけられる。
「お前の、一存で、決められて、たまるか」
リズミカルに鉄槌は振り下ろされる。一ノ瀬の体が大きく跳ねるとようやくやめた。
「収集がつかんな。おい、尾崎!」
蛇口が呼ぶと、火素の描き出す暴力劇場によって助けに行く足を縫いとめられていた尾崎が、肩を震わせて油の切れたからくりのように、情緒の安定しない瞳がぎこちなくむいた。
「ほら、頭を下げろ。三つ指をつけ。仲間が死ぬぞ」
この土壇場でも、尾崎にまだプライドが残っていた。格下Eランクの蛇口に指図されるのが気に入らなかったが、
「殺さねえよ! もうちょいいけるって!」
がちん。また一つ槌が鳴った。火素の試合続行の意思が満々なのを悟り、すぐにひれ伏した。
「か、勘弁してください」
「げ、まずい!」
火素は馬乗りになった一ノ瀬をすてて、尾崎の元へ駆け寄った。
「降参します」
無防備な脇腹につま先をめり込ませ、苦悶にうずくまるその姿に頷く蛮なる女、
「いいよ。黒辻もそれでいいよな!」
と、気が晴れたのか、しかし警戒は解かず尾崎の腕を踏みしめて、満面の笑みである。
「認める」
なぜだか、巡が言った。黒辻も頷いた。
こうして試合は終わった。後味は非常に悪かった。途中からもう一つの試合を見にいったものも多く、せっかくの舞台なのだが、観客は少ない。
時間にすれば五分ほどであり、そのうちの半分は、火素の残虐性を示すだけのもので、尾崎の判断によってはずっと早く終わっていたともいえる。だがこれは無理なはなしでもあり、尾崎の目には実力を確かめあってきた仲間が蹂躙されていく様しか写っておらず、その心が空っぽになってしまったのだから。
黒辻たちは決勝戦に臨む。だがその態度は一回戦敗退のような気楽さがあって、次の相手を見物に行くにもどこか祭りの気分にどっぷりと浸かっている。
巡は人々の信仰心を金に変えるという神器を使い、彼女らしからぬ小心さでたこ焼きを一船だけ買った。六つ入りで、班員に配った。世話になっていると、黒辻には一つ多く与えた。
わざわざ山暮を探し、付き添いの浜野にもそれをやったので、当たり前だが自分の分はなくなる。彼女のおかしさは、たこ焼きがなくなるまでそのことに気がつかなかったことだ。
「あ、ありがとう。でも、あなたはいいのかしら」
と最後の一つを、なぜ私たちに、と不思議に思いながらもその好意を拒むこともできず、優しくそう言った。
「うん」
あまりに切なく頷いて、いいんだ、と呟かれてはたまらない。たこ焼きひとつにここまで落ち込まれては変えって困る。
あれだけの騒動があっても山暮たちは巡に対してほんの些細な悪意も抱いておらず、ひいては黒辻班へもそうだった。猟奇魔の疑いが晴れた、というよりもうやむやになっていたし、火素の爽やかな態度や、巡のこういう無警戒さにほだされたのかもしれない。
「えーと、そうだ。すごいじゃない、決勝まで進むなんて。次の対戦相手は」
山暮は話題を変えた。
「多分、良順さんのところでしょうね」
「良順?」
黒辻に冊子を預けているため、山暮のそれをみせてもらう。みたところで巡にはわからないが、
「ほー」
とわかったふりをした。
「あなたたちと同じランクなんだけど、めちゃくちゃ強いよ」
浜野がそれを補足する。
「ほら、毎日、廊下いっぱいに響く怒声がするじゃない。その人が良順さん」
寝てばかりの巡はそれを知らない。
「よし。黒辻に教えてくる」
「あ、走ったら危ないわ」
保護者のように浜野に注意され、これまた子どものように走りながら手を振ると、案の定つまずいた。
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