安堵
準決勝を控えた黒辻班の控え室にはわざわざ個室が与えられた。簡素なものだが、勝者の特権である。そこで陣中見舞いに来た山暮と浜野がくつろいでいる。
「本当に勝ち進むとは思わなかった」
これが周囲の反応の、生の声である。猟奇魔の一件で同情のようなものはあったが、だれの心にもすぐに負けるだろうという思いがあった。戦う前から怪我をするようでは実力もたかがしれているといったところだろう。
「期待などされていいことはない。私もかつて神だったころ、それはもう大変だった」
「ははは、蛇口がうつったな」
冗談のように受け取られたが、人は苦難や幸福に直面したとき目に見えない神秘を崇拝したり憎悪したりするもので、しかしそうした様々な感情をもろにぶつけられてもどうすることもできな巡だったし、またするつもりもないのが巡である。うるさいな、またか、とだらだらしているのが常だった。
もう試合まで時間もないのにこうして談笑できているのは、やはり精神の仕組みがふつうとは違うのだろう、蛇口にいたっては姿もない。
「便所にしては長いな。ビビって下したか」
「そんなタマじゃないだろう。しかし、班長に断りもなくどこをうろついているのやら」
(タマとか言うな黒辻。そんなタマなんだから、あいつは)
すると安っぽいドアを開け、蛇口が戻ってくる。
「遅かったな。どこへ?」
「医務室だ。お医者のところへ。これから怪我をするかもしれんからな」
このタイミングですることかどうかは疑問ではあるが、彼女にしてみれば今なのである。というのも、準決勝戦は凄まじい死闘になるであろうから、治療はする際に黒辻たちを最優先でしてくれと頼み込んでいたのだ。
陸としては、治療は望むところであるが、そこに優先順位はつけられないと固辞した。蛇口はそれもそうかと納得しすぐ引き下がろうとしたのだが、そこで陸はとある勘違いをした。
(会いに来る口実だったのかしら)
自分はしくじったのだと思ってからの行動は素早く、
「まあお茶でもいかが」
と、誘った。
これに蛇口も考え違いをする。
(職務にも忠実。命は命と分け隔てがない。その上、人もいい)
と、かたやひとりで舞い上がり、かたや見直し、食い違った親愛さで安らぎのひと時を過ごして帰って来たのだ。
「襲われるにしても、私も学園内がよかったですわ。そうしたら私の無事を良美ちゃんにもすぐ伝えられたのに」
その視線は蛇口に注がれている。
「浜野、常駐戦場とはお前が言ったことじゃないか。襲われる前に対処しなければ、と俺が言えたことでもないがな」
もう気が気ではなかったが、そこは古老の泰然さでさらりと受け流した。
「ですわね」
車椅子に乗りながら、ちろと舌を出したその姿はとても戦士には見えないが、蛇口は不気味さを感じていて、
(やはり潰しておいて正解だった)
と、安堵すらしている。
歓談を貫く無情なアナウンスが黒辻班を呼んだ。途端に臨戦の緊張感がプレハブに充満した。
「美琴、俺の剣はどこにおいたかな」
「ん。ちょっと待ってろ」
「なんで自分で探さねえの?」
「それはだな、あいつの神器に武具を収めておける箱があってな、そこに収納しているからだ。奴はそれを誰かに見られるのが嫌なのだ」
「相変わらずバカみたいなことを言うなあ」
運命の神はいくつもの運命を眺めているだけに、無数の伝説の現場をも目撃している。伝説には武器がつきもので、そういった人の手には余るような武器を保管するのも巡の仕事であった。
しかし怠慢によりその役割は他に移ったのだが神器自体は手元に残ったままで、そこに蛇口の剣を収めている。
これはまったく火素たちには理解できないし、させようとも思わないので、また蛇口と巡の性格からいっても、ホラ話に過ぎないものになっている。
「ほら。これだろう」
「巡、それどっから持ってきたの?」
「え、いや、内緒だ」
(実に愛くるしい馬鹿だな)
黒辻は我を忘れ保護者のつもりで眺め、再びのアナウンスによって現実へと戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます