寂しさのかけら

 黒辻班は順調に勝ち進んだ。棄権した二組が賢明と称されるほど、酸鼻な試合に、猟奇魔の噂を人々の記憶から消してしまうほどだった。だが観客は少ない。他の試合に比べてランクが低かったためだ。

 明日の準決勝戦は専用に設えられたステージで、大観衆の前で行われる。勝ち残ったどの班も、ほとんど無傷で、それが実力の証明でもあった。


「消化不良だぜ」


 火素は先ほどからクダを巻いている。賞賛もなく遠巻きな視線だけを浴びながら学園を出て、蛇口たちの家に向かう途中である。


「もっとバッチバチに喧嘩ができると思ったんだけどなあ」

「椅子」

「うるさいな。でも、あれくらいの感じがちょうどいいよ。バーリトゥードだ。お前くらいがちょうどいい」

(仲がいいのか悪いのか)


 黒辻も同行している。まさか蛇口と巡が同居しているとは思わなかったので興味があった。


 酒屋によりたい、と言いかける巡の口を蛇口がふさいだ。


「どうした?」

「なに、晩飯を買わねばならんのでな。その相談を」

「そんなことか。今日は私と火素で用意するよ」

(飯もいいが、酒を)

「じゃあこのまま商店街に行こう。な、美琴もそこで買いたいものがあれば買うといい」

「何が食いたい?」

「さ」

「魚だな。そうだよな」


 酒と出かかる巡である。蛇口は必死になって先んじた。


(黒辻もいるのに、おおっぴらに飲んだら小言を言われるに決まっているだろう。今日は控えろ)


 小声で呟くと、おお、なるほど、と軽く頷いた。子どものような無邪気さと、思慮の浅さのある女である。

 買い物を終え、あれだと蛇口が安アパートをさした。


「二階の端だ」


 青く錆の浮いた階段は踏みしめるたびにに嫌な音がする。


「片付いているじゃないか」


 玄関をくぐると黒辻はその狭さには触れず、彼女の優しさが染み出したような褒め方をする。


「狭いな。布団も出しっ放しだし」

「その方が効率がいいだろう」

「ズボラの典型みたいなこと言うなあ」


 火素はその布団の上に座った。娯楽のない部屋なので、じっとしている他になかった。


「お前らいつも何やってんの? テレビもなければトランプすらないぞ」


 酒を飲んで馬鹿話を、そうして眠くなれば寝る。およそ高校生にはふさわしくない生活だが、蛇口はいつまでも八十のじじいのつもりでいるし、巡にいたっては人間とは飽くまで酒を飲むものと決めつけ、自分もそれを好んでいるために変えるつもりもなく、そういう過ごし方に疑問も抱かない。


「トランプはないが、花札はある」


 これは酒屋の店主に教えてもらった。巡が面白そうだというと一組くれたのだ。


「ルールがわかんねえよ」

「教えてやれ。俺は黒辻の手伝いをしてくる」


 男が台所に立つものではないという考えが蛇口のいた世界にはあった。しかしスパイ活動をしていると、様々な職に自分をはめ込む必要があり、その際に料理人にも身をやつしたことがあった。


「俺があの店で、一番芋の皮むきがうまかったんだ」


 と、黒辻の隣に並んだ。芋ではなかったが、人参の皮を剥いていた。


「あの店?」

「リーシア帝国のウエクという町にあるレストランだ。偉い連中がこぞってくるような高級店でな」


 エプロンはない。仕方なく、黒辻はタオルをえりに挟み代用にした。


「ほー。例の間諜か」


 魚をおろしている。やたらと手馴れていたのできいてみるとたまに釣りをするらしい。

 塩はあるが、醤油はない。調味料が塩と砂糖しかないのは、やはり異世界からやってきた二人であるから、存在は知っていても、例えば味噌とか、そういうものにちょっと怯えたからだ。


「ああ。そこを訪れる政治家を、まあ浜野にしたことをするためだ。給仕として潜入したが、雑用はなんでもやった」


 包丁が一本だけある。二人暮らしにしては鍋が大きいのは、水を貯めておけるという理由からで、買った時はまだ水道を信じていなかった。


「従業員の飯も俺が作っていたんだ」

「高級レストランのまかないか。なんだか責任重大な気がするな」

「余った具材をな、まとめて煮るんだ。材料がいいからそれなりに味が出る。あとは潰した煮豆をパンに塗って、みんな豚のようにがっついていた」


 給仕の仕事は主に接客であるが、ここまでしていたとあれば相当な人手不足だったのだろう、忙殺されているなかだから、すぐに胃に収められる簡単な料理の方が喜ばれた。


「ちょうど、そんな感じだ」


 蛇口は鍋に目をやった。ぶつ切りにされた野菜がぐらぐらと煮えている。


「これはただのカレーだよ」


 黒辻は下処理のすんだ魚をそこに入れた。しばらく煮込めば完成だという。


「名前はきくが、食ったことはないな」

「私も初めて作った。いつもは妹が世話を焼いてくれるからな。しかし、存外に簡単だな」


 居間で火素が叫んだ。「汚ねえ! その役は教えなかっただろ!」


「いいや教えた! これが十枚揃うと役になると言っただろう、点数の大きなものだけしか頭に入ってないのか!」

「私も昔、祖母とやったな」

「あの遊びはそんなに有名なのか」

「さあ。火素は知らなかったし、でも年長者であればあるほどできるんじゃないか」


 なるほど、俺は知っていないければならんな。蛇口はひげがあるような手つきで顎を撫でた。


「赤丹! こいこいだ!」

「カス。やーめた」


 覚えたての端役をつかって火素が上がると、巡は嬉しいような悔しいような、歯噛みして熱中している。


「煮えただろう」

「ん、そうだな」


 少し生臭い匂いがする。そこにカレールーを入れ、適当にかき混ぜた。「これがカレーか」


「誰にでも作れる。お前も巡とやってみろ。日を置いても食えるぞ」

「調理法がわからん。教えてくれ」

「ははは、そうだな、誰でも作れるが、私も勉強しておくよ」


 盛り付けようにも皿がない。黒辻が紙皿を買ってくると出ていくと、火素が花札の手札を伏せ、キッチンまで覗きにきた。


「カレーだ。魚はどこだ」


 巡は伏せられた手札をめくり、蛇口と目があったが、唇に指を当ててそれを秘するよう合図を出している。


「どこって、鍋の中だ」

「鯖カレー? きいたことがないな」

「黒辻がやることだから大丈夫だろう」

「それもそうだ」


 黒辻の言うことに間違いはないと、ちょっとした狂信者のような二人である。


「火素! 早く勝負しろ!」


 相手の手札を見るどころか、山札の順番まで積み替えていたので、勝敗については語ることもない。なにも賭けてはいないが、二人は姉妹のように興じている。

 普段から蛇口ともするが、賭けはしない。賭けるものがなにもなかった。


「美琴、赤毛、黒辻が戻ってきたら飯だ。机を空けておけよ」

「わーかってるって」


 蛇口は火素の後ろに座った。手札と場にある札を見比べて、おかめ八目に、


「その左だ」

「違う、そっちじゃない」


 とか、口出ししていると、やはりうるさいと叱られた。

 ふと、火素の尻に目がいった。真剣になっているからだろうか、正座でいるのだが、折りたたまれた足の上で、丹だとか光だとか騒ぐたびに尻がぴょんと跳ねると、蛇口はたまらなくそそられる思いがした。


(赤毛め、胸は俺よりも薄いくせに、尻はいい形をしていやがる)


 と、なんの因果のない悪態をついた。巡は蛇口があぐらをかきながら、火素の尻をじっと見つめているため、


(あいつ、何かする気じゃないだろうな)


 と、心配しているその最中、突如その尻を鷲掴みにした。おもちゃに飛びつく子猫のような俊敏さである。

 火素は声もなく、その手を振りほどくこともできず、反射的に尻を浮かせ膝立ちになった。


「な、な、な」


 困惑しきっていると、はらはらと手札をこぼした。そっと振り返ると、蛇口が自分の尻をぐにぐにと揉んでいるではないか。


(お、これ欲しいやつ)


 と、巡はその手札の一枚を自分のものと交換する。


「虫が止まっていたからそれを取ろうとな」


 ぬけぬけとそう言い訳した。明らかにその感触を確かめようとした手つきであったし、股間もかすかに熱を持って、鋼と化そうともしている。


「あ、ああ、虫か。そうか、びっくりしたぜ」

(わはは、信じたなぁ)


 打たれるくらいの覚悟はしていたから拍子抜けした。そんなことで覚悟を決めるほど魅力的であった。


「じゃあ服に虫の汁がついたってこと?」

「いいや、逃げられたよ」

(またやるぞといっているようなものではないか)


 巡の想像通りである。その機会を見計らっているうちに黒辻が帰ってきて食事になった。


「おお、これが」

「妙な匂いがするな」


 カレーを初めて食す二人は、香辛料と磯の匂いに、かなり食指を動かされた。何がおかずでもパンが基本の蛇口たちであるから、この食事会もそうである。ライ麦パンやフランスパンが故郷の味に近いらしく、巡がそれを切り分けた。


「黒辻の家ではよく食うのか?」


 カレーとは各家庭にそれぞれの味があるものだが、火素にとっても初体験の食べ物だった。


「いいや。うちは魚を入れない。それに白飯で食う。だから今日は特別だ」

「特別なのか」

「ああ。こいつら、カレーを食ったことがないらしいし、私も初めて作ったからな。初めてが二つも重なれば、特別といえるだろう」


 その自信満々の態度は、巡のそれにかなり似ていたことが不安ではあるが、食ってみると想像よりずっとうまかった。


(でも、次は私が手伝いに回らないとやばいかもしれない)


 火素の不安をよそに、深い鍋に作られたはずだが、四人はそれを平らげた。火素の食欲は並ではないし、巡もスプーンを動かすのをやめなかった。


(阿呆ほどよく食うな)


 とは思いながら蛇口も感心していた。料理文化のレベルでは、圧倒的にこちらの方が優っていたからだ。


「うまいか?」


 黒辻がそうきくと、力強く頷く仲間たち。これにより私は料理ができるとまるで一流の料理人のように自信を持ってしまうのだが、それが悲劇になることをまだ誰も知らない。


「そろそろお暇しないとな」


 午後の六時を回ったところで、火素が腰を上げた。雑談を切り上げて、ぱっと鞄を掴んだ。


「今日はありがと。飯うまかった。また来るよ。明日は頑張ろうぜ」


 と、疾風のように帰っていく。


「妹がいるらしいから、その面倒を見ないといけないらしい」


 黒辻も、さて、と帰り支度をする。洗い物を終わらせ、来た時よりも美しくを実践した。


「久しぶりに心穏やかに過ごした気がするよ」


 ここ一ヶ月はずっと暗躍の計画と山暮たちの動向だけに注視していた。そして今日は血まみれの戦いを幾度もしている。

 リーダーとして、そして黒辻班の良識人を自負しているだけに心労は多かった。


「それはよかった。また是非遊びに来てくれ」


 のんびりとアパートの外まで見送りに出た。


「次は私も手伝うぞ。家事はできるからな」


 くしゃくしゃと誇らしげなその頭を撫でた。


「さ、明日は荒れるかもしれん。早く休んでおけよ」


 黒辻の姿が曲がり角に消えると、街の風が急に強くなった。一抹の寂しさをともなうそれから身を隠すため、そそくさと部屋に入った。


「客が来たというのに、わが家は綺麗なものだ」


 傭兵時代ならば、誰かが遊びに来れば食い散らかしや飲み残しで散乱する悲惨な有様となっていたが、それは騒がしさの残滓で片付けにも一抹の暖かさがあった。面倒なものだがないとなると寂しい。


「おい蛇口」


 冷蔵庫からビール缶を持ち出す同居人は立ったまま蓋を開けた。


「堪え性のない神だ」

「外に出たから飲みたくなったまでだ」


 その缶をひったくり口をつける。寂しさは少しだけ紛れた。


「堪え性がないのはどっちだ!」


 紛れたのは、酒のせいかもしれなかったが、蛇口はわからないふりをして、微笑みのまま缶を傾けた。


「なーにを感慨にふけっている! 早く、ひ、一口だけでもいいからぁ!」

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