二回戦

「どうよ、私の戦いっぷりは」

「早死にする動きだ」


 蛇口は火素の胸の傷に手を当て、瞬時にそれを癒した。「俺のまねは難しいだろう」


「おい、顔の一本線も消してやれ」


 黒辻がジャージをかけてやった。ファスナーまで閉めてやり、母親のように気遣った。


「箔がついていいじゃないか」

「ばってんでもありゃあいいけどさ、これじゃあなんだか、鏡で写してるみたいじゃん」


 蛇口はその顔を鷲掴みにし、傷を治した。


「これってトーナメント方式なんだろ? 二回戦はどうする。準備、というか、今からやるのか?」


 巡はすることもなく、火素の心配もそこそこにトーナメント表を確認していた。次は山之辺半助が班長の、一年三組ではトップクラスの相手である。


「やるって、何を?」

「わ、山暮」


 浜野の車椅子を押してきた彼女は、勝者のような誇らしさでいる。試合前の不幸を乗り越え、直前の己の弱さに打ち克ち、その対戦相手も実に爽やかだったので、久しぶりの笑みを浮かべている。


「あ、ああ。偵察だ。俺たちは正直なところ、お前らとの戦いしか想定していなかったからな」

 これは本当のことで、山暮をどう叩きのめしてやろうかとそればかりを考えていた。自然、次の戦いなど頭にはなく、優勝を目指しておきながら今更になって試合を勝ち抜くということを意識した。


「そっか。嬉しいようなそうでないような複雑な気分だけど。次は山之辺くんでしょ? 男四人、そのうえみんな徒手空拳。野蛮よね」


 でも、あなたには及ばないわね。それが火素を指していることは明白で、しかし、その野蛮な女はへらへらしていて自覚がなさそうだ。


「ありがとう。戦わなかったら、きっと後悔していたわ」


 握手の手を差し伸べられ、火素がその手をとった。後ろ暗いとか、そういうネガティブな感情はまったくない。完敗よと言う清々しさに、黒辻は苦笑すらできず蛇口の背に隠れた。


「次は私も」


 浜野も無事な腕を蛇口に伸ばした。


「もう出歩いても平気なのか」

「これでも良美ちゃんより強いの。それに、常駐戦場を忘れた私が悪いのですから」

(こいつ、気づいているのか)


 心中を読ませないアルカイックスマイルである。仕方なく蛇口も素直に応じることにした。


「では、回復したら俺とやろう」

「その時は、手心など加えずにお願いしますわ」


 全てばれてしまっている。それは負い目のある蛇口がそう感じるだけなのか、浜野の普段通りなのかは不明であるが、カマをかけることでボロが出ないかが心配だったので、早々に繋いだ手を離した。


「山之辺とかいう連中はみな素手か」


 山暮たちは同じクラスの応援に行くといって別れた。「で、やるのか」


「巡ィ、今からじゃ不審すぎるだろ。まあ私ならできるだろうけど?」


 元から調子に乗りやすいのだが、なお一層自信がついた火素は得意でいる。


「相手は素手らしいが、しかし四人というのがなぁ」


 黒辻班は豪傑が揃っているが、足を引っ張る者もいる。蛇口はからかわなければという妙な使命感に駆られた。


「美琴、お前は何ができるんだ」


 巡は自他共に認める戦闘オンチであった。運命の神とは聞こえはいいが、実際はただ神通力であらゆる存在のたどる道を眺めるという、ほとんど神ならば誰にでもできるようなことをしていたにすぎない。

 例えるならテレビのザッピングだ。その程度のゆるさで、しかも彼女自身、神であった時から運命を変更することに精力的ではなく、現在の酒を飲んで寝るという生活と同じことをしていた。


「家事ができる。こまも回せるし、自転車にも乗れる」


 胸を張るが、威張れたことではない。巡が自分を誇らしげにする仕草はほとんどが的外れなので、いつもユーモラスだった。


「戦闘技法は」


 そんな技法を知るはずもない。彼女にできることといえば、たどるべき道に分岐点を用意することだけである。巡自身、これを天気予報を外すことができる芸くらいにしか思っていない。

 天候を変えるというのは使いようによってはおそるべき効力を持った能力なのだが、これくらいは神ならば容易であるし、何よりも運命の分岐ということが彼女にはよくわかっていない。所詮は人生の岐路などその人物の感じ方次第であるとしている。

 他人の人生の大きな決断を永いあいだ観察しすぎたためということもあるが、フォルトナ、巡美琴とは何事もその瞬間の気分で選んでしまうような、はっきりいって少しイカれた性格をしていた。


「家事ができればいいじゃないか。酒も飲めるぞ」

「たしかに面倒がるわりには掃除はよくやっているな」

「なんで知ってんの?」

「隣で掃除していたらわかるだろう」

「学校で? そんなに綺麗好きだっけ」

「家でだよ」


 ここで二人が一緒に住んでいることが黒辻たちに判明したのだが、タイミング悪く、集合のアナウンスがかかった。


「私の後ろに、いや横にいなさい。できるだけ堂々とな」

「そんなことどうでもいいよ、一緒に住んでんの? 今度、いや今日だ、遊びに行くから」

「横に? 怖いな」

「赤毛、遊びになんか来なくていい。うちの畳にその赤い縮れ毛を落とすな」

「どーこが縮れてんだよ! まっすぐビンビンだ!」

「馬鹿者ども、試合に集中しろ!」


 和気藹々とする黒辻たちに相対するは、細身の男連中である。引き締まった筋肉が空手の道着やボクシンググローブから露わになり、どこか女四人を侮っているふうにも見える。


「私、あの空手のやつ」

「もう一人やれ」


 蛇口は自分が一人しか相手にできないだろうと予想している。自信を捨てて少しでも勝ちを求めた。


「じゃああれ、あのレスリングっぽいぴったりしたユニフォームの」


 残るはボクサー、そして制服の男だ。黒辻が手早く指示を出す。


「ボクシングをこっちに回せ。蛇口があの制服。いいな」

「私は?」

「俺とくるか?」

「黒辻といる」


 連中の優しさは、巡に対して黙っていろとか、なんで声をあげたのだ、とかそういうことを言わないでやるところである。


「開始」


 審判はやや気だるげである。前の試合が相当に荒れたのか、彼の白いシャツには嘔吐と血のあとがこびりついている。着替える暇もなかったのだろう。

 両者ははじめ様子を伺っているが、空手の男がゆっくりと前に出た。百八十センチ、八十五キロの巨体である。彼は喧嘩師ではなく格闘家、さらにいえば武道家だった。

 対するは、ただの喧嘩師である火素だ。


(さて火素はどう動く)


 蛇口はすっかり見物気分でいるが、黒辻は巡のこともあるので必要以上に緊張している。

 まずは敵を四人から三人に減らさなくてはならない。何を置いても巡が狙われることだけは避けたかった。

 狙われても戦力的に質が落ちるわけではないのだが、あの神秘的で愛らしい傲慢さをもつ彼女に触れさせはしないと、黒辻はそう思っている。


「よ。一発殴ってみろよ」


 あろうことか、火素はたった一人のこのこと四人の前に歩み出た。自分の頬に指を当て、愛嬌たっぷりにそう言った。

 空手家は戸惑い、仲間内で顔を見合わせる。小柄だし、敵ではあるが何より異性である。その彼女が柔らかな挑発をしてきたことが信じられなかった。


「レディファーストだ。譲ってやる」


 男としての意地だろうか、火素の仕草を真似して、なおかつ殴りやすかろうと腰を落としてかがんだ。

 それを引き止めたのは制服の男だけで、他は締まらないにやけ顔だ。


「わ。馬鹿だねえ」


 火素の姿がぶれた。ぶれがおさまったときには、空手家の首がおかしな方向に曲がっていた。

 予備動作なく放たれた拳が正確に顎を撃ち抜いたのだ。彼らには理解する間もなかった。

 そして同時にレスリングの男も昏倒した。山暮にしたような前蹴りに近いそれが体をくの字に折り曲げて、嘔吐するより早く足を引っ込めた。

 誰も動けずにいる。目の前で行われたのは圧倒的実力差をしめすパフォーマンスのようでもあった。

 頭の後ろで手を組んで、お気楽ご気楽に帰陣する火素を拍手で迎えたのは巡だけだった。彼女だけがこの事態を純粋に喜んでいた。


「すごいぞ火素! やるじゃないか!」


 すごいにはすごいのだが、それはどこか身震いする強さの片鱗で有り、巡のように純粋にははしゃげない。そうでなくても黒辻たちは火素の危うさを指摘しないわけにはいかなかった。


「あの導入は最悪だな」

「俺だったらあんな挑発はしない」

「へいへい、そうでございましょうねえ」


 攻撃されなかったのは、ただ火素の獲物ではなかったからというだけにすぎない。冷や汗すら出てこず、倒れた仲間の安否を確かめることでしか、彼らはそこいるすべを知らないでいた。


(しかし、あんなことが俺にできるだろうか)


 蛇口は首をひねりながら、ひとり前に出た。


「山之辺はどいつだ」


 肩を震わせたのは制服で、怯えのある目でこちらを見ている。ただ、怯えがあるだけではないような気がした。濁っていてその正体はわからない。


「こ、降参します!」


 蛇口が感じた不審さとは裏腹に山之辺は這い寄り、地面にひたいをこすりつけた。ボクサーも同じようにした。

 降参は、相手の認可があってはじめて成立するルールとなっている。蛇口が頷き、審判がそう判断すればこの試合は勝ちである。

 だが彼女は頷かない。どころかその垂れた頭を渾身の力で踏みつけた。床板に亀裂が走り、筋肉の弛緩した山之辺の股が濡れた。


「了承するのも、こうするのも、同じくらい楽だからなぁ」


 もう一度、今度は側頭部を蹴り飛ばした。「黒辻、俺はこいつをやるから、審判が試合を止めるまで、その拳闘家を刻め」


「わかった」


 ボクサーは審判にすがりつくほどに怯えて、降参すると連呼した。が、無情にも黒辻によって引き剥がされた。巡は出番を終えた火素に預けたので好き放題に動けた。

 哀れなボクサーは両の腿を斬り付けられたのち、柄での一撃をもらい気絶した。刻めと言われたので、暇つぶしのように血の出る傷口を蹴りつけて、ブーツには血の迷彩模様ができている。


「お前、騙し討ちでもするつもりだったか」


 蛇口は手ぶらだ。そろそろ剣を用意しなければと思いながら、倒れている空手家を引きずって、そのまま山之辺にぶつけた。

 折り重なったその下にいる彼の指を踏むと、あっさりと折れた。


「もういっぺん言え。降参、したいんだろう」


 戦闘不能とみなされた場合、審判はすぐに試合を止めるよう指示を受けている。だが、その声はかからない。


「どうせあの審判とグルなのだろう。俺が甘言に隙を見せた途端、懐中の短刀を抜くつもりだったのだろう。あの審判、まだお前に勝機があるから黙っているんだろう。それとも黙っていろと命令されているのかしらん」


 考えすぎの不安症のように、怯えているのは山之辺よりも、蛇口である。ただその怯えは、傭兵としての嗜みでもある。

 どこかで誰かが吐いた。黒辻は入念に足の傷をいじくりまわし、すでに倒れている連中にも同じくそうした。傷を作り、踏んだ。そうやって教育されたのではなく、こうしておけば戦闘に参加できないだろうと、巡へのいきすぎた庇護欲のような狂気によってだ。


「言っておくが、俺はやめないぞ。終わりの声がかかるその時までこれをやる」


 楽しくなってきた。それを誰に言ったのかはわからないが、審判はたまらず試合を止めた。

 あとで審判が白状したところ、確かに山之辺と一緒になって蛇口の指摘したようなことをするつもりでいたらしい。相手が背を向けるまで黙っていろと指示があり、号令とともに這いつくばった山之辺が襲いかかるという陳腐な作戦だった。

 相手が悪かった。火素は実力で倒す算段だったようだがそれも早々に崩れ、残影が出張る前に数的有利を取っておこうとしたらしいが、全ては水の泡である。


「楽に勝ててよかったな」


 勝敗に執着がなく、また影響もなく、過程にも結果にこだわらない巡でも、いや、だからこそ楽にと言った。

 どんなにむごたらしい現場であってもへいちゃらなこの神は「ちょっと待ってろ」と、屋台がいくつも出ているのにもかかわらず、自動販売機でお汁粉を買ってきて配った。五月の気温と同じくらいに温かい。


「気の利くやつだな」

「私はスポーツドリンクが良かったけど」

「ああ、これはあれか。酒屋のおやじがたまに飲んでいるやつだな」


 この連中の優しさは、ぐちぐちと言いながらも、一応は礼を言って、目の前で飲んでやるところにある。

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