一人

「なに? 山暮がいた?」


 巡は屋台で買ったフランクフルトを頬張りながら、ひとまずは黒辻に伝え、蛇口にもそうした。まずは組織のトップからと、彼女なりの決め事がある。

 坂々学園の行事はどれも負傷者が出るといっても過言ではない。しかし、盛り上がる。人間の闘争本能をこれでもかと掻き立てるのだ。

 さらに外部からも多くの来場者が訪れる。犯罪を取り締まる側も、取り締まられる側もスカウトに来る。屋台はそうした来場者への配慮ということもあり、半ば学園祭のような雰囲気なのだ。

 蛇口はひとり出場者の待合室へと向かった。汗と、それ以上に鼻につく殺伐とした敵意の中に彼女はいる。制服の上にウインドブレーカーを羽織り、参加はするのだろうが覇気がなかった。


「数日姿を見なかったが、大事はないか」


 山暮は虚ろな瞳だ。声をかけたのが蛇口だとわかっても、出会った当初のような生意気さや勝気を失っている。


「残念だけど、始まったらすぐに降参するわ」

(かいがあったわ)


 手を打って喜びたかったが、表向きは残念そうにしている。言葉もなくと黙ったままでいると、黒辻たちが現れた。


「挨拶はいらないわ。もう……戦える状況じゃないもの」


 寂しそうに笑う猟奇魔の被害者は部屋の熱気を少し薄れさせた。噂はまだ生きていて、周囲からはなんとこの段階になっても人が離れてく。


「それじゃあ出られなかった奴らが不憫だろ」


 火素が静かにそう言った。


(余計なことを言うな!)

(私たちがそれを言うのか?)

(祭なら酒も売ればいいのに)


 メンバーは荒れる心を表出させまいと、真顔を取り繕った。蛇口は口をひきしぼり、黒辻は眉根を寄せ、巡は相変わらずの面付きである。

 それはあまりにも感情が排されていて、火素の言葉が黒辻班の総意のようになってしまった。

 山暮の仲間を襲った犯人は不明である。というのが山暮や周囲の認識で、火素の発言はするりと受け入れられた。まさか目の前の悔しがる赤毛が、先日には最後の一人をぶちのめしたとは夢にも思わない。


「無理よ。最初からわかっていたの。あなたたちと対戦が決まって、もう怖くてさ」


 相手は残影と渾名される黒辻流八段の達人である。これだけでも勝てるかどうかわからないのに、そこに火素までいる。彼女は米軍の戦車を素手で破壊したともいわれ、中学生の頃から暴力のエリートであった。

 さらに、未知の二人である。山暮の初対面の勝気とは、そういうビッグネームに飲まれないための自衛手段だった。


「でも、みんなと一緒なら善戦できるかもって。それなのに」


 声をあげず、ただ涙を落とした。この場にいるだけでも神経を悩まされているようである。


「私、みんながいないと、怖くて仕方ない。戦うなんて無理なの。だから、ホントにごめん」


 実際には山暮たちにも勝ち目はあった。

 不意を突かれた三人の負傷者も実力者である。中距離は浜野が短槍で牽制し、田町と園田が弓と魔法で援護をし、前線では山暮が刀を振るう。浜野と山暮は幼馴染であったからその連携にも複雑さがある。集団戦であれば急造の黒辻たちよりも分があった。

 だが、そうはならなかった。させてはもらえなかった。


「戦えよ、山暮。勝負は終わってない。私のコレが疼くんだ」


 指を握り込み、酷なことを言う。「お前の刀はそうじゃないのか」


「赤毛、山暮が決めたことだ。俺たちがとやかく言うことじゃない」

「冷てえな。色々あったけど、こうやって試合前に挨拶したりする仲じゃないか。その相手が落ち込んでいてどうして無視できる。お前が襲われたとき私たちは山暮と同じような気持ちになったはずだ。共感できる部分があるのに、手を差し伸べないのはおかしいぜ」

(別にどうも思わないよ)


 この人でなしは蛇口がその役目をして家を少し空けたためいつもより酒が飲めてありがたがったほどである。


(知っていたからなあ。蛇口を斬ったのは私だし)


 本気で共感したのは火素だけだが、その彼女が言っているのだから真実味がある。熱っぽく、山暮の手を取った。


「私を猟奇魔だと思って全力で勝負してくれ。山暮、こんなことで負けちゃダメなんだ」

(こいつ! 黒辻、早く連れ出せ)


 頼みのリーダーは言い訳も何も思いつかず呆然としたまま蛇口と顔を見合わせている。

 このままではどんどん余計なことを言い始めるに決まっていた。火素は興奮して自分でも歯止めが効かないようで、握りしめた拳がわなないている。


「なあ火素、私たちの控え室はここじゃないぞ」


 巡がそれに気がついたのは、ドアに貼ってある控え室の名簿が目に入ったからだ。こんな時でも彼女はすぐに飽きて、見物にまわっていた。


「そうだな。私たちも準備に入ろう。備えるぞ、火素」

「黒辻の言う通りだ。ほら、赤毛」


 腕を引いたが、火素はしばらく石像のように山暮を見つめていた。

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