お説教
「やってみると、結構簡単だ」
放課後になると黒辻班は少しだけ教室に居残り、グダグダとおしゃべりをする。その中で、もっと褒めてくれとばかりに火素がそう言う。
園田を仕留めたのは火素だった。蛇口にばかりやらせるのも気の毒だと思って志願した。志願したことに抵抗はそれほどなかった。
「お前の付き添いなんかいらなかったぜ」
「赤毛、どうもよほど腕に覚えがあるようだが、この大事を頭に椅子の跡があるような奴に任せてはおけんよ」
「それはお前がつけたんだろうが! それにもう治ったわい!」
憎まれ口だが、実は心配で気が気でなかった。二人で物陰に潜んでいるときも、蛇口はどれほど声を大にして細々とした注意したかったことか、それは火素の性格を観察すればよくわかる。
まずは気分屋であること。最中に飽きたなどと言われては非常に困るので、苦心して機嫌を損ねぬよう、そして最低限かつ最大限に指示を出した。
そして何事においても半端であること。もはや思考停止といえるほどに火素はしたくないことはしなかった。その上、やらせれば大抵のことはできるものだから上手く園田を仕留められたが、大会でどうなるかはわからない、と蛇口はまだ先のことに悩んだくらいだ。
気まぐれで、物事を投げ出す。だが暴力にかけては素晴らしい。単純でこうと決めたら一直線、そういう少女だったので、
(しくじれば、俺がこいつをぶちのめしてうやむやにするしかない)
と、本気で考えたくらいである。
「あとは本番を待つのみだな」
黒辻はちょっと感慨深そうである。
前途多難に思えたこの班で、一ヶ月を通して不穏の連続だったのだが、いよいよ明日には大会を控えている。
よくやってこれたと自分を褒めたくもなる。こうして談笑できていることが信じられないほどに最初は険悪だったのだから。
「そうだな。まあ十中八九、初戦は勝つだろう」
蛇口が一組の教室を覗いたとき山暮の姿はなかった。園田が入院してから休んでいるらしい。
「不戦勝がもっとも良い勝ち方だな」
「えー、それじゃあつまんねえよ」
火素が体を動かしたいだけというのはわかっているので、
「機会はある、勝てばそれだけな」
と言って黒辻は慰めた。
(不戦勝なら、私も楽ができるな)
巡はその戦闘能力のなさから、黒辻の側で威張っていろという指示を受けている。しかしまだ楽がしたがっている。彼女の図太さや執着のなさが山暮にあれば闇討ちはされたであろうが心までは砕かれなかったであろう。
「大会は連休を使ってやるんだろ? 上級生が休んでいるのにうちらだけ出張るのもおかしくねえか」
五月の頭にある祝日を使って新入生大会は催される。この日程は恒例のようで、上級生たちはこの奮闘を懐かしく思うのだ。それに屋台や祝砲などもあるちょっとしたお祭りにもなる。
「美琴」
呼ばれ、どきりとした。
(見透かされたか)
「もしかしたら、どこかでお前にも出番があるかもなあ」
勝ち進めばその可能性は大いにある。楽ができるだろうという考えは見透かされていた。
「く、黒辻、剣を教えてくれ」
「一朝一夕じゃ無理だ」
「火素」
「グーで殴れ。それで終わりだよ」
「神は死んだ!」
(シャレにならんな)
巡のその、彼女にしてみれば本当に冗談ではない冗談に笑っていると、宝がやってきて黒辻班を呼んだ。何事かとついて行くと来賓のための応接室に通された。
革張りのソファ、シックな調度品、客には心地よいだろうが、生徒はただ緊張するだけである。
宝、学年主任、学園長の篠塚健太郎がいる。主任は苦虫を噛み、篠塚は対照的に朗らかだ。
「なんで呼ばれたか、わかる?」
緊張を隠せない黒辻に、まずは宝が優しく言った。
「いいえ」
首を大きく振った。いつもは堂々としている黒辻が慌てているので、火素はなんだか面白くなって、ソファの柔らかさを確かめるように体を揺らした。
「あなたたちは?」
宝は一応きいてくれるが、全員がわからない顔だ。
「簡潔に言おう。やりすぎじゃないか」
学年主任の神経質そうな男がそう言った。田辺という五十男は、彼は戦いよりも教員歴と事務処理能力を買われて坂々にきた珍しい部類である。転勤してきたのも今年からで、坂々についての知識は新入生とそう変わらない。
「ヤリすぎ? まさか、俺たちは全員」
(黙れ)
「あー、なんのことかわかりかねる」
巡だけがそれを察し肘をみまったのでおかしな空気にはならずにすんだ。
蛇口は咳を一つし足を組んだ。自分がどこにいるか、何を聞かれるか、それらの質問を予想し楽しんでいる。
「きみたちの対戦相手が怪我をしたことは知っているね。山暮さんは欠席、他は入院。これをやりすぎだと言っているんだ」
「知っているよ。だからなんだ。もうやめろって? やってもいないのにそんなことを言われてもなあ」
「ふざけるな!」
怒らせるように蛇口は喋ったし、その通りになったので、彼女には少し喜色すらあった。
「噂があってな、そう、猟奇魔だ。きっとそいつがやったのだろう」
「お前がそうなんじゃないのか」
「俺が? 勘弁してくれ、俺だって襲われた」
組んだ足が揺れる。犬の尾のようである。そして何かを言おうとした田辺を遮って、
「きくが、対戦相手を知らせるのは何故だ?」
といった。そこには蔑むような、そして小さな子どもに伝えるように優しさがあった。
「思うに相手の名を知り、一ヶ月の間でその性格や傾向を掴むためだろう。でも、もしかしたら、山暮たちのような不幸がばら撒かれる可能性だってある。それがわからないとは、この学園の教師の底が知れるなあ」
「なんだその態度は! それと今すぐ足を組むのをやめろ!」
「おうおう、わかったわかった」
やめてやる、と言ってあぐらをかいた。靴底が隣に座っている火素のスカートに触れたが、お互い気にする様子もない。
「わからんのはあんたらが何を言いたいかだ。ああ、学年主任どのはもう結構だ。この通り、足を組むのをやめただろう」
あぐらだ、まだ組んだままだぜ、と火素が言って、二人で笑った。この不真面目さにも宝と学園長は穏やかに黙っている。
「こ、このクソガキ」
「ふむ。ちょっといいいかな。喉が乾いてしまった」
篠塚は自ら立ち上がり、ポットから紅茶を淹れ、人数分出した。
「うまい」
(こいつはなんでもうまいと言うな)
一緒に住んでいる蛇口は、巡が食べ物にケチをつけたことがないのを知っている。
「そうか、よかった。茶葉はね、友人にもらったもので、質がいいらしいんだ」
唇を湿らせて、篠塚は言う。
「主任は何が仰りたかったんですか?」
驚いたのは田辺と、それと黒辻である。しどろもどろの田辺にさらに続けた。
「別にやりすぎでもないと思いますよ。去年も一昨年も死者は出ていますし、遡れば大会前に残っている者が数人だったこともありますから」
嵐の前の静けさかと、私はワクワクしていますよ。と篠塚は笑った。
「な、なんですか。野蛮過ぎる、どうかしている」
「え? いやあ、野蛮だなんて。これでも伝統行事ですから、主任がそう言っては仕方がないですなあ」
また笑う。蛇口も微笑み、正しく足を組み直した。ふらふらと揺れる真白の足は、やはり喜ぶ犬のようである。
「いいじゃないですか。猟奇魔、結構なことだ。正体が気になりますね」
どうぞ、と篠塚は再度お茶を勧めた。あっけにとられている生徒たちに、ようやく担任の宝が声を発した。
「そうねえ、黒辻さんは心当たりあるかしら」
「いいえ。まったく」
「巡さんは」
「知らん」
「火素さん」
「誰だろうね」
「みんな知らないって言ってますよ、田辺主任」
「俺にも聞け。ほら、聞いてくれ」
放心している田辺は犬の尾が目にうるさいこともどうでもよくなっている。死者が出ることが伝統の行事が存在する学校に赴任したことを心底悔いていた。
「じゃあ、蛇口さんはどうかしら」
「俺にもわからん」
仲間がみんな知らないというので、自分もやってみたくなっただけである。が、
「わからんが、やられた山暮より、そいつは多少戦を知っているのかもしれないな」
浜野より園田より。そこに、むろん俺よりもと付け足した。少し本当のような響きがあったが、蛇口の言葉を鵜呑みにする宝たちではない。
「じゃあさ、もう戻っていい? なんか先生たちにも意見の、あー、あれがあるみたいだし。意見の相違ってやつ」
こういうとき、火素がいて助かる。黒辻は言い出せなかったことを代弁され、抱きしめてやろうかと思う。
「じゃ、さよなら宝せんせー。学園長もじゃあね。それと」
二度とケチつけんなよ、おっさん。と、宝ですら痺れるような殺気を含ませ、田辺を言葉だけで気絶させた。
「あんまり脅すな。もしかして赤毛、猟奇魔はお前か?」
「ああ? かもな、今夜お前が怪我したら、私が猟奇魔だ。トリックオアトリートだ」
「ハロウィンは関係ないだろう。あの、本当にすいません、先生方。失礼します」
「とりっかーなんとかってなんだ。酒か?」
ガヤガヤと出て行く青春の風に、篠塚は目を細めた。
「去年はあの手この手で首を取り合っていたのですが、今年は趣が違いますねえ」
「いつだって私の代よりはましですよ」
坂々の卒業生はみんなこう言うのがお決まりになっている。宝の代では十五人が死亡している。
「楽しみですねえ」
「ええ。楽しみですよ」
決して血生臭さだけを望んでいるのではない、生の輝きをむせかえるくらいに感じることができる行事がこの大会なのだ。
「それで、主任はどうしましょう」
「もう少し寝かせて起きましょう。後で私から、この学園の素晴らしさをお伝えして起きます」
(洗脳だ)
「何か?」
「いえ、別に」
坂々の教師たちとは、程度の差はあれど、ほとんどが宝や篠塚のような頭でいる。
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