猟奇魔

「目が覚めたら伝えておくわ。ありがとう」


 陸は思わぬ見舞い客にかなり驚いたが、そつなく礼を言った。


「よろしくお願いします。私たち、ちゃんと試合で勝ちたいですから」


 山暮たちは蛇口の怪我に警戒を解いた雰囲気がある。田町負傷の下手人が誰でもいい、こんなアクシデントでは終わらせたくないという吹っ切れた気持ちになっている。

 一行の姿が正門に見えると、陸は窓辺から離れ、カーテンで仕切られたベッドに声をかける。


「お見舞いに来たの、誰だと思う?」

「火素か? 黒辻か? まさか美琴じゃないだろうな」

「あなたがこれから叩きのめそうとしている相手よ。山暮さんたち」


 寝そべっていた影が身を起こす。


「殊勝なこった。爪の垢を煎じて飲みたいね」


 スニーカーのままベッドに寝そべっていたので、かなり汚れているが、それよりも気になることがある。

 いつもは能天気な蛇口なのだが、この時は口調こそ変わらないものの、恐ろしいほど真剣でいる。

 浜野春香を強敵と認めていた。というよりも、山暮班に正攻法で正面からぶつかれば負けもありうると考えていた。

 黒辻と火素は別にしても、まず巡が足を引っ張る。俺ですら、と怪しんでいた。回りくどい策を練ったのにはそんなわけもあった。


「すぐ戻る。窓は開けておけ」


 窓から飛び降り、もう日暮れの学園に溶け込んで正門を出た。手には珍しく剣がある。


「私のことなんか、全然頭になかったわね」


 卑下ではなく、陸の正直な感想だった。

 蛇口はすぐに追いついた。制服は代えを用意していたので、下校中の学生にうまく紛れている。

 重傷で、さっき見舞った人間がいるはずがないと山暮たちはまったく無警戒でいたし、不安を払うためにことさら元気でいる。

 どうやら集団下校をしているらしいが、己を鼓舞するための談笑ばかりである。活発だった山暮の危機管理感覚はその程度にまで落ち込んでいた。

 最初に園田が、次に山暮が別れた。

 蛇口はたまたま後ろから歩いてくる自校の生徒の後ろにつき、浜野に接近した。追い越し、角を曲がった。その際、さりげなくハンカチを落とした。


「あ、ハンカチ」


 浜野はそれを拾うため、かがんだ。すると何かが頭にぶつかった感触がして、不意に意識が遠くなった。蛇口の蹴りが側頭部を的確に撃ち抜いていて、昏倒したのだ。

 手早く目隠しをして肩に担ぎ、適当な民家の庭先へ潜った。

 木陰に潜み、浜野は剣の鞘で全身を殴られ続けた。肋骨と両足をへし折られ、肌身離さず持ち歩いている槍が腹を穿ち、最後には両手両足を縛られてその民家の玄関へと放置された。

 医務室を出てから、一時間ほどであろうか、陸が書類仕事をしていると、音もなく蛇口が戻ってきた。


「忘れ物?」

「いいや、終わった。疲れたから俺は寝るよ」

「終わったって、浜野さんのこと?」

「うん。なあに、俺なら三日で治る怪我だ」


 そう言うと、腹にあった傷をポンと叩いた。壁をよじ登ってきたばかりなので、すぐじわりと赤い染みが漏れ、勝手に包帯を巻き直した。そこに傷があると見せつけるためだけの処置である。

 寝る前に、蛇口は陸へとむきなおり、


「助かった」


 と、陸の欲するものの一つである、愛くるしい笑みを見せた。そして横になり仰向けのまま眠った。


「む、無防備すぎるわよ、無心」

 名前で呼ぶのはこれが初めてだったが、その響きにも美しさがある、と陸は思う。カーテンでの間仕切りを閉める前に、寝顔を十秒ほど見つめ、満足げに仕事へと戻った。




 坂々学園の新入生たちは、近頃とある噂話に夢中でいる。

 それは「猟奇魔」の存在である。

 黒辻班と山暮班を襲う犯人不明の猟奇的な事件、通り魔的ではあるが、対象が限定されすぎているため、誰の造語かはわからないが、そう呼んで恐れた。


「連中に近づくと標的にされる」


 などと騒がれて、浜野が全治一ヶ月を告げられてから、二つの班から徐々に人が離れていった。


「猟奇魔だってよ、馬鹿馬鹿しい」


 朝の挨拶ですらよそよそしい。昼飯を教室で囲んでいても、近寄ってくるものはいない。

 火素は、噂を知りながらも、普段と変わらぬ態度でいる。


「そう言うな、赤毛。誰しもわからぬものは怖いものだ」


 蛇口は浜野をぶちのめした翌々日に医務室から出た。腹の傷がまだ痛むので、松葉杖を借りた。というのも怪我は深刻であるが気丈に通学していると周囲に印象付けるためである。

 作戦の全貌をきかされた火素は、蛇口の嘘の怪我と作戦を黙っていたことに憤慨し、山暮に詰め寄ったことを反省したりと忙しかった。


「これがバレたら悪名どころではないだろうな」


 巡はというと、蛇口がいないことで酒量が増えた。登校中に嘔吐したりもした。


「班員の悪名は私の悪名にもなるのだが」

「そのうち忘れるよ。それよりも、連中の様子は」


 蛇口はそのことで頭がいっぱいだった。勝利と同じくらい、山暮の心を砕くことに傾倒している節がある。


「どことなく元気がない。憔悴といえるかもしれないな」


 悲惨なのは山暮たちである。仲間は二人も脱落し、その上猟奇魔の噂で人は離れた。

 浜野が襲われたとき蛇口は医務室にいて、蛇口が襲われたとき山暮らにはアリバイがない。この彼女と周囲にとっての事実がいよいよ空気を悪くした。


「山暮良美が裏で糸を引いている。本戦になれば襲われたとされる二人は無傷で現れ、これからは黒辻たちだけが猟奇魔に襲われる」


 という事実無根の中傷まで囁かれていた。

 こうなるともう新入生大会どころではなく、今後の学園生活にまで支障をきたしかねない。敵役やヒールではなく悪党としてしかその立場を認められないだろうと、山暮は自分よりも班員を案じ、だからこそ余計に心労甚だしい。


「もっと疲れてもらわなければ。俺がこんな邪魔な杖をついて歩いているのも、ああ、蛇口は猟奇魔になんぞ負けはしないのだ、と、そんなふうに見せるためだ。俺たちが善、連中は悪。山暮の芯を壊し尽くし、戦う前に勝利を得る。残りは園田だ、楽しくなってきたな」


 蛇口と巡は黒辻が持ってくる弁当を食うことになっている。

 何も食わず火素のでかい弁当をじっと見つめる巡が不憫で黒辻から申し出たのだ。蛇口はついでである。

 その弁当をうまいうまいと食うので、黒辻は毎度気分がよかった。


「大会当日の三日前。園田だ」


 さすがにこれは声をひそめた。「俺の怪我も癒えている頃合いだ」


「また大掛かりなのをやれ」


 巡は酒についての小言と下ネタを排除したいがためにそう提案した。


「物騒なのは足がつくかもしれんな。私はもっと」

「穏便には済ませられんぞ」

「じゃあさ、こんなのは?」


 火素の口を黒辻がふさいだ。紙とペンを取り出し、そこに書けと指示した。


「どうせ声がでかいですよ」


 声の響きから察するに、彼女の作戦は、かなり自信があるようだ。


「じゃん!」


 大会前に倒しちゃおう作戦。と、そう書いてある。説明不要だと、火素は胸を張った。


「今やっていることがそれじゃないのか?」

「巡ィ、まどろっこしいと思わねえか?」

「お前は暴れたいだけじゃないか。却下だ。当日になればお前の出番はちゃんとあるから」

「要はあいつらを悪者にすればいいのだろう?」


 巡がごちそうさまと手を合わせた。恭しく弁当を片付け、


「蛇口、転んだり、授業を抜け出して医務室に行ったりしろ。なんなら学校も休め」


 弱者を演じれば、それだけで人心は動く、と言った。弱者が強者を喰らう様を見続けていた神らしい意見である。


「穏便だし、別に作戦変更だって容易だ。ほれ、今から転びながら医務室に行け。人通りの多いところを選べよ」


「お前、俺のザマを見たいだけだろう」

「バレたか」


 しかしやらないよりはずっといいとも思う。まずは派手に椅子から転げ落ちた。松葉杖を支えに、よろよろと出て行く蛇口、その側には巡が寄り添った。


「我々が薄情だと思われてはよくないからな」


 形だけではあるが、いかにも献身的なように見える。

 この作戦が面白いほどんはまった。不思議なほどにクラスメイトたちは黒辻たちに同情的になり、猟奇魔を山暮と決めつけ、敵意まで持つようになった。

 これが一年生全体にまで伝播したのはさすがの運命の神にも予想できなかったが、思いつきのような巡発案の作戦は山暮の立場を殊更に弱くした。

 蛇口が園田を襲うと決めた大会の三日前をまたず、山暮は孤立していた。園田ですら、もしかしたら彼女が犯人かと疑うようになった。

 田町と浜野の怪我をその目で見たわけではなく、あくまでも担任からの又聞き(当然といえば当然のことではある)で、俺をも騙しているのではと不信感が極まったのだ。


「棄権します」


 と、山暮は職員室を訪れて担任に申し出た。大会三日前である。

 彼女が教室にいると、他のものはみんな出て行く有様である。無人の教室で心細さと身に起きた不幸に泣いてそう決意したのだ。


「受理できん。そういう規則だし、負けを認めるなら、本番ですぐに降参しなさい」


 毎年こういう生徒が一定数いるため、担任は諭すように言い含めた。


「仲間が怪我をして戦えないというのはわかる。気持ちだってめげる。だが、将来こんな状況に陥らないとも限らない」


 山暮は歯を食いしばって職員室を辞した。仲間は四散し、かといって他に味方もいない。それどころか敵ばかりなのである。教師に罪はないが、あまりにマニュアル的な対応すぎたかもしれない。

 同時刻、園田は何者かに襲われた。山暮に冷たくしたことを後悔したかっただろうが、遅すぎた。意識もないまま病院へと運び込まれ、山暮班はリーダー以外の全員が本戦前に脱落した。

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