一人舞台
また時間が前後する。火素の背から会津の刀が飛び出したその瞬間である。
「火素」
巡はその劇的な光景に、呟くことしかできずにいる。悲劇の渦中にいるその声も、呼吸も、当然ながらわからない。
「にしゃ、化け物か」
会津と火素は、一挙手一投足を注目されているが、二人は二人だけの世界にいる。五感を共有しているといっていいほど、殺意に全てを込めて交わっている。
「なんでもいいよ。勝てるなら」
会津の刀は動かない。火素は脇の下で、つまりは胸筋と二の腕を隆起させ挟む力でもってそれを押さえつけていた。
押しても引いてもびくともしない。火素は手のひらで刀を挟み、山暮にしたように刀身へ右手を滑らせた。刃をへし折るつもりである。
「させねぇ」
会津の前蹴りがみぞおちをえぐる。だが、無駄であった。肉体は持ち主の精神性を遺憾無く発揮させ、蹴ったその足の方こそ破壊されそうなほどに硬くなっていた。
そうとわかると、刀を手放し、火素の眼窩へと手刀を突き出した。上体をそらして目潰しから逃れ、今度は火素の蹴りが会津を貫いた。突っ張り棒のようになった足はそのまま突き出され、可憐な獣を引き剥がす。
「やるじゃん」
会津は引き剥がされるとき、刀の柄を握り、引っこ抜いていた。そうであることが当然かのように、会津は蹴られたことを気にもしない。
「火素!」
悲痛な巡の叫び声は、はっきりと届いた。火素は振り向かず、後ろ手にひらひらとふった。
赤毛と呼ばわる声がする。「その女男をこっちに連れてこい」
蛇口と黒辻、良順と氷澄、二人と二人の対峙に火素は嬉しくなって、高揚のままに駆け出した。
「だってさ。行こうぜ」
会津は不審を顔いっぱいに広げて、一度巡をみやって、渋々追従し、氷澄の横に並んだ。
「自分の力だけでは、満足に戦えもしないのか」
良順はどこか裏切られたかのように、恨みを込めた。
「ほざくな良順。なんなら、俺一人だけで貴様らを皆殺しにしてくれるわ」
大言に色濃くなるのは殺気だけではない。獣そのものであるかのような生物を脅かす臭気まで漂うようである。
「おい蛇口」
不安そうに黒辻は囁くが、心配無用となお続ける。
「俺を知らんのか。え、どうだ。この、ええと、蛇口だ。蛇口無心をよう」
ざわめく観客。その名に心当たりのあるものはむろんいない。会津も氷澄も記憶を掘り起こすが、これも探し当てられない。
「なァにが流れ星よ。星なら黙って光っていろ。夜空の上に気がつきゃある、その程度にひっそりと、おい聞いているのかお星さま」
侮辱されきりりと歯を鳴らした。哮り、地を蹴った。追従する二匹の獣は良順と同じ標的に向かっている。氷澄などは、ひょっとすると良順よりも気負いがあるようだ。
「おーおー、真っ赤っかだ。だけども赤いのは、もう間に合っているわ」
影の刀が良順の夜霧に火花を添え、速度を上げた会津の牙も絡め取った。一対の斬撃はたちまち力と速度を失ったが、まだ優男の拳が残っている。
「うちには赤いのが二匹いる。あの無力な神様と」
氷澄の照準はヘラヘラと戯れる蛇口の顔面である。弾は発射されるも、野蛮な方の赤がそれを防いだ。拳を握り、軽やかに放り投げ、頭から落とした。
「な? 間に合っているんだ。怒りの赤、頭の赤、血の赤。もうたくさんだ」
落とされた氷澄の頭に火素の靴底がめり込んだ。「しぶといのは嫌いじゃないが、やはり間に合っている」
すぐそこで剣戟が燃えている。火素は繋いだ手をそのままに、ズルズルと舞台の端まで引きずって、鞭を振るうかのごとくにめちゃくちゃに地面へと叩きつけた。
その間、蛇口は仁王立ちでいる。「赤毛。そいつを客席の奥の奥まで投げろ」
「了解」
都合八度の床との衝突で、氷澄の意識はすでにない。人形のように空を舞い、肩からどさりと着地した。彼の実力からすれば、たとえこの状況で火素と戦ってもこんな無様は晒さない。良順への想いが彼の本領を発揮させず、勝利どころか善戦もさせなかった。蛇口を素手で圧倒できるほどの力量があっても意味をなさなかった。
黒辻は息を吹き返した。二人を相手に引けを取らず、鋭く斬りかかれば皮膚を裂き、しかし己の体には触れさせず、剣速の風に袖を舞わせるだけである。
見違えるような動きである。なぜ最初からそうしなかったのか、それは信頼に似たサボタージュである。
ここで良順を仕留めれば勝利に繋がることはもちろんのこと、己の評価も上がるだろうと初めは考えていたが、良順相手では苦戦する。仲間と一緒に戦えば、とすぐに思い至るあたりは信頼のなせるわざなのだが、そこで彼女のちょっとしたサボタージュの虫が湧いた。
(蛇口あたりが混ざれば苦もないだろう。連中のことだから、意外と早く終わるかもしれん)
と、守りに徹した。巡を使っての仕掛けは予想外だったが、結果として集団戦になった。
(こいつ、別人のようだ)
良順がそう思うのも無理はない。攻めることを放棄していた黒辻はもういない、ここにいるのは剣速影すら残さずと渾名される黒辻家の長姉、黒辻流八段の超のつく実力者なのだ。防衛を主としながらも、刀の意味を存分に理解している彼女だからこそできた、異次元的な手抜きなのである。
「まーぜて」
状況は数の上では不利であるが、実際は拮抗している。そこに火素が加わった。剣に囲まれているのにもかかわらず、拮抗を優勢に傾けた。
「敵討ち、でっきるっかなー」
火素は犬のようにじゃれる。そのじゃれかたは人死にのでる地獄の番犬のじゃれである。
「黙れ黙れ黙れ!」
荒れる良順、仁王立ちの蛇口が口を出す。
「いいや黙らん。古今、敵討ちには華があるが、それは果たしてこそだ。そうでなければ話にもならない。語るな負け犬、勝者に尾を振れ。そういうことだ、負け犬ども。貴様らはあの」
蛇口の指の先は氷澄がいるであろう場所に向いている。彼は群衆の足元に倒れたまま、もしかすると医務室へと運ばれているかもしれない。
「あの優男、なんといったか、そうだ氷澄だ。奴のように雑巾のごとくに擦り切れて、パン生地のように床にぶつけられ、親しいものでも直視できんような有様になっていることだろう」
「そこな女男よ、随分と女のような面だが、あれは付いているのか? いや、深い意味はないのだが、ほれ、金的の痛みを分かち合いたくてな。氷澄は痛いと言っていたが、やはりお前もそんな面して付いているものは付いているのだろうから、なあ、痛いよなあ」
「良順! そうだ、お前も罪な女よ。軟弱男を二人も手篭めにして、さあ行け手下どもと手前の力もわからずに、のこのこ決勝にまで来たものだから、大舞台におののきああ大変と、心中察するにあまりあるわ。俺に跪けばそこらのボンクラよりもずっといい景色を見せてやるぞ。男だ女だと色々言ったが、要はこうだ」
蛇口無心に膝を折れ、ということだ。
これを大声でいうものだから、刃と刃、それに拳の交わりぶつかりあいがどれほどの音響を発していようとも、舞台の隅々まで広がっている。
「どうした、やれ黒辻! 赤毛! その自分が世の中のてっぺんだと勘違いしているのぼせ上がった田舎者を徹底的に叩きのめせ!」
(そんなに煽る必要あるのかしら?)
山暮はこの試合を楽しみにしていた。自分たちに降った不幸をわかち、その中から引き上げてくれた戦友が、こんなにも、いわば悪役を演じるとは思いもしなかった。ヒールが似合う蛇口だし、火素もその素質はある。それにしてもやりすぎじゃないかと頬がヒクついた。
(私の評価が落ちやしないかしら)
宝はやや保身めいていたが、ハラハラしっぱなしで、自分の受け持ちの生徒より良順たちを応援したくなっている。
(のぼせ上がった田舎者とは、お前のことじゃないか?)
巡は火素の無事を喜び、そして黒辻の活躍に胸を踊らせ、
(まあ、無敗であるから、思い上がりではないのかな)
蛇口の言を大言とせず、落ち着いて試合を眺めていられた。良順にはもう巡を使っての引っ掛けをする余裕はなく、会津の異常な雰囲気も、黒辻には通用しなかった。
会津のそれはいまだに火素の骨の髄に怖れを突き立てているし、さらには仲間である良順の肌をも粟立たせているのだが、黒辻には通用しなかった。精神力や、もしくは肉体の強さだけでは計り知れない、生命体として人間よりも上位にいるかのような、おそるべき人外のタフさである。
「はーっはっはっは! どれ、俺もでばろうか? どうだ、良順、俺はそっちにいってもいいか? これ以上不利になっては困るか? ああそうだろう、でもな、言い訳を作ってやるのも勝者の務めよ。負けた言い訳をするときに相手が三人だったからと言えば面目は潰れずに済むものさ。だから潔く負けてみろ」
良順も会津も攻防の激しさに言い返すこともできなかった。怒りが冷静さを奪い、手足に余計な力が入るので、わずかながら動きが鈍る。その苛立ちがまた形勢の不利を招く。蛇口のしているこれは立派な作戦ではあるが、受けは良くない。観客席からゴミが投げられたり、罵声が飛んだりした。
頃合いだと蛇口はかつてないほどに征伐の気に満ち、乱戦中の黒辻の襟を掴み、引くと同時に我が身を白刃に晒した。
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