大会

襲っちゃおう

「美琴! 晴れて万歳、突破したぞ!」


 教室に戻るなり、騒がしく巡へ報告した。意味はわからなかった、火素も「おめでとう」とだけ無関心に言う。


「使ったのか」


 幻術のことであるが、蛇口は興奮のあまり否定するより早く、巡の脇の下に手を伸ばし、たかいたかいをした。


「わわ! 馬鹿、離せ!」

「使うものか、俺の人徳よ!」


 持ち上げたままくるくると回転し、巡の足が椅子と机をなぎ倒す。


「痛っ! おい、危険だ! 痛いって、痛っ、この馬鹿いい加減にしろ!」


 為す術なく二、三度回ってからようやく降ろされた。目が回ってふらふらの巡を放り出す。


「お前らのおかげでもある。いやあ、持つべきものは友だなあ」


 ぽんぽんと肩を叩かれる黒辻と火素。このノリを鬱陶しいとは思いながらも、不快には思わない。


「私はただお前がよろしくと、それだけを」

「ちゃんと言うだけましだなあ。私、忘れちゃったよ」

「それでもいいんだ。万事解決。助かったぜ、黒辻、赤毛」

「気にするな。助け合いだ」

「もう赤毛でいいよ」

(しかしいつボロが出るか、まあ、見物だな)


 巡はその級友たちとはしゃぐ蛇口を微笑ましく眺め、


(あのぐるぐるするやつ、次にやったら殺してくれよう)


 と、神としては自然ではあるが物騒なことも思いつつ、頬杖をついた。




「これを見ろ。抽選表だ」


 女医のと不思議な蜜月から数日後、学園はいつにも増して熱気と活気に満ちている。日に日に増していくような気配もある。

 分厚い冊子には勇ましく筆が踊っている。


「新入生大会か。腕がなるぜ」


 火素は拳と拳を打ち付けて、今からひと暴れしそうなほどだ。しかし巡は黒板の日付を確認し、その日程まで指折り数える。「三週間後か」


「あっという間だよ」


 連携を取ったり、各自で技を磨いたり、することは山ほどある。黒辻はそうやってリーダーとしての指標を告げようとしたのだが、そこに口を挟むものがいないからこそ、水を差された気になった。


「どうかしたか」


 茶々を入れてもおかしくないはずの蛇口が抽選表を食い入るように見つめているのである。邪魔をしても、しなくても、この女が黙っていると落ち着かくなくなっていた。


「最初に当たるのは一年二組の山暮班なんだが」

「知り合いか?」

「いいや。違う」

「じゃあなんだよ。はっきり言えってば」


 せっかちなのは火素である。放課後ということもあり気が抜けているのか、机に腰掛け、黒辻に窘められた。


「見ろ。この表全てに班のメンツの名前がある」

「だから?」

「俺たちは、誰と戦うのかわかる。人数は四人で、それが誰なのかわかるんだ」


 黒辻は薄々察した。だがはっきりと難色を浮かべている。巡は大いに蛇口よりなので、するりと言ってのける。


「闇討ちだ。戦いとは始まる前から始まっている。頭である山暮をやろうじゃないか」


 勝負は号令が鳴ってからが本番ではない。そこに至るまでに全力を尽くすのが戦である。


「えー、卑怯じゃん」


 だがその考えは、あまり浸透していないようで、火素はどちらかといえば真っ向勝負を好んだ。卑怯、と彼女が思うことはしたくもないし、されたくもなかった。


「卑怯が常道の世界ではあるのだろうが、どうも」


 黒辻はされてもいいがしたくはない。闇討ちには反対だった。


「じゃあ俺がやるか。美琴、行こう」

「ああ。だが足手まといだぞ」

「ちょっと待てよ、そんなのルール違反じゃないのか」


 火素はまっすぐだった。蛇口にはない銀甲冑に身を包んだ騎士のような誇りがあった。己の身体のみで敵を蹴散らすことが正道であると、まるで生き方を否定された気がしている。


「そうかもしれんな。確認してくる」


 しかし、どれだけ否定されようがこの女、痛くもかゆくもないらしい。巡を置いて廊下に消えた。


「振り切れすぎじゃねえか。普通考えもしないだろ」

「自制はするだろうな」

「なあ、あいつ冊子を持っていったぞ。まだ見てないところがあったのに」


 巡の文句のその瞬間、黒辻は気がつく。信頼のためと流血をものともしない女が、火素をして振り切れていると言わしめる女が、闇討ちを仕掛けようと提案するような女が、名簿を持ってどこかに行ってしまった。


「あいつやる気だ!」

「止めさせろ!」


 バタバタと我先にと団子になって廊下に出ると、ちょうど二組に入っていく蛇口の背が見えた。


「マジで! あいつ! 勝手すぎ!」

「いざとなれば抜くしかないぞ」

「こんなところであんたのあだ名を見たくないよ!」


 間に合うのか。黒辻は刀に手をやった。最悪の想定ができるだけ冷静だった。




「失礼する。山暮良美はいるか」


 蛇口は朗らかに教室へと踏み入った。折良く、いた。「私ですけど」

 教室に残っているのは彼女と、その班員、男女混合の四人は、まるでこの場所を仕切っているように不遜である。


(俺が来るとわかっていたみたいだな)


 山暮は冊子をパラパラと遊ばせている。


「黒辻班の蛇口さん。私たちの初戦の相手」


 蛇口ほど過激ではないにせよ、彼女たちもまた何かしらの策を考えているようである。火素よりずっと勝利に対して貪欲だった。


「それで、ご用は? 楽しいおしゃべりなんて期待してないのだけど」

「ん、挨拶に来たんだけだよ。正々堂々、美しい勝負をしようと思ってな」


 山暮の態度に、蛇口は攻め方を変えた。人気はなく、ここで全員を打ちのめそうとも考えていたが、それをしなかったのは、


(どうやってこいつの鼻っ柱をへし折ってやろうかしらん)


 と、こういう腹づもりだ。

 生意気な女には、ただ頬を打つだけでなくその心の柱までを粉々に砕き、その上で屈服させてやりたいという蛇口の癖である。


「蛇口!」


 激しい臨戦の闘気で飛び込んで来たのは黒辻だ。


「お前な、勝手なことをするんじゃ……あれ」


 そこには穏やかなチームメイトと、敵がいるだけである。後に続いてきた火素も困惑している。


「どうも、黒辻さん。あなたの仲間が挨拶をしに来てくれたわ。正々堂々戦いましょうって」

「う、うむ。突然で悪かったな、山暮」


 では、と蛇口は黒辻と火素の腕をとった。巡も廊下で待機していたが、


(流血沙汰ではなかったか)


 と、つまらなそうにしている。


「作戦変更だ。頭を落とすだけではいかん」


 蛇口は帰り支度を整えながら、説明した。


「奴の仲間からだ。一週間おきにやろう。まずは」


 冊子にある名前、その部分を指で叩いた。山暮、園田、浜野、田町、蛇口の狙いは田町正蔵という男子だった。


「本当にやるのかよ」


 火素は、まだ闇討ちに納得していない。非難の口ぶりだが、蛇口はそれを無視した。


「今日、奴を尾行する。俺と黒辻でやる」

「私が?」

「巡では返り討ちにあうかもしれん。赤毛はやりたくない。残りはお前しかいないし、全員でやる必要もないし」


 黒辻も立場的には火素と同じである。しかし蛇口一人でやらせるには不安があった。渋々頷き、


「わかった。火素、すまんが堪えてくれ」

「へえへえ、リーダーに従いますよ。行こうぜ、巡」


 そして残った二人は正門の木陰に場所を移し、しばらくすると山暮たちが現れた。目で追い、距離をとり、物陰に身を隠しながら追跡していく。その間、一言も口をきかなかった。


(ようやくか)


 田町は誘っているのか、家の方向がそちらなのか、山暮たちと別れた。


(ここで襲うのか)


 黒辻は難色こそ示したものの、こうなってはやるしかないと意気込んでいる。はやる気持ちに蛇口はまだだと首を振る。

 やがて田町は戸建てが並ぶ住宅街にある自宅へと、ただいまと入っていった。黒辻を残し、蛇口は垣根を超え、裏に回った。二階にある部屋がそうであろうとあたりをつけ、相棒を呼び寄せる。


「見張れ」


 言うが早いか、一足飛びで屋根に登る。胸のスカーフをほどきマスクのようにして顔を隠した。

 不用心だが、二階の窓に鍵をかける必要もないと思っていたのか、田町の部屋の窓に鍵はかかっていない。素早く忍び込み、ドアの裏側へと移動する。

 廊下から聞こえる足音、ドアが開いた。


(おお、田町某、ここで死ね)


 鼻歌を歌うその横っ面に、蛇口の拳が突き刺さった。ベッドに勢いよく倒れこみ、すでに気絶しているのがわかる。


(悪く思うなよ)


 馬乗りになって、顔面へと拳を叩きつける。足と腕を枯れ木のごとく折り曲げて、ポケットのボールペンを腹に突き刺すと、どろりと流れる赤色がベッドを染めた。慣れた手つきである。引き抜き、胸に収めるまで、蛇口は物音を打撃のそれだけに留めている。

 肩に担ぎ、階段から転がり落とすと、階下から絶叫が聞こえる。

 急ぎ窓から飛び降りて、黒辻と逃げ出した。わざわざ家々の庭を抜けて、見えない追っ手をまいた。

 どれくらい走ったか、黒辻の息が切れかかる頃、蛇口の家にほど近い商店街まできていた。


「反対していたくせに、実に優秀な見張りだったな」


 黒辻は睨み返すだけで返事をしない。本来なら呼吸を整えるのにこれほど時間はかかるはずがないのだが、やはり彼女も初めての経験にかなり疲れているようである。


「私が欲するのは勝利だ。あれはそのための準備と割り切ったまでだ。修行と同じだ。ならば、やらねばなるまい」


 自分の中の落とし所として、そう納得した。


「それで、田町は間に合うのか」

「明日にでも俺たちは喧嘩を売られるよ。その時に山暮の口から直接聞こうじゃないか」


 げっげっげとカラスのように笑いながら商店街を堂々と帰って行く。帰る方向が違ったため、黒辻はその去りゆく背に、どんな言葉をかけていいのかわからなかったので、わざわざ追いついて腕を引いた。


「ご、ご苦労だった。よく休め」

「おう。お前もな」


 ひらりと手を振った。対戦相手に重傷を負わせた直後の少女だとはとても信じられないような、まずお目にかかれない軽やかさで、黒辻はそれに救われた気がした。

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